9『おちゃめな贈り物』
すいません、今回ほんのり「汚い話」です。
そんなにどぎつい描写ではないですが、苦手な方はスキップしてくださいませ……(次のエピソードとも微妙にリンクするので、そちらもスキップした方が良いかもしれません)
ねえ、とっても「美味しそうな地層」でしょう? 積み重なった土の層、まるでチョコレート・ミルフィーユみたいでしょう?
「……ははあ! なるほど、そういう見方もありますか……! 崖を見て『チョコのミルフィーユ』みたいと思ったことは、今まで一度もなかったですが……確かにそう言われてみれば……!」
はは! お兄さんノリが良いねえ! 良いね、そういうひと好きだよ、ぼく!
ほんじゃま、いっちょ自己紹介を……! ボクは土の妖精さんさ! ボクはこの崖の断層、この地層の魔気がこごって生まれたんだ。ちっちゃい体に、うす茶色のとんぼの羽根……どっからどう見ても「立派な妖精さん」でしょう?
……しっかし吟遊詩人のお兄さん、君はほんとにすごいねえ! こんなに素敵な歌を聴いたの、百年生きてきて初めてだよ! さすが人外のお兄さん、もう何百年修行を積んできたんだろうね!
「……おやおや? どうしてこの私が、人外だと思うのですか?」
あはは、そりゃあ分かるよ、おんなじ妖精の仲間だもんね! ニブい奴らは気づかないかもしれんけど、ボクは一目で分かったよ!
――ああ! ってか「自己紹介」っていって、名前も教えてなかったわ! ボクはファンゴ! ファンゴ・リームスって言うんだよ! んで、君は?
「それは……ちょっとお耳を貸してください!」
ふぅん? はいどうぞ。 ふんふん……へえ、そういう名なんだね! お仕事も吟遊詩人だし、物語を集めて回る君にぴったりの名前だね!
……でもさ、けっこう名前ってリスキーだよね? 真名を知られたばっかりに、悪い魔女に呪いをかけられちゃったりとか……!
なんか流れで訊いちゃったけど、君も普段はめったに名乗らないタチだろう? そんで今さ、顔つき見たら分かるけど、ちゃんと真名を教えてくれたろ?
……ふふっ、嬉しいなあ! ボクも名前を明かしたけどさ、素直な答えが返ってくるとは思わなかったよ! いやぁ嬉しい! めっちゃ嬉しいから、歌のお礼に良いものをプレゼントしちゃおっかな! ほら、お手てを出して!
……はいこれ! ねえ、これ何だか分かる?
「うーん? 茶色でころころして、アーモンドチョコレートのような……何なのかは分かりませんが、たまらなく甘い香りがしますね!」
はは、だいたい正解かな! これはねえ、ここらじゃ「香玉」って言われてるんだ! 珍しい化石の一種でね、ボクら妖精のご先祖がこしらえたものなんだ!
ご先祖は昔むかしの大昔、花の蜜や完熟した果実やら、甘いもんばっか食べててね……。って言っても太古の花や果実だから、現在とは全く別物だけどね!
とにかくボクらのご先祖は、その甘味をおなかの中で凝縮してね…それで君の手のひらの香玉とやらをこしらえたんだ!
――あはは、そう!
香玉はね、昔むかしの妖精の「ウンチ」の化石なんだ!
* * *
思いもよらぬ種明かしに、私はぎょっと手を見つめる。そのすきにとんだイタズラこぞうの妖精は、ぱっと姿を消してしまった。
ふと気づくとすぐ後ろに一人の青年がやって来ていて、クワを手に私に苦笑いしてみせた。
「あんた、旅人さんかい? 運がねえな、おおかた『土っ子』にからかわれていたんだろ?」
「……土っ子?」
思わず訊き返しながらも、手のひらのブツがどうにも気になってしょうがない。青年は気さくにぱんぱんと「巨きなチョコレート・ミルフィーユ」を叩いて説明してくれた。
「この断層に棲みついてる妖精さあ! 根は悪い奴じゃねえんだが、めちゃくちゃイタズラ好きでなぁ! 近ごろは近くの村のもんには面が割れちまったってんで、通りかかる旅人を捕まえちゃあイタズラして楽しんでるんだ!」
ああ、なるほど……!
まんまとだまされて苦笑する私に近づいて、青年は鼻をくんくんうごめかした。
「しかし何だ? 何だか妙に良いにおいがするような……んん!? 旅人さん! それは香玉じゃねえのかい!?」
「ああ、ええ……。土っ子が私にくれたんですよ。まさか糞の化石とは……」
笑うしかない私の手のひらにがぶり寄り、青年は頭のてっぺんからつん抜くような奇声を上げた。
「うわあ、こりゃすげえや! 旅人さん、あんたは本当に運が良い! 香玉はこんなに良い香りがするから、このへんじゃえらい貴重なんだ! それに『運がつく』ってことで、ここいらの金持ちはたいていこれを欲しがるんだ!」
……は? はああ?
ちょっと待って、じゃあこれは本当に心からのプレゼント?
「ウンチ」という事実と「価値のある」という情報が手をつなぎ、頭の中でダンスを踊る。現状についていけない私の手のひらを指さして、青年はうらやましそうに声を上げた。
「いやあ土っ子が何の気まぐれか!? 旅人さん、あんたは本当にあの妖精こぞうに気に入られちまったんだなあ!」
ううん、それは嬉しい。確かに嬉しい……。
――嬉しいけども、やっぱり「絶妙にビミョー」な気分! だってフンだよ? ウンチだよ? こういう時ってどういう顔したら良いんだろう??
降ってわいた「幸運」に置いてきぼりの私に向かい、青年は私の肩をがっとつかんで揺さぶった。
「た、旅人さん! その香玉を俺に譲っちゃあくれないかっ!?」
「これを、ですか……? ええ、いいですけど……」
「ありがたい! 旅人さん、それじゃあ俺の家に来てくれ! お礼はそこで渡すから!!」
――いや待て、ファンゴに悪いかな……?
ちらっとそうも考えたが、長旅のあいだ、カバンの中にウンチの化石が常にあるのも気が重い。流れで青年についていくと、近くの村の小さな家に行きついた。中には可愛い奥さんがいて、お茶をごちそうしてくれた。
青年は小さな金庫からありったけのお金を出して、香玉と交換してくれた。いかにも大事そうにフンのひと粒をつまみ上げ、とろけるような笑顔を見せる。
「旅人さん、本当にありがとう! このひと粒だけは家に置かせていただくよ!」
「え、ええ……? それはまたどうして……?」
「やあ、あはは……! こう言うと嫁さん孝行みてぇで気恥ずかしいけど……香玉は小さな卵みたいにも見えるから、安産のお守りにもなるんだよ!」
青年は照れ笑いながらそう言って、愛おしそうに奥さんの大きなおなかをなでている。私はますます訳の分からん気持ちになって、黙って微笑ってうなずいた。
うーん、正直ついていけない……いくら香りが良いとはいえ、ウンチをここまでありがたがるとは……。こういうのが「ところ変われば文化も変わる」というやつか?
内心でそうつぶやく私に、ご夫婦は「今夜は家に泊まっていって」とすすめてくれた。それは本当にありがたいが、新婚夫婦のお邪魔は出来ない。
私は微笑ってお誘いをていねいに断って、村の宿屋に落ちついた。いつもは絶対行かないような「お高い宿」に、一晩泊まることにした。――身の丈に合わない大金は、さっくり使ってしまうに限る!
宿屋についてまずしたことは、もちろん手を洗うことだった。青年の家でも手は洗わせてもらったが、だめ押しにいつもの十倍時間をかけて、念入りに念入りに手を洗った。
「……消えない!!」
手のひらの何とも言えない芳香は、どれだけ洗っても消えてくれない! いや、良い香りだけど! 確かにとっても良い香りだけど!! 悶えるように手を洗い続ける私のことを、宿屋に泊まった旅人たちは不思議そうに眺めていた。
……結局その芳香が消えたのは数日後。この世界に別れを告げて、異世界に飛ぶその日になって、ようやく薄れて消えてくれた。
けれどもおちゃめな土の妖精のおもかげは、何日経っても薄れなかった。
「ファンゴ・リームス」という妖精の名を、きっと一生忘れない。そして彼にそっと教えた私の真名も、ファンゴはきっと忘れない。
そうしてこのエピソードを本に書いている、今もきっと……。ファンゴのくれた香玉は、ひと粒っきり青年のお家で、絹の布にでもくるまれて大事にされているのだろう。
――ふうわりと何とも言えないあまぁい香りを、そこいらじゅうにふりまきながら!