6『色狂いの末路』
ああ、何て素晴らしい絵なんだろう! モデルもとびきり美しいが、描き手の腕もなかなかだ! ……なあんて、思わず自画自賛したくなりますね!
いやあ、本当にありがとうございます、綺麗な吟遊詩人さん! 突然の申し出にも関わらず、ボクの絵のモデルをつとめていただいて……!
「……ええ、こちらこそ……しかし本業は『歌うたい』、見た目より歌の方を褒めていただくと嬉しいですが……」
はは、それはそうですね! しかしこちらは絵描きですから、歌の美しさをキャンバスに描く訳にもまいりませんでね……!
それよりたった今完成した姿絵の方をごらんください! ねえ、素晴らしい出来だと思いませんか?
炎のような赤い長髪! 宝石めいた琥珀色の瞳! 背景に白い野バラをあしらって、羽根のない天使を思わせる荘厳さ! ボクの今までの画家人生、最高傑作かもしれません!
……ああ、すみません、つい興奮してしまって……! あなたのような魔物にも似た魅力あふれるモデルさんには、めったに出逢えないものですから。
「いや、外見ばかりを褒められても、どう応えていいものか……。それにしても、恐いくらい綺麗な色の絵の具ですよね。何か特別なものなのですか?」
ああ、絵の具! さすがだ、そこに気がつかれるとは……! ボクの絵を見て、絵の具にまで目が向く方はいませんでした! 美しい人は美しいものに、普通の人より鋭く反応できるのでしょうか?
……実はね、この絵の具、妖精の血を絞って作られているのです。
――おや? ずいぶんとすさまじいお顔をなさいますね! そう驚くこともないですよ……原料を採るにも、大した手間もかからない……!
ええ、別に珍しくもありません。原料はそこらを飛び回っている小さな妖精……花の蜜や花びらを食べて生きている、ここらではごく普通の存在です。虫みたいなものですよ。
ただこのへんの妖精は、食べる花の種類によって体液の色が違いましてね。
炎の色したチューリップなら深い紅、太陽めいたヒマワリの花なら鮮やかな黄色というふうに……。
ボクは十歳くらいから自分で絵の具を作っていたので、妖精の血に目を留めたのはとても自然な流れでした。
……いえ、何も難しいことはありません。アラビアゴムと防腐剤があれば、簡単に水彩絵の具は出来るのですよ。ただ普通なら各種の顔料を使うところで、妖精の血を使うだけです。
ただ妖精の血を使うと、どういうわけか絵の具の乾きが異様に早くて……手早く描くには便利ですが、すこしでも迷うと完全に乾いてしまうので、扱いは少しやっかいですよ!
……もしかして吟遊詩人さん、あなたも絵をお描きになる?
「――え? ……え、ええ、少し……子どもの落描きていどですけど……」
いやいや! そうおっしゃられる方に限って、本職もうなる秀作をさらりと描くものなのですよ! ぜひあなたの描いた絵を拝見したいものですね!
いやあ、絵を描く方とお話できるのは嬉しいな! 絵の具にもご興味がおありなら、こちらの奥の部屋へとどうぞ……!
……ほら、ガラスの容器のついた装置がたくさん並んでいるでしょう? この装置に捕まえてきた妖精を入れて、ジューサーのようにまるごとすり潰して血を絞るのです。
部屋にずらりと並んだかごに、妖精が詰まっているでしょう? これらが絵の具の原料ですよ。なに、何やらきやきや叫んでいますが、何の意味もありません。虫の鳴き声と同じですから、お気になさらないように……。
「…………この、部屋の真ん中に置いてある、ひときわ大きな装置はいったい?」
ああ、これですか? 大きいでしょう? 人間も入れそうでしょう?
これはまあ、趣味で作ったものですね……。
――ご存知ですか? 妖精は虫みたいに小さなものばかりでないと。ごくたまには突然変異で、人間のように大きい種類が生まれ出て、花の蜜の代わりに肉や野菜を口に入れ、人間のように暮らしていくと。
なんでもそういう妖精の中には、自分でも「私は人間だ」と思いこんで一生を終わるやからもいるそうですが……ねえ、まるでおとぎ話のようでしょう? 誰かがついた嘘かもしれない、でもずいぶんと夢のある話じゃあないですか!
ボクはね、そういう奴を運良く捕まえられたなら、この大きな装置に入れてたくさん絵の具を作りたいと……そう考えているのですよ。
そうですね、もしそんな幸運に恵まれるなら、黒い絵の具が良いですね! 漆黒の花なんてそうないですから、「夜色の妖精絵の具」はボクには夢のアイテムなんです……! ははは!
……は? なに、何をなさるのですか? いったい何を、乱暴な!
――ああ! 止めてください! この大きな装置にどうしてボクを入れるのですか! 出してください! ああ、あああ! 嫌だ! 死にたくない! 嫌だ!! いやだぁあっ!!
* * *
私はきつく目をつぶり、装置の赤いボタンを押した。画家の彼の言った通りに「ジューサーのような」音がして、しばらくの後に静かになった。
そっと目を開けて見てみると、装置の中は赤い液体で満ちていた。その色はじわじわと腐るように黒ずんでいき、やがて闇夜を思わせる漆黒の液体へと化した。
――気分が悪い。腹中に石を詰め込まれたオオカミみたいに、体が重い、のどが渇く。それでもまだ、やるべきことが残っている。
『……大丈夫かい? ほら、もう殺精鬼はいなくなったよ。安心して……檻から出ておいで、みんな……!』
かちゃり、がちゃり。
私は部屋に並ぶいくつものかごを全て開け、囚われの妖精たちを解き放つ。きらきらと妖精語でお礼を言う少女たちに囲まれながら、黒い絵の具をたっぷり使って絵を描いた。
死んだ彼の言った通り、絵の具の乾きは異様に早い。けれども黒い生絵の具だけはもってりと乾きが遅く、いくらでも重ね塗りが出来た。
私はこてこてと黒を重ね、黙って絵を描いていた。……やがて背景を漆黒で塗りつぶした、画家の肖像が描きあがる。私はその絵の右下に、白色でタイトルを書き入れた。
「色狂いの末路――同族殺し」。
そう、彼も妖精だったのだ。突然変異で人間のように大きくなり、羽根も持たずに、肉や野菜を食べて生きる特殊な妖精。
本人は気づいていなかったようだが、私には初めから分かっていた。
私も遠く妖精の血を引く、人型の魔物なのだから。
同族をむごく殺して無邪気にはにかむ彼の笑顔。そうして彼の耳には「きやきや叫んでいる」だけと思えた、妖精たちの悲鳴ときたら……!
『助けて! たすけて!!』
『このままじゃあたしたち殺されちゃう! ぐちゃぐちゃに潰されて殺されちゃうわ!!』
――ああ、たまらない! 知らぬふりなどとても出来ない! だが「自分は人間だ」と信じ込んでいる画家に「同族を殺すな」と訴えても、があがあ怒鳴り出すだけだろう。こちらを狂人扱いし、殴りかかって屋敷から追い出すだけだろう。
だから……やむなく彼を絵の具にした。
(やむなく? 他に手はなかったのか?)
(私こそ同族をむごく手にかけた、罪深い生き物じゃあないか?)
そう思う本心にふたをして、彼の屋敷を後にする。
――人間とは、違うんだ。自分は人間とは違う。
やたら人なつっこい面と、今のように簡単に命に手をかける二面性……。
いや、何を馬鹿なことを。人間がどうした? 魔物よりずっと残酷な人間だっているじゃあないか……、
言い訳なのだと解るから、私はしんと黙り込む。そんな私を罰するように、夏の陽がひたすら明るく降りそそぐ。解放された妖精たちが、ひらひら飛び回りながら私のことを賛美する。
『素晴らしいおかた! 優しいおかた!』
『あなたこそ天使! あなたこそ妖精の中の妖精!!』
美しい声でささめく言葉に、みしみし気分が沈んでゆく。
やがて妖精たちは歌うような賛美を終えて、ひらひらと自由な空へ飛んでいく。取り残された私は、あてもなく独り歩き出す。
……清くまぶしい夏の陽が、旅の背中をじりじり炙る。私は陽に灼かれて死にきれぬ吸血鬼のように、ふらふらと、ただふらふらと真夏の下を歩んでいった。