第三十三話 森の賢者
「パラレルという男性を、俺は知っています。俺も異世界からやってきましたから」
考える時間は短かった。霊王ウチェリト、そして精霊種の長ロンジェグイダの目を見たとき、彼らに嘘を吐くべきではないと判断したのだ。
ムドラストがどういう意図で俺のことを隠したのかは分からないが、彼らを騙すことに利益はない。むしろ被害を被るだけだ。
「なんと、お前がそうだったか。だがお前からは……その」
一瞬驚いた様子を見せた霊王ウチェリトは、今は何やら気まずそうな表情をしている。いや、トンビの表情なんてロブスター以上に分からないけど。
彼は何故か、たまらないといった様子でロンジェグイダの方に目線を逸らした。
「うむ、其方からは特に異世界の魔力は感じないな。蜉蝣様とは全く異なる。何分前例が少ない故に、吾輩たちも分からないことだらけであるが、少なくともあの性質は、異世界から来たもの全てに当てはまるとは限らないらしいぞ、ウチェリト」
「? 異世界から来た蜉蝣には、何か特殊な力があるんですか?」
パラレルさんは言っていた。俺が異世界に行くとき、良くネット創作であるような特別な力は与えられないと。だからその蜉蝣も、特殊な力なんて持っていないただの蜉蝣だと思っていた。
強いて言うなら、人間の知能があるだけか。
……いや待て、知能のある蜉蝣なんて存在するのか? そりゃ、知能のあるロブスターが存在するんだから、いてもおかしくはない。
しかしその可能性は低いだろう。蜉蝣は成虫になると、あらゆる器官が退化するんだ。
例えば口。蜉蝣は成虫になってから24時間程度しか生きられないから、食事をとる必要がない。だから口は完全に塞がる。
それでは知能など目覚めるはずがない。口と脳は直結しているのだ。
食事を必要としないということは、獲物を見つける能力も必要ないということだ。
野生下に存在する全ての生物が行っているそれを、蜉蝣は生まれた瞬間から出来なくされている。それでは、学習などというものも必要ない。
蜉蝣は生態的に、知能を獲得出来ないはずだ。
では何故、地球人であろう彼は蜉蝣に転生したのか。パラレルさんが警告しなかったのか? それとも、まさか……。
「蜉蝣に無理やり知能を与えた結果、この世界に魔法を持ち込んでしまった……?」
「何をブツブツ言っているんだ?」
「いや、なんでもないです!」
ウチェリトに指摘され、慌てて訂正した。今日は考えることが多すぎて頭がパンクしそうだ。
何より、今日知ったこと全てのスケールが大きすぎる。パラレルさんに関わることは、つまりこの世界の真理を読み解くことだ。
「蜉蝣様の特殊な力の話だが、どうやら其方には備わっていないらしい。実は彼は、死してから数千年間ずっと、異世界接続魔法を行使し続けているのだ。ホラ、其方も感じるであろう?」
そう言って精霊種の長ロンジェグイダは、一匹の蜉蝣の死骸を取り出す。
やはりそうだ。見たところ、この蜉蝣の頭部は発達していない。いたって普通の蜉蝣だ。目や節足の構造からしても、人間レベルの複雑な知能を獲得できる構造をしていない。
しかし……。
「凄まじいエネルギーですね。こんなに濃密な儚焔は初めて見ました」
気が狂いそうだ。こんな密度の儚焔を浴びて、どうして二人は平気なのだろうか。今すぐこの蜉蝣を奪って、儚焔を全て体内に取り込みたい衝動に駆られる。
そうするだけで、俺はこの二人を同時に相手しても無傷でいられる。それだけの力が、この蜉蝣にはあった。
「無駄だよ。蜉蝣様の力は、彼の死骸を養分として生まれたこのロンジェグイダの血族か、もしくは彼を殺しその力を得た、ウチェリトの眷属にしか扱えない。森の民でない其方が彼を取り込めば、その瞬間其方の身体は崩壊する」
なるほど、だから彼らは平気な様子なのか。俺が蜉蝣の死骸を奪ったところで、彼の力を扱うことは叶わず自壊してしまう。
そして分かったこともあった。彼ら二人からは、あの蜉蝣と同じ種類の力を感じる。恐らくは先ほど言っていた力だろう。蜉蝣の力を、あの二人は自由にできるのだ。
「この蜉蝣様は常に異世界の大魔王パラレルと接続していてな、故に、やろうと思えば無限に等しい儚焔を吐き出し続ける。それと一部、パラレルの記憶とも接続していた。彼の持つそれは我らの想像の範疇に収まってはいない」
「吾輩たちは長い時間をかけて研究し、ついに導き出した。蜉蝣様のご遺体を通じてパラレルと接続し、彼の持つ魔法の技術を授かる方法を。これを用いれば、本来魂臓に適性の存在しない魔法であっても行使できるのだ」
朗々と語る二人。しかしその目が語っていた。
蜉蝣の力は、決して悪用するために研究したのではないと。
彼らの異様な実力も、蜉蝣から得られる新たな魔法技術も、全てはこの大陸を守護するために存在するのだと。
彼らには大いなる力が宿っている。しかしそれを、誰かを傷つけるために振るうことは断じてない。
魔法の起源、そして王の座に立つものとして、彼らはこの大陸、この地に住まう全ての生物のことを思って力を振るうのだ。
虫の鳴く声が聞こえる。鳥のさえずる声が聞こえる。木々がゆらゆらと揺れ、枝葉を擦らせる音が聞こえる。
これら全ては、彼らが数千年間守ってきたものなのだ。その力を使って。尊敬に値する。
「……少々興奮してしまった。つまり其方には、パラレルと接続する方法について、何か知っていないか聞こうと思っていたのだ。もしくは、そういった力を持っていないか確かめようとした。貴重な異世界の住人であるからな」
そして、こんな風に好感の持てる相手でもある。俺なんかよりもずっと強大で偉大な存在なのに、実に人間らしい側面を持つ。俺はこの短い会話の中で、二人のことを好きになっていた。
「お力になれず、すみません。ですが、異世界の知識に関してはお答えできますよ」
「おお、その知識の中に更なる技術の糸口があるかも知れん。ではまず……」
「まてロンジェグイダ。その前に彼の話を終わらせてからだ。本題からかなり脱線してしまった」
本題? とは何のことだろうか。これから異世界の知識について、お二人と夜通し語り合うつもりだったのだが。
「まったく呆けた面をして、今日は我らがお前を呼び出したわけではない。お前が我らに用があってここに来たのであろう?」
あ、思い出した。何故か彼らと話し合うつもりになっていたが、そうだ。今日は村のことで調査のために森まで来たんだった。
つまりウチェリトの後者の質問。何故この場所にいるのか、のアンサーである。
俺はそのことを二人に話した。今村は二種類の外敵に襲われていて、その調査のために森まで来たのだと。
片方は畑を掘り返す獣で、もう片方は水田を食いつくす昆虫だ。
「なるほど、旱魃の影響はこんな所にまで及んでいたのか。食料の不足によって蛾が森まで大移動していたことは知っていたが、回復し始めた村の水田を襲っていたとは。そちらの方は我に任せろ。昆虫の天敵は大鳥と、昔から決まっている。害獣の方は……」
「心当たりはいくつかある。だが確証はない。獣の特定と対策については、吾輩も助言できる。何、これでアグロムニーに貸しを作れるのだから安いものよ。今日はもう時間も遅いから、明日また森に入ってきなさい。話の続きはその時に」
話の続きというのは、村の守護ではなく異世界の知識のことだろうな。俺は素直にこれを受け入れた。
二人とも親身になって俺の話を聞いてくれる。やはり、良い人物であることは間違いない。
既に落ちかけた日を一瞥し、俺は二人に分かれの言葉を告げ立ち去った。
今日の収穫は大きすぎる。何せ、あの霊王と精霊種の長に会うことができ、しかも良い関係を築くことが出来たのだ。これからアストライア大陸で生きていく上で、これ以上ない出会いであった。
今日のことは、ウチョニーにも話をしよう。沢山話をしよう。
彼女はなんと言うだろうか。きっと喜んでくれるに違いない。そうだ、いつか時間を見て彼女にも二人を紹介しよう。長い付き合いになるだろうから。
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「いや~、本当にアグロムニーを思い出す良い男だったな。ちょっかいをかけて正解だった」
「そうだな、故に彼と同じ末路をたどらないか心配だ」
「そう暗い顔をするなよロンジェグイダ。アイツだって元気にやってるさ。でもま、いつかこっちから会いに行きたいよな。リーンビレニーも、今はどうしているのか」
「あれから400年、アグロムニーはまだ彼女のことを引きずっているのか。ニーズベステニーを見れば良くわかる。だが、やはり誠実な男は好きだ。彼の狂気も、見方を変えれば純粋な愛なのだから……」




