34『物語集むる物語』
「――あーあ! とうとう最後まで眠れなかったわ!」
ええ、そうですね……。ごらんなさい、窓の外がはちみつ色の朝日で明るんできましたよ。徹夜の瞳に、黄金の光がしみるでしょう。
さぁ、もうご自分のお部屋にお戻りなさい。旅人の部屋で一夜を明かしたなんて知れたら、ご家族にお叱りを受けますよ……!
「――ねえ、あたしを連れてって! あたしもあなたと一緒に、物語を探し集めて旅をしたいの!」
おやおや、困ったお嬢さんですねえ。
それでは、あなただけに真実を教えてさしあげましょう。もっとも本でお読みになって、とっくにお気づきでしょうけど……。
私はね、本当は魔物なんです。物語を食べて生きる人外なんです。世界と異世界を旅しながら、「物語」というごはんを探しているんです。
旅先で出会った人々に聞かせていただくお話はごはん、路銀のほうは選り抜いて本に書きとめた話を歌って、吟遊詩人で稼ぐんですよ。
……ですからミモザ、私のような人外についてくるなどおよしなさい。私なんかと一緒にいたら、あなたはじきに人間ではなくなる。
……そう、私の魔気に染まったあなたも、『物語奇集人』になるのです。物語を探し集めて旅しなければ生きられない、寿命ばかりが永い魔物に!
「それでもいい、あたし一緒に行きたいの! それに……あなたは、あなたこそ、これっきりあたしと別れて平気なの?」
……おや? これは何とも思わせぶりな……!
――分かりました。それでは一緒に旅立ちましょう。朝日が昇りきる前にひっそりふたりで旅立ちましょう。さあ、あなたが親しんだこの宿屋にもお別れを。
ああ、朝日が目にしみる……。お手をどうぞ、ミス・ミモザ。今さらながら自己紹介を……。
私は「ストーリ」と申します。ストーリ・ストール・ストーリア。
物語を食み、物語を歌って生きる、しがない魔物でございます。以後よろしくお見知りおきを!
* * *
誇らしく右手を伸ばしてストーリは、しみじみとミモザの顔を見る。
金色のふんわり波打つボブヘアーと、その髪にちらちらと見え隠れするアザを見つめる。あの獣面の少女の首すじにあった、赤くて可愛い花型のアザとまるきり同じ……。
「……あら? アザが気になる? これね、生まれつきなのよ。あなたがずっと探していた、『フィエラの生まれ変わり』の証よ!」
耳たぶに甘く嚙みつかれた想いがした。腹の底から体じゅうじわじわ熱が回ってくる、返す言葉が見つからない。人外の青年は、金魚のように口をぱくぱくさせてから、かすれきった声音で聞いた。
「……思い出して……いたんですね?」
「えぇ、そうよ! あたし最初に言ったじゃない、『お昼寝したらおかしな夢をたくさん見たわ』って! おかしな夢って前世の記憶よ! あたし初めから言ってたのに……!」
ストーリはただ黙ったまま、泣き出すような笑顔を浮かべる。ミモザはその笑顔を見上げて、ぷっくりと腫れたまぶたでまばたきする。
「……それに、フィエラのお話読んで、あたし号泣したじゃない? あなたは黙ってハンカチで、涙を拭いてくれたけど……そのへんでもう、あなた気づいていたんじゃないの?」
「――気づいていたよ」
ぽつりつぶやき、ストーリはどこか痛んだように微笑する。
「始めから気づいていたよ、その首すじの赤いアザ……。出逢った時から気づいていた、昼間チェックインする時から……でも、あなたは分かっているの?」
まっすぐ目を見て訊ねられ、少女は訳も分からずひるむ。真剣すぎる目の光で、ストーリはなおも問いかける。
「人外の運命、物語奇集人のさだめ……『十五の歳からひとり旅』という一族の習い、いずれ子どもが出来たとしても、十五になったらさよならだ……」
ストーリはミモザの肩を抱きしめるように、いつくしむように手で包む。包む手にそっと力を込めて、琥珀色の深い瞳で、見つめながら問いかける。
「あなたは、いつか独りになる。永いながい寿命も尽きて、きっと私は先に死に、子どももすぐに一人立ちして……」
一言ひとこと、刻むように言うくちびるを、少女がじっと見つめている。萌黄の瞳に満ちる光が、水面のようにゆらゆら揺れる。
「……あなたは必ず、独りになる。解決策は、今はない。……それでも良いの? 覚悟はあるの?」
「…………分からない」
少女はぽつりとつぶやいて、大きな瞳をくしゃくしゃにして吟遊詩人の目を見つめる。
「――分からないけど、今この瞬間、あなたと別れたくないの……!!」
ストーリの瞳が、甘く揺らいだ。人外の青年はすっと柔らかくひざを崩し、かがみこんで小さな少女を抱きしめる。甘い言葉の一つも出ない。しゃべれば、きっと泣いてしまう。
……しばらく声もなく抱き合って、青年はゆっくりと身を引いた。気がつけば、お互いのパジャマ姿はそれぞれに外出着になっている。
ストーリはキャメルイエローのマントに着慣らしたシャツとパンツ、帽子に大きな旅行カバン。ミモザはおとぎ話のアリスの着るような、ひらひらの青いエプロンドレス……。
「……こういうのが趣味なのね?」
ぽそっと小さく突っ込まれ、「魔法」を使った青年はまいったなあと苦笑う。苦笑いながら、右手を少女へさし伸ばす。さし伸ばしてからふと迷う手を、ミモザは逃がさずきゅうっとにぎる。
宝石のような萌黄の瞳に、ストーリは心の中で語りかける。口にはしない、してはいけない。
――前世の君に出逢えてから、私は変わったんだよ、ミモザ。
歌が全てと、思っていた。
歌えない自分に価値などないと。
でも今は違う。歌えないなら、語ればいい。語れないなら、書き記せばいい。歌は一つの手段に過ぎない。
だから、今はね。ただ君に歌うためにだけ、私の声はあるんだよ――。
そっと握る手に、力を込める。そのことに気づいているのか、いないのか、萌黄の瞳をきらめかせ、少女は微笑っておねだりする。
「……ねえ! 今度はちゃんと聞かせてね! あなたの素敵な歌声を!」
声が目にまで沁みとおり、まぶたの裏が熱くなる。ストーリは琥珀色の瞳をにじませ、声も出せずにうなずいた。
「……あら、なぁに? また泣いてるの? 転生前から思ってたけど、あなたって本当泣き虫さんね!」
ストーリは涙ぐみながら笑い、何度もなんどもうなずいた。そう言ってからかうミモザの声こそ、ごまかせないくらいにかすれて濡れていることに……こっちの方が大人だから、気づかないふりをしてあげた。
青年と少女は抱き合うように手をつなぎ、夏草の野原を歩き出す。
ストーリの持つカバンの奥で、赤銅色の本がじんわり熱を帯びてくる。何も記されていなかった表紙に、じわじわと文字が浮き出てきた……。
――『物語奇集人』と。
本のささやかな祝福に、ふたりはいつごろ気がつくだろう。
宿の花壇に白く咲いているくちなしが、ストーリと同じ香りで二つの背中を見送っていた。
(完)




