第七十話 海の支配者
ウチョニーの巨大な鋏によって弾かれたドゥフは、そのまま海域の深くまで移動する。
下半身は未だ彼の身体を離れ、上半身と首の皮一枚繋がった頭部だけの状態であった。あれでは、今すぐ全身を再生させるのは不可能だろう。
「ナイスタイミングだ、ウチョニー! アーキダハラ、いったん離れてお前は体力を回復させろ。その間は、俺とウチョニーが奴の相手をする。お前は奴を絶命させられる貴重な人材だからな。出し惜しみして悪いことはない」
ウチョニーの乱入とともにアーキダハラを後退させる。彼の持つ吸魔魔法でなければ、ドゥフを真の意味で殺すことが出来ないからである。奴の肉体は魔力で構成されており、表面上の物体を壊すだけでは意味がない。
しかしこの吸魔の魔法というのは、全ての魔力を吸い尽くすのにかなりの時間が掛かる。ドゥフほど強力な精霊ならば、丸一日掛かってしまうかもしれない。
だからまずは、俺たちの体力が続く限り奴と戦闘する。そして魔力を充分に使わせてから、動きを完全に拘束した状態で殺すのだ。
ドゥフが下半身のもとへ向かって移動するのに対し、ウチョニーはそれを阻害するように攻撃を仕掛ける。アーキダハラのように空間転移ができるわけではないが、それに等しいほどの移動能力を彼女は持っていた。
「まったく、本当にウチョニーの魔力量には驚かされるよ。さっきスターダティルにほとんど渡してきたはずなのに、まだあんな動きができるほど余裕がある。師匠と同等程度の魔力を持ってるってのは、あながち間違いじゃないな」
アストライア族最強の魔術師ムドラスト。彼女は、本人談によると7日間全力で戦闘を続けられるほどの魔力を持っているらしい。軽く計算したが、彼女の体積からしてまあ不可能な量の魔力を持っていることになる。
しかし、ウチョニーを見ているとそれも現実味を帯びてくるのだ。何せ、彼女が魔力不足に陥っているところを見たことがない。今も、無属性魔力爆発を使ったにもかかわらず、あれほどドゥフを翻弄できる。
ドゥフも超人的な反応速度で反撃しようと試みているが、その拳はウチョニーには届かない。彼女はアーキダハラのように停止しているのではなく、常に移動し続けているのだ。ドゥフの拳など届くはずもなかった。
また、ドゥフが遠距離攻撃魔法を放つが、ウチョニーが少し後ろに回避すれば、俺の乗っ取りが間に合ってしまう。ドゥフが生み出した淡水の魔法など、俺の支配領域では通用しない。制御権はずっと格下になる。
ウチョニーの鋭い鋏が奴の身体を切断し、また鬼のように器用な節足が奴の全身を細かくバラバラにしていく。その間、ドゥフの攻撃は一発たりとも当たりはしない。圧倒的で一方的な戦闘。充分に作戦を練りそれに見合った実力があれば、水の精霊などこの程度だ。
ただ、ひとつ問題点を言うとするのならば、ウチョニーと違って俺の魔力は無限ではない。彼女のように何も考えず振り回すことが出来ないのだ。
しかし、その部分も既に解決済みである。まあ、メルビレイの死体を有効活用しただけのことではあるが。
「く、クソが。三対一など卑怯だとは思わないのか! 誇り高き海の支配者が聞いてあきれるぞ! それに、森の精霊がどうして水中でこんなにも戦えるのだ。貴様ら小細工をしおって。正々堂々真正面から戦え!」
「誇り高き海の支配者? おいおい、水の精霊ともあろう者が、俺たちタイタンロブスターの口上を知らないのか? 『我、汝を災害と認定する。ゆえに、総力を持って排除せん!』。俺たちタイタンロブスターは元々弱い生物だからな、徒党組んで強い奴をぶっ殺すのさ。卑怯? 生き抜くために手に入れた力だ。これこそ誇りに思っているとも」
口上は年月が経ち変形しつつあるが、本来はこれが正解だ。災害級の魔獣や外敵相手に、タイタンロブスターの総力をもって排除する。集団でなければ敵わないからこそ、俺たちタイタンロブスターは群れを大切にし、集団戦闘を磨くのだ。
メルビレイの群れが現れたときもそう。族長ムドラストと英雄アグロムニーの一声で、近辺の別の部族までもが駆けつけてくれた。超広大な領地を持つアストライア族内外のあらゆる戦士が、たった一日のために集結したのだ。これこそ、タイタンロブスターの誇りある戦い方である。
「まあ、群れでの戦闘という意味だとメルビレイも相当強かったけどな。アイツらから学ぶべきことは多かった。そして利用するべき技術も。……例えばこれとかな。遺魂の導き、verメルビレイ」
瞬間、尽きる寸前であった俺の魔力が再び流動性を増していくのを感じた。
この海域には、実は俺以外の魔力も充満している。それが、俺の体内に流れ込んでくるのだ。
まあ、俺以外の魔力と言ってもひとつしかないだろう。そう、メルビレイの魔力だ。
メルビレイ襲来時に海龍クーイクが倒したメルビレイの血液は、巨大な結晶となってアストライア族に置いてあったのだ。それを、一応族長の許可を得て持ち出し、その一部から魔力を取り出してこの海域に撒いておいた。
昨日のうちにウチョニーから魂臓手術を受けた俺とスターダティルは、メルビレイなどが持つ特殊な魔法、群体魔法を扱えるようになっている。それを用いれば、水系の魔力だけはほぼ無尽蔵に扱うことが出来る。
この魔力がメルビレイから発生している以上、この群体魔法を使わずに利用することはできない。魂臓が外部からの魔力を受け付けないからだ。基本的に、異なる生物から発生した魔力を魂臓は制御しない。
ではスターダティルが利用しているのはどういう理屈かと言うと、簡単な話だ。彼にはウチョニーの魂臓の一部を移植している。彼は今、プロツィリャント、メルビレイ、タイタンロブスターの三種類の魔力を受け付けることができるのだ。裏切者の名に相応しい。
「な、なんだその魔法は!? 当たりに漂う不快な魔力が、全て奴に集結している。まさか、この水から奴は魔力を補充することが出来るのか! なんと理不尽な魔法を持っているものだ。だが、そうであるならば俺にも考えがあるぞ!」
ドゥフは聡い男だ。パワータイプに見えて、意外にも知的に立ち回ることが出来る。
今だってそうだ。奴はすぐにこの魔法の正体を看破して見せた。群体魔法を持っている魔獣は地上になどほとんどいないというのに。
しかし、いったい何をするつもりなんだ。奴の魔法では俺に通用しない。メルビレイ数百匹の魔力が続く限り、水系魔法であれば俺は無尽蔵に放つことが出来るのだ。
それに対し、どうやって対抗するつもりなのか。まさか、水の精霊と言えどメルビレイの群れに匹敵する量の魔力を持っているはずがない。
「理不尽には、こちらも理不尽をぶつけなければならない。闘争というのは、相手の模倣から始まるのだ。濁流魔法、廃滅の嵐!」
濁流魔法というのは、水系魔法の分岐だ。大量の水を一度に放つことに長けている。奴の攻撃魔法マディストリームもまた、淡水系最強格の濁流魔法である。
しかし、廃滅の嵐というのは聞いたことがない。ムドラストからは教わっていない魔法であった。
ドゥフの身体から、まさに湖をそこに出現させたかのような量の水が放出される。
地上であれば家屋をなぎ倒し、人間も魔獣もすべからく巻き込んで消滅させているだろう。ともすれば、一文明を崩壊させかねない物量の暴力。
それは、この海域を充満していた俺の魔力と、メルビレイの無尽蔵の魔力すらも塗り替えていく。海水もほとんどが淡水に薄められ、水の制御権は移り変わってしまった。
「ハハハ、これならばどうしようもないだろう。これが、精霊の力だ! お前が一日かけて準備したものは、魔法の一撃で覆せてしまうのだ! 圧倒的魔力量の前にひれ伏せ!」
状況は最悪の方向へシフトしてしまった。これから先考えていた作戦も、一時ストップである。




