第八十一話 大英雄攻略会議
あの議会発足から二日。皆各々、戦いの準備を始めていた。ある者は己が魔法を再確認し、またある者は、身体に備えた武器を磨く。ある者は野生を取り戻すため狩りに出で、またある者は、この海域に慣れるべく泳ぎに出た。
あの議会にて、アグロムニーの提案した意見は真正面から否定されたのだ。しかし、だからこそ戦いが始まろうとしている。
父の意見は確かに認めるわけにはいかないが、戦いを回避することが目的ならば、あの提案を飲むというのも一応の選択としては存在したのだ。
何せ、大英雄と称されるアグロムニーは、たった一人でもこの部族を壊滅させかねないのだ。そんな化け物と戦うなど、普通ならば考えない。であれば、法律改正に賛成した連中も、部族を守ろうとしたのだと理解できる。
しかし、ムドラストはそれを許さなかった。彼女も、俺と同じ思考を持っていたのだ。
アグロムニーに、今よりもさらに絶大な力を与える訳にはいかない。一個人が部族を揺るがすほどの力を持つことを、彼女も恐れているのだ。
父は、一人で部族中の戦士と戦える武力を持っている。そこに、議会でもほぼ無条件で法案を通せるような力を与えてしまえば、この部族はもうおしまいだ。議会の中に、個人の実力はまったく関係ない。それは、持ち込んではならない決まりである。
正直、部族に帰省してからというもの、父には失望してばかりだ。
彼に完璧を押し付けていた俺も多少悪いところはあるが、それにしても、まさかこんな方法で議会に圧力を掛けてくるとは。もしムドラストが正義の心を持っていなければ、本当に可決されてしまうところだった。父の代わりに、師匠の株は上がっていくばかりである。
「なあ、ニーズベステニー。最年少であるお前に聞くのも恥ずかしいのだが、何か妙案は思いつかないか。私たちの経験上、アグロムニーに勝てた試しなど一度しかないのだ。それも、単純に真正面から戦ったのは400年前が最後である。今の奴がどれほどの実力を秘めているのか、もはや私には分からない」
父への恨みを募らせていると、ムドラストが話しかけてきた。少々恥ずかしそうな様子だが、そんなことも言っていられない状況だ。頼れる意見はひとつでも多く聞いておこうということなのだろう。
「……師匠、俺も今すぐ父と戦うなんて思ってなかったですよ。妙案と言われても、そもそも父の本当の実力が分からない以上、俺の作戦が通用するのかどうか」
「それでも構わない。私が知りえる限りの情報を動員して、二人で考えよう。ニーズベステニーは賢い。とにかく案をたくさん出すことに関して、君に勝るものはいないのだ」
そこまで持ち上げられると、ちょっと恥ずかしいな。
ムドラストは、俺に魔法を教えてくれた師匠だ。彼女を助けたいという気持ちも、当然ある。そして父を止めたいという気持ちも。戦いを避けるというのは、もうありえない。
「ちなみに、アストライア族の戦力は今どの程度いますか? 父と正面衝突すると聞いて、逃げ出した戦士も多いと聞きましたけど。最低限メルビレイ襲撃当時のような戦力を導入できるのならば、まだやりようはあります」
「……本当に申し訳がない。ほとんど逃げ出してしまった。今アストライア族の人口は、非戦闘員も含めて三分の一を切っている。戦士階級は、もう半分もいない。メルビレイ襲撃のような特大の軍を築くことは、もう無理だろう。隣の部族にも話してみたが、戦力を貸してくれそうにはなかった」
クソッたれが。臆病者ばかりじゃないか。どうしてそんな簡単に、故郷を放棄することができる。ここは、皆で作り上げたアストライア族じゃないか。数千年の歴史が詰まった、この星の原点とも言うべき部族だぞ。それをどうして、手放すことが出来る。
隣の領地も、頭がイカレてしまったのか? まさか、アグロムニーを抑えられるのならば部族ひとつ消滅しても構わないと、そう思ったのではあるまいな? 戦士階級が逃げ出したということは、それを受け入れている部族が確実に存在するはずだ。
「なら、大精霊ロンジェグイダ様と霊王ウチェリト様に頼んで、精霊の軍を貸していただくというのはどうですか? アーキダハラほどの実力者ならば、タイタンロブスターの戦士と同等の働きを期待できます。そうでなくとも、地上に引きずり出せれば、獣龍ズェストルや角龍ウゴトロピッツァの大群で押しつぶせるはずです」
「それも、難しいだろうな。霊王ウチェリト殿が各地を飛び回ってこの知らせを運んだが、我こそはという戦士はそう多くない。それに、彼等は海龍クーイクを相手するという大役を担っている。アグロムニーも同時に相手するというのは、厳しいだろう」
……そうか、敵はアグロムニー一人ではない。絶対的な制圧能力を持つ龍、海龍クーイクが存在する。獣龍や角龍とはまるで次元の違う龍種だ。奴の魔法は、数百のメルビレイを数秒で消滅させる。水魔法に関して、水の精霊であるヴァダパーダ=ドゥフを遥かに凌ぐ化け物である。
「俺が今持っている切り札は、空間切断と群体魔法による無尽蔵の魔力くらいか。けど、アレはドゥフを倒すのにも苦戦した。お世辞にも、父に通用するとは思えない。そりゃそうだ。メルビレイの群れを一人で相手できるような人なのだから、メルビレイの群れと同程度の魔力を用意しても意味はない。……なら、蜉蝣様の力を借りるというのはどうですか? 精霊種なら、蜉蝣様から新しい魔法を授かれるはずですよね」
「うむ、私もそれはロンジェグイダ殿に頼んだ。しかし、どうやらアグロムニーに対抗できるような強力な魔法は、それほど数はないらしい。奴の防御力を突破する方法は、大きな課題となるだろうな」
ふむふむ。いや、父の防御を突破できる魔法がひとつでもあるのならば、それで充分だ。そいつを軸に作戦を立てていけばいい。というか、ロンジェグイダ様はそんな何種類も強力な魔法を用意しようとしていたのか。
ひとまず、攻撃の要はロンジェグイダ様と置いておこう。他の戦力は、申し訳ないが父の足止め兼弾避けとさせてもらう。戦士を数で見るなと言われるかもしれないが、そんな倫理観を持った状態で勝てるような相手ではない。
「せめて、私も蜉蝣様から力を授かれれば良いのだがな。アレは精霊種の特権だ。特殊な属性を必要とする魔法は、時間を掛け脱皮によって入手するしかない。今回の戦いには、私は間に合わないだろう。アグロムニーの足止めを努めるか……」
「それなら、ウチョニーに頼むと良いですよ。彼女の新技術を用いれば、魂臓から直接属性を取り出して生成できるようになります。魔法技術を脱皮に頼るなんてのは、時代遅れになるかもしれません」
「な、なんだと! 私の妹がそんな技術を……。解剖学に関して天賦の才を持っていると思っていたが、やはりそうだったか。ならば、私も攻撃手として戦えるぞ」
ふむ、攻撃はロンジェグイダ様とムドラストか。常に砲撃を喰らわせ続ければ、さしもの大英雄も自由には動けないだろう。ウチェリト様が攻撃に入れないのが残念でならないが、彼にはクーイクの相手をしてもらわなければ。
しかし、そうなると足止め用の戦士が足りない。逃げずに留まっている戦士連中を、ウチョニーを中心にまとめ上げる。俺が群体魔法と小細工で、ペアーとメルビレイの群れを呼び出すのも必須条件だ。だが、それでもなお人員が足りていない。
「……何故でしょう。どうして、最強の男であるアグロムニーに挑戦しようという、バカな若者が現れないのでしょうか。俺は戦いたい。真正面から突撃して死ぬのだとしても、最強と称される男に一撃でも喰らわせられないかと、ずっとそれだけを考えているというのに」
確かに、父は許せない。俺の兄弟を大勢殺した犯罪者だ。それに、歴史ある部族も守りたい。この場所を簡単に放棄することなど、断じてありえないのだ。
しかし、今俺の中には、そんな思いよりも遥かに強いものがある。
大英雄アグロムニーに、俺が持ちうる全ての技術を叩き込みたい。彼に一撃でも、何か喰らわせてやりたい。たったそれだけの思考が、俺の心を支配していた。
「……正気か、ニーズベステニー。こんなことは言いたくないが、お前では絶対に勝てないぞ。軽くあしらわれて、何もできないまま殺されるのがオチだ。1000年を生きるタイタンロブスターというのは、それほどまでに次元が違う」
「もちろん正気ですよ。カッコいいじゃないですか、最強の男に立ち向かうなんてのは。子どもたちの権利を守るため、愛する人を守るため、誇りを守るため。……そんなのはただの口実だ。それを実際に成すことがカッコいい。それだけで充分ですよ」
カッコいい男になるのだと、この世界に生を受けたあの日に誓った。そして、愛する雌に誓った。それだけで、俺は戦える。恐怖のタガなど、とうの昔に壊れてしまっているのだ。ただカッコよくあれと、それ以外に、戦いに求めるものは何もない。
「そう、か。やはりお前たちは親子だな。思想の教育はしていなかったはずだが、根本的な考え方がまったく同じだ。ならばこそ、私も全力を尽くさなければ。最年少に、一番カッコいいところを持っていかれては困る」
ムドラストは、茶目っ気のある笑顔でそう言った。普段感情を見せることがない、特にこんな、明るい印象のない彼女の笑顔はとても美しく映った。
「ウチョニーの快活な笑顔は、家族揃ってでしたか」




