31『いびつな桃源郷(エデン)』
すごい、すごいわ、人間の吟遊詩人さん! お口がたった一つなのに、とってもお歌が上手いのね!
あたしもひとり、この国の歌うたいを知ってるの。彼にはお口が三つあってね、それぞれのお口で男の声と女の声と、子どもの声を出せるのよ。
彼もお歌が上手いけど、でもあなたには敵わないわね! あなたはお口が一つなのに、小鳥の声やけだものの雄叫びまでも出せるんだもの! ねぇ、異世界から来た吟遊詩人のお兄さん、もっといろいろ歌ってみせて!
「ええ、喜んで……けれどお嬢さん、その前に何か面白いお話をご存知でしたら、聞かせていただきたいのですが……!」
分かった、お仕事のお話の種にするのね! うーん、それじゃあこの国の昔話をしようかな。
この国は名を「山都」と言ってね、昔から人間と妖怪が住みついてたの。とっても仲が悪くてね、しょっちゅう戦争をしていたの……初めのうちは人間が負けていたけれど、そのうち人間は鉄砲や大砲なんかを発明して、だんだん妖怪が圧されていったの。
そのうち妖怪は大きな戦で負けてしまって、妖怪の長の娘さんが、人間の長のひとり息子のお嫁にやられることになったの。
「お嫁に……ですか。いったいどういう理由があって……?」
理由? ありがちよ、ありがち! 表向きは「友好のしるし」ってことだったけど、ようは人質よ、生け贄よ。「少しでもおかしなことをしたら、この妖怪の命はないぞ!」っていうやつよ!
それでね、妖怪の姫はとっても気が弱いひとだったの。ひとり息子とお布団の上にふたりきりにされた時なんか、気絶しそうに怖かったの……! (でもここで怯んでは)とありったけ勇気をふりしぼって、姫さまは必死で夫をおどしたの!
『やい人間、我ら妖怪を戦で負かしてたいそういい気になっていようが、われわれ妖怪を甘く見るなよ……! お前とわらわのどちらが人質でどちらが贄か、よっく考えてみるがいい!』
びくついて固まったひとり息子に、姫は死ぬ気で追い打ちをかけたの。
『わらわには鋭い牙も角もある。人間が我ら妖怪にあまり無体な仕打ちをすれば、お前も生かしてはおかぬ……! お前をはじめ人間ども、よっく考えて我ら妖怪と接するが良い!!』ってね!
「ふうん……? 気の弱いお姫さまにしては、ずいぶん格好良いですね?」
あはは、そりゃそうよ、吟遊詩人さん! 姫さまはお嫁入りが決まってから、この言葉をずーっと練習してたんだもの! ……でね、話を続けても良い?
ひとり息子はそんな言葉を浴びせられて、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしたの。そうして姫さまの手をとって、泣き笑いながらこう叫んだの。
「――素晴らしい! 今の今まで知らなかった、こんな気高い女の方は!」
『――……は?』
今度は姫さまの方が固まっちゃったの、答えがあんまり意外すぎて! そんな姫さまのすっきりと蒼い手をつかんで、長の息子は告白したの。
「実はわたしも心底から願っておりました……『人間と妖怪が共に生きる道はないか』と! しかし生まれつき気弱なもので、人間の長である自分の父に意見することも出来ません!」
『…………はあ』
姫さまは予想外の展開に三つの目玉をぱちくりしたの。そんな姫さまに抱きつかんばかり、嬉し泣きの涙をぬぐってひとり息子は打ち明けたの。
「今回の戦で人間の方が勝ってしまい、これはもう共存の道は断たれたかと……しかしあなた、こんな気高く美しい、こんなお方を妻に出来れば百人力!」
ひとり息子は目をきらきらさせながら、にぎる両手に力を込めて言ったのよ。
「どうかあなた、わたしと共に力を合わせ『人間と妖怪が平和に暮らせる』、そんな世界を目ざしましょう! もちろんわたしも変わります、どう間違ってもあなたに危害が及ばぬように、生まれ変わって強い人間になりましょう!」
言うなり人間はぎゅうっと姫さまを抱きしめたの……。いきおいで人間の肌に姫さまの頭の角が当たって、ひとり息子は「痛い」って甘くこぼしたそうよ。
それからはもう、お話は良い方に転がるばかり! とんとん拍子とはいかないけれど、ひとり息子と同じように考えるひとも本当はたくさんいたんだものね。
そうして妖怪と人間とで結ばれる夫婦もたくさん出来て、血の混じった子どもたちもたくさん産まれて……。何千年も経った現代では、皆がみんな「混じりっ子」なの。
「それでは、お嬢さん、あなたもやはり……?」
そうなの、あたしもそうなのよ! 「妖怪の血」の方が強く出るのか、今は山都の生き物たちはみんな妖怪の見た目なのよ!
だから吟遊詩人さん、あなたみたいな人間はここではとっても珍しいの! みんなあなたのことを見たら、そろって歓声を上げるわよ! ぜひ長くこの国にとどまって、いろんなお話を聴かせてね!
* * *
そう言って一つ目の少女は、顔いっぱいの瞳をきゅうっと細めてはにかんだ。とたんに大きく風が吹き、びょうびょうともの錆びた声があたりに響く。
《お姫さま、お姫さま! またどちらまでお遊びですか!? もうじきお勉強の時間です、次は歴史の時間ですぞ!》
その声を耳にしたとたん、少女はむっと口もとを引きしめた。今さっきまでとはまるきり違う口ぶりで、幼いながら精いっぱいの威厳をもって風に応える。
「あい分かった! 山都国の姫椿、ただ今より帰還する!」
返事とともに少女の背から真っ黒な羽根が花開き、一つ目の少女は赤い着物で宙に舞う。大きなカラスの精のような生き物は、こちらを見やってあどけない顔で手をふった。
「――それじゃあね、素敵な吟遊詩人さん!」
顔中の目で可愛く微笑い、山都の姫さまは黒い羽根をひらひら散らして去っていった。
……地に落ちた美しい羽根を拾いあげ、ちょっと口もとへ当ててみる。ふわりと心地よい感触に、ちょっぴりの後ろめたさがこみ上げる。
「……本当は、人間ではないんですがね……」
今さら口にしてみても、もう姫さまには聞こえまい。
あんまり嬉しそうなのでつい言いそびれてしまったが、本当は私も魔物だ。しかも異世界を渡り歩いて目にしてきたのは、ここよりずっと荒んだ世界。
妖怪と人間がとうの昔に和解して、まんべんなく血の混じり合った国なんて、これより以前に見たこともない。人間同士、あやかし同士で殺し合う絵面さえ、うんざりするほど目にしてきた。
そういう話は好きではないので、ほとんど本には書きとめない。書きとめないから数が少ない――ただそれだけの理由である。
そこからすればここは天国だ、楽園だ。……もちろんあやかしを嫌悪する人間が見れば、「地獄そのもの」と吐き捨てるだろう。けれどもここは本当に素晴らしい国だ。
そうして私には、好きな場所に移動できる能力はない。いったんここを去ってしまえば、おそらく二度とたどり着けない。
……けれど、私には旅しかない。ここに留まることは出来ない。だから私はぶわりと目の前の時空を歪め、次の世界への扉を開ける。
「……お姫さま、どうか末永くお幸せに!」
聞こえない祝福をつぶやいて、いびつな桃源郷にさよならした。
次の世界はどんなだろうか。
願わくば、今の世界の五分の一でもかまわない、争いの少ない穏やかな世界であってほしい。そうしてこの私の歌が、欠片でも良い、次の世界を少しでも良くするきっかけになれたなら――。
むちゃな希望を胸に抱き、羽根を味方に、ぐいっと一歩を踏み出した。




