第二十一話 個人の力
数分もしないうちにメルビレイの群れは壊滅した。一匹も残さず、海龍クーイクに撃破されたのだ。
圧倒的な強さ。最初から彼一人で良かったのではないかと思う。
「クーイクの強さに驚いたか?」
「いや、むしろ呆れています。俺が必死に皆と協力して立てた作戦が、彼一人の力で覆されてしまった。一個人があれだけの力を有しているのに、組織として恐怖はないんですか?」
これだけの力を、アグロムニーという個人が有している。それは誰かが意図的に制御できるものではなく、彼を止めることはこの部族の誰にも不可能である。
もし父が俺たちに対して戦争を仕掛ければ、このアストライア族は簡単に壊滅するだろう。あのメルビレイたちのように。
いつの時代、どの世界であっても、一個人が強力な力を有するというのは良からぬことを招くものだ。
それは武力に限らず、人を動かす力、つまり国家の権力でも同じこと。
王や皇帝と言った一個人に国を動かす力を与えれば、いつかは多くの人間が苦しむ結果を招く。
王が戦争を望めば、他の人間の意見を聞かずにそれを実行することが可能なのだ。
人の命を、生活を、簡単に踏みにじることができる。
それが嫌だからこそ、現代の地球ではほとんどの国が司法、行政、立法の三権をそれぞれ別の機関に与えているのだ。
しかし近代的な法律が存在しないアストライア族では、力こそがルールだ。ムドラストが定めた法は、所詮は力で覆せるものに過ぎない。
そして俺の父、アグロムニーが有しているのはまさにそういう力。圧倒的な暴力を持つ彼が、ひとたび戦争したいと口にすれば、それに逆らえる者は一人もいない。それがどんな理由であれ、アグロムニーの言葉は絶対的な支配力を持つのだ。
いや、メルビレイの群れを一人で壊滅させられる力。むしろ彼が単独でどこかの勢力に攻め入るだけで、戦争と変わらない事態になる。
アストライアの大英雄アグロムニーは、その身に核弾頭にも等しい力を有しているのだ。
「恐怖か、アグに対して恐怖や脅威というものを感じたことはないな。アイツはそう簡単に裏切らないよ。それに、クーイクは正義の龍だ。彼が正しいと判断したこと意外に命令は聞かない。私がそういう魔法を込めた」
なるほど、思考を制御する魔法か。つまり現状、父の力は父と族長の二人で管理しているということ。
海龍クーイクは元々父が倒した龍の死骸。召喚獣とするには、彼を再誕させる必要がある。
本来洗脳系の魔法というのはそう強力な物ではないが、再誕の際に肉体に覚えこませれば思考を完全制御することも不可能ではない。
しかし洗脳系魔法は、大前提として使用者の魔法制御が相手を大きく上回っている必要がある。相手の方が強力な魔術師なら、自力で洗脳系魔法を解除できるからだ。
つまり師匠ムドラストの魔法は、あの海龍をも遥かに上回っているということ。
持久戦なら師匠に勝ちの目はないが、魔法制御に関しては分からないな。
と、そんなことを話していると、ついに最後のメルビレイが撃破された。
三倍以上も巨大な海龍の牙で貫かれ、抵抗むなしく鮮血をまき散らしながら捕食されたのだ。
海中にはメルビレイの死骸が無数に浮かんでいる。
漂う魔力は濃密で、不快な圧力を感じる。血の匂いも凄まじい。
「うむ、今日も我の相棒は強い。族長! 勝鬨を上げろォ!」
前線にいるアグロムニーからムドラストに声が掛けられる。たった一人、メルビレイの群れをあっさりと片付けてしまった英雄の雄叫びである。
「まったく恥を知らない男だ、アグは。仕方ない」
少し間を置いたのち、ムドラストから強い魔力を感じた。
音系魔法の力だ。近接部隊の中には聴覚の乏しい者もいるから、彼らにも聞こえるように特殊な魔法を込めている。
「私たち、アストライア族の勝利だァーッ!!!」
「「「ウオォーーッ!!!」」」
当然俺も音系魔法で鬨の声を上げる。他の者たちも、地面から這い出てきて次々に声を上げ始めた。
海中に鳴り響く勝利の雄叫びは、この場に留まる不快なものをすべて吹き飛ばしていく。
皆が勝利の喜びを分かち合い、戦いに高揚していた心をぶつけ合う。
「どうだニー、我の相棒クーイクの力は」
海水を叩く音の衝撃の中、前線にいた父が俺の傍に近寄ってくる。
あれだけの戦闘をしたというのに全く疲れを感じさせない泳ぎ。
このまま一生味方であれば良いが、父も知能を持つ一個人。普遍的に味方である保証などどこにもない。
彼を恐ろしいと感じるのは、俺がおかしいのだろうか。
「とても迫力のある戦いだったよ、父さん。俺が考えていた作戦が完全に無駄になったけど」
「ハハ、そう怒るなよ。悪いな、強すぎて。でもな、お前がやったことは無駄じゃないぞ。今回のことで、我がいなくても充分この部族を守れると確信した」
何? 父は俺の力を試していたのか?
確かに水蒸気爆発やウスカリーニェの罠は成功した。メルビレイの群れを半壊させられたのは俺の功績が大きい。
族長ムドラストもウチョニー達もかなりの働きを見せていた。あのメルビレイに怯むことなく、数多の魔法を掻い潜り圧力砲も耐え抜いて撃破して見せた。
もし次に今回のような大戦が起こったとしても、きっとこの部族は安泰だろう。
「本当に、お前は嫌な男だ。最初から全力で戦ってくれていたら、もっと早くに事態は収束していた」
「そういうな族長。怪我をした者もいるが、死者は特に出ていない。重傷者もいないだろう。それに、ニーの活躍でウスカリーニェにも大打撃を与えられたし、ペアーも何らかの脅威がいると感じて引きこもり始めた。一石十鳥くらいの結果であろ」
「確かにその通りだが……まあいい。私は魔術師を集めて死体の回収を始めるとするよ。事後処理が多すぎて大変だ」
そう言ってムドラストはメルビレイの死体の方へ進んでいった。
あれだけの数の死体、適切な処理をしなければ害になる恐れがある。
微生物が大量に繁殖して生態系のバランスが崩れたり、まき散らされた血液が多くの魔獣を招く恐れがある。
ただし、塩の殺菌効果で病害の可能性はある程度抑え込めている。
そして彼女と入れ替わるように、メルビレイよりも遥かに大きな生物が近づいてきた。当然、父の召喚獣クーイクである。
「おおよしよし、お前も良く頑張ってくれたな。褒美に俺の鋏をくれてやろう」
海龍クーイクはかなり父に慣れているようで、頭部を摺り寄せてきていた。蛇というよりは、犬に近い動きである。
ん、待て。今、父はなんと言った?
父がその大鋏でクーイクの頭を撫でていると、突如として彼は父の右鋏に食らいついた。
根元から引きちぎるようにその大きな牙で挟み込み、全身の力を用いてねじ切ったのだ。
「ん~うまかろう、うまかろう。良く味わって食え~。お前には最高の褒美であるはずだ」
海龍クーイクはおいしそうに父の大鋏を飲み込んでいく。そして父はそれをなんでもないかのように眺め、微笑んでいる。
かなりショッキングな映像だ。ロブスターの鋏なんて前世では美食そのものだったが、この身体になってからはただのグロ映像にしか見えん。
自分の身体は意識的にグルメの対象として見るようにしてたんだがな。
父の肉体はその全てが完成された魔法の結晶。身体の大部分が魔力で構成されている召喚獣には、これ以上ないごちそうだろう。
そして次の瞬間、またも唐突に父の右鋏が再生した。根元から生えてくる感じではなく、大鋏を丸ごと出現させて、合体ロボットみたいにドッキングした感じだ。
回復系魔法の中でも強力な、肉体生成魔法だ。
回復系には大きく分けて二種類の魔法が存在する。再生魔法と、肉体生成魔法。
より簡単なのは再生魔法で、自然治癒力を大きく向上させることで怪我を治す。しかし節足などの部位欠損や眼球、主要な内臓などは再生できない。
対して肉体生成魔法は、部位の欠損などに関係なく傷を完治できる。
こちらは肉体を魔力で疑似的に生成するが、あくまでも魔法で作り出した物。太陽に長時間当たったり微生物に分解されたりと、自然の肉体とは勝手が違う。基本的には戦闘中など、一時的に扱う魔法である。
しかし父の場合、これで生成した肉体を基に自然的な治癒力で新しい肉体を生成する。次の脱皮を待たずとも部位欠損を完治できるのだ。
俺にはとても真似できないことである。
「うむうむ、お疲れさん。また今度呼び出すからな~」
そう言って父は再生成した右鋏でクーイクの顔を撫でる。
すると今度は、海龍クーイクが蜉蝣のように儚く姿を消してしまった。魔力だけの存在になったのだ。
これが召喚獣。好きな時に自分の味方として呼び出し戦い、感情を共にする相棒。いつか俺も召喚魔法を身に着けたいものだ。