第七十六話 緊急事態
走った、走った、走った。山を飛び越え川を渡り、鬱蒼とした森を駆け抜けた。
師匠ムドラストが大至急というのならば、他の何を差し置いてでも急ぐ必要がある。
それも、この森を守護する大精霊ロンジェグイダと、霊王ウチェリトを指名してきた。
彼らはこの大陸においてもぶっちぎりの強者であり、二人がかりならば大英雄アグロムニーにも匹敵するほどである。逆に言えば、そのアグロムニーでも対処できないほどの脅威が、アストライア族に迫っているということだ。
現在アストライア族の主要な戦力は、大英雄アグロムニーに族長ムドラスト。それにメルビレイの群れをも打倒した幾千の戦士たち。切り札には、父の相棒である海龍クーイクもおり、総力はこのアストライア大陸を含めても最強である。
「リーンビレニーという存在が何者かわからないが、そんなに強い奴なのか? 大英雄であるアグロムニーがいても勝てないような奴が、この世に存在するなんて……」
父の実力は、現実離れしているほど脅威的だ。1000年の時を生きるタイタンロブスターは、8000年を生きる精霊種をも超える。何せ、彼の実力を脅威に感じた俺が、こんなにも苦労してそれを超えようと旅しているくらいだからな。
「ニーのお父さんより強い魔獣なんて想像が付かないんだけど」
「俺も想像が付かないよ。いったいどうやったら、あの化け物に勝てるのか。もし話す機会があるのなら、是非ともその秘訣を教えて欲しいものだ。まずはぶっ潰すのが先だが」
父よりも強い生物がいるのなら、そいつから情報を引き出し俺がその力を手に入れて見せる。そうすれば、アストライア族内で力の均衡が成立し、より正しい平等な社会が訪れるだろう。父が暴挙に出たとしても、皆が不安にならずに済む世界だ。
「あ~、ニーが一番気になってるのはやっぱりそっちなんだぁ。……ニー、そんなにお父さんが怖い?」
「何を言っているんだウチョニー。父は本当に驚異的な存在なんだ。普通の生物が、アレに敵うはずがない。上陸してからかなり力を付けてきたが、それを踏まえて考えてみると、やはり父は化け物だよ。勝てるビジョンがドンドン遠のいていく」
力を付ければ付けるほど、彼の強さがよくわかる。アレは、真の実力者であった。俺がどれほど努力しようとも、俺がどれほど時間をかけようとも、もはやアレが死なない限り絶対に超えられない壁である。それは、ハードルとすらも呼べない。
森を駆け抜けつつそんな話をしていると、やはり今回アストライア族に迫っている脅威が気になり過ぎる。リーンビレニー、名前的になんとなくタイタンロブスターのような雰囲気があるが、父を打倒できるタイタンロブスターなど存在するのか?
タイタンロブスターというのは、年月とともにその力が増していく生き物だ。
そして、俺の父アグロムニーは、そのタイタンロブスターの中でも特に長い、1000年という時を生きる。族長ムドラストが800年程度であることを考えれば、やはり彼より長生きなタイタンロブスターというのもまた、想像が付かないものだ。
「クッソ、考えれば考えるほど緊急事態だな。今もまだ、族長たちは戦っているのだろうか。もしそんな脅威がいるとすれば、今頃部族が消滅していてもおかしくないぞ」
「やっぱり、多少の消耗は覚悟して早くこのことを二人に知らせに行くのが良いんじゃないかな。アタシたちが魔力を温存するより、ロンジェグイダさんとウチェリトさんを急いで連れて行く方が効率がいいと思う!」
確かに、ウチョニーの言う通りだ。俺たちも戦うことを想定して魔力を温存する方針だったが、そんなことを言っていられる状況でもないのかもしれない。俺たちが束になっても大精霊と霊王の足元にも及ばないのだから、急いで二人を連れていくべきだ。
それに、蜉蝣の周囲は魔力が安定していない。ロンジェグイダさんが管理しているとは言え、流石の師匠もあそこまで念話を飛ばすのは不可能だろう。なら、直接俺たちが伝えに行く以外に方法がない。
「そうと決まれば、考えることは少ないな! ゲート!」
俺のゲートは有効射程がせいぜい500m程度だ。しかし、空間系魔法の強味はその発動スピードにある。全属性魔法中、最速を誇るのだ。瞬間移動かと見紛うほどの身体能力を持つウチョニーも、これには追いつけない。速度ではなく、距離をゼロにできるのだから。
2秒も掛からず、俺たちは中間地点に到着した。一度寄るべき場所があるのだ。戦力が必要ならば、一人心当たりがある。
「ニー、ここって……!?」
「新生都市国家、精霊国スプレヴドリボスト。アーキダハラとボンスタの治める国だ。今回は大規模な戦闘になりそうだからな。アーキダハラの協力を仰ごう。それに、空間系魔法に関しては奴の方が長けている。俺よりずっと早いはずだ」
すぐさまゲートを召喚し、俺は改装工事が成されている城まで辿り着いた。
魔力を辿ると、すぐ近くにアーキダハラがいるのを見つける。アイツはどうやら、新しい王としてしっかりやっているようだな。実際はボンスタの方が権力が強いが。まあ、その話はまた今度にしよう。
「やあアーキダハラ、久し振りだな。少し世間話でもしたいところだが、緊急事態だ。すまないが、説明している余裕もない。今すぐ付いてきてくれ」
「に、ニーズベステニー!? 久し振りじゃないか! 元気にしていたか? って、なんだ。そんなに急ぎの用事なのか? 俺もこれから王としての業務があったんだが」
「良いから、何も言わないで付いてきてくれるかな。君の方がニーよりも速いから。ロンジェグイダさんのところまで送って。そしたら、君も一緒にアストライア族まで来てね」
ウチョニーに強く圧を掛けられ、アーキダハラも少し困っている様子だ。
しかし、本当に説明している時間はあまりない。今この瞬間にも、部族にいる大切な家族たちが殺されているかもしれないのだ。
「ろ、ロンジェグイダ様だと!? そんな、急には無理だ。あのお方に会うには、事前に話を通しておかなければならない。これは森に住む精霊の掟だ。大父ロンジェグイダ様は、それくらい高貴なお方なんだ。そんな、今すぐというわけには……」
「良いから、さっさと付いてこい! 今回は本当に緊急事態なんだ。リーンビレニーという奴が復活したらしい。それがどういうことか分からないが、ウチの族長が大慌てしていた。きっと、ただ事ではないぞ」
「り、リーンビレニーだと!? それを早く言わないか! 今すぐロンジェグイダ様を呼び出すぞ。それに、ウチェリト様にも報告が必要だ。道中でトンビを……いや、最大距離のゲートを乗りつないだ方が早いか!」
な、なんだ。アーキダハラが急に焦り始めたぞ。彼は、リーンビレニーという名前に心当たりがあるというのだろうか。いったい何者なんだ、リーンビレニーというタイタンロブスターは。
「ゲート! さあ行くぞ。……海に潜るというのに、スターダティルを連れて大丈夫なのか?」
「構わない、今はロンジェグイダ様に話を付けるのが先だ!」
それだけ言って、俺はいの一番にゲートをくぐる。続いてアーキダハラも入って来た。
ただでさえ短い空間魔法のキャストタイムをさらに短縮するため、アーキダハラと交互にゲートを発動する。彼のゲートは有効射程が700m近いが、キャストタイムを二分の一にすればもっと長い距離を移動できる。
深い森まで到着した俺たちは、ずかずかとそのまま森を走った。
「大変でございます、ロンジェグイダ様! アストライアの王妃、リーンビレニーが復活したそうです! 大至急、霊王ウチェリト様と共にアストライア族までお越し願いたく!」
開口一番、アーキダハラがそう言い放った。彼の一言は、木の上で昼寝を決め込んでいたロンジェグイダを卒倒させる。




