第三十四話 ロンジェグイダとプロツィリャント
朝、窓から差し込む日差しを受けて、俺は目を覚ました。ウチョニーは隣でまだ寝ている。昨日は夜遅くまで俺の話に付き合ってくれたからな、まだ起こさずにそっとしておこう。
未だ寝ている彼女の外骨格に手を置く。やはりたくましい身体だ。俺なんかよりもずっと。彼女の硬い身体に触れているだけで、なんだか俺にも力が湧いてくるような気がした。
「本当に仲がいいのですね、お二人は。若い番いで新婚旅行、ですかな?」
「いずれは、そうなりたいと思っている。だが、俺はまだ彼女にふさわしい男になれていない。もっと強く、たくましく。時がたったら、俺の思いを全て伝えようと思っているよ」
村長が隣の部屋から出てきて、話しかけてきた。朝の静かな空気に、彼の言葉が透き通る。
いつもは遅くまで寝ているのに、今日は調子が良いのか早起きだ。しわくちゃの顔には笑顔が浮かんでいた。
「お二人を見ていると、妻との生活を思い出します。それも、こんな老いぼれではなく、もっと若かったころの思い出。種族はまったく違うのに、不思議なものですね」
彼の妻か。考えてみれば、俺とウチョニーの関係は随分人間らしいものだ。一般的なロブスターとはかけ離れている。しかしそれを、おかしいと感じたことは一度もなかった。俺は彼女のことを真に愛しているから。
朝から村長とも話をする。彼に朝食の準備を手伝ってもらいつつ、お互いのことを話すのだ。
そして気付いた。俺は今まで、人間とあまり会話してこなかったんだ。避けていたとすら思える。
だが、それではダメだよな。いくら俺が人間でなくなったとはいえ、元が人間であること自体は変わらないのだ。彼らと対話しないわけにはいかない。自分の頭の中にあることは、どんな種族であろうと言葉にしなければ伝わらないのだ。
朝食を完成させしばらく談笑していると、ウチョニーが自然に起きてきた。ぐっすり眠れたようで何より。
今度は彼女も交え、朝食をとりながら再び談笑する。朝日が差し込むリビングで、年長組の朝は早かった。
「それじゃあ、俺はまた森に行くよ。今日で害獣の特定まで済ませる。そしたら皆にも仕事を頼むことになるから。それと、昨日捕らえた賊から目を離さないこと。ウチョニー、村長のこともよろしく頼んだぞ」
朝食を済ませた俺は、二人に見送られながら森に踏み入る。
周囲を見渡せば、やはり水田を襲っているだろう蛾の気配を感じた。魔力を隠すのは得意でないらしい。かなり村に近いところに潜伏しているが、霊王ならば上手くやってくれるだろう。
森の木々を眺めつつしばらく歩く。虫の鳴く音や鳥のさえずる声はそこかしこから聞こえるのに、何故かこの森からは静寂という印象を強く受ける。耳に入る音全てが、俺の心を落ち着かせていくのだ。
「やあ、よく来たな。ウチェリトはもう、若い衆を集めて行動し始めるそうだ。吾輩たちも、調査を進めようではないか」
気付くと、俺の真正面にはロンジェグイダが立っていた。ついさっきまでは、俺の正面に誰もいなかったはずなのに。
やはり森の長は格が違う。あんなにも濃密な魔力を秘めているのに、感知することも出来ないとは。
しかしだからこそ頼もしい。彼に付いて行けば、必ず事態を解決できるという確信がある。それほどまでに、彼の存在は大きいのだ。
「害獣の正体に当たりを付けているという話でしたけど、具体的にどんな魔獣の可能性がありますか? 俺の知っている魔獣なら、こっちでも対策を用意できそうなんですが」
「うむ、魔獣は畑を掘り返しているという話だったな。単純にイノシシ系統の可能性が高い。冬眠をする種類のものが、この森には沢山いるからな。食料の確保だ。生息域も比較的森の境界線に近い」
なるほど、やはりイノシシか。日本でもかなり問題になっている害獣だ。
奴らは頭が良く、明確な罠が通用しない。畑を執拗に荒らし、作物をダメにするのだ。
「しかし一方で、夜盗蛾の魔力を無視しているというのが気にかかる。あれらは集団で行動し、天敵から身を護るために強い魔力のバリアを張るのだ。ウチェリトの眷属には通用しないが、イノシシは嫌がるはず。積極的に近づこうとはしないのだ」
あの害虫どもにそんな力があったのか。魔力を隠していなかったのではなく、その逆。魔力を放つことで、外敵を寄せ付けないようにしていたんだ。俺にはあまり効果がなかったようだが。
しかしとなると、イノシシの可能性は若干低くなるか。
彼らはどちらも夜行性。夜盗蛾が活動するタイミングは、特に魔力のバリアが濃いはずだ。そのタイミングで畑荒らしをする余裕があるだろうか。
「しかしイノシシのテリトリーが一番村と近い。とうわけでもう一つの可能性は、村から遠い森の中から大移動して、畑の作物を奪いに来ている害獣だな」
「一日の移動距離が長いクマか、もしくは鳥類ですか? クマが人里まで降りてくるほど、この森が痩せているとは思えませんが」
近年、日本ではクマが発見されることが増えた。森の中のどんぐりが枯渇して、彼らの食料がなくなったためだ。冬眠の前には沢山食事をする必要があるクマは、仕方なく人里まで降りてきてしまうのだ。逆に言えば、森が恵みに満ちているなら、クマは人里まで降りてはこない。
「いや、クマのテリトリーはもっと山の中だ。そこには木の実が豊富にあって、彼らが食料に困ることはない。鳥類も、ウチェリトが管理してくれているから問題はないはずだ。もっと別の生物であろうな」
ではいったいなんだ? 森が肥沃ならば、わざわざ人間のテリトリーまで出てきて、畑を荒らすような動物は思い当たらない。
シカやサルも場合によっては畑を掘り返すだろうが、人里まで来るよりも森にいる方が安全で勝手が良いはず。
「アレは霊王も吾輩も手を焼いているからな。一応は精霊種に当たるが、森の内外で好き勝手やっている。プロツィリャント、それが奴らの名だ。鳥類ではないが飛行能力を持ち、雑食性の強い哺乳類。恐らくはまた、奴らが悪さをしているのだろう」
俺の全く知らない生物だ。飛行能力を持つ哺乳類? 生態的に、そんなものが実現可能なのだろうか。ぜひともこの目で見てみたい。未知の存在に、胸が躍る。




