26『魅入られた美声』
あたし、あなたの美声が欲しいわ!
男声と女声と、小鳥と獣と虫の音と……! 世界じゅうの綺麗な音をみんな合わせたみたいな声! あなたみたいの初めてだわ、また悪い虫がうずいちゃう……!
ねぇねえ! あたしと勝負しない? あたしはこれでも美声では、ここらで名が知れてるの。そうしてあたしがゲームに勝ったら、あなたの声をいただくわ。
「声を……いただく?」
えぇそうよ、そうなったらあなたは声を失うの。歌も歌えなくなって、のどの渇いた病人みたいにかすれた声しか出せなくなるの!
「それは……私に何のメリットが?」
あら、それはもちろんゲームだもの! もしあたしが負けたなら、あたしの声をあげましょう! ……今までさんざ奪ってきた、いろんな生き物の美声をね!
あら、汚物でも見るような目をするのね。お綺麗な心の吟遊詩人さんには、刺激の強い事実かしら? ……そうよ、あたしは魔女なのよ。「悪い魔女」と言った方が正確かしら?
あたしは美声に目がなくてね。あなたみたいに素敵な声の持ち主を見つけると、欲しくてたまらなくなっちゃうの! 自分ののどからその声を出したくなっちゃうの!
……だからあたしはいつだって自分の欲望に従って、いろんな人や生き物の声を奪って生きてきたのよ。
ほらほら、聴いてごらんなさい? 若い女から野獣の気高い雄叫びまで、こののど一つで思いのまま! そうしてあなたの美声が手に入ったら、どれだけあたしのレパートリーが広がるでしょう! 考えただけでたまらないわ!
――さぁさあ! あたしとゲームしましょう!
あ、言っとくけど負ける気はさらさらないからね? 何せあたしの体には百種類以上の声が詰まっているんだもの!
あなたの声がどれだけ素晴らしくても、あたしが本気を出したら到底かなわないでしょう? あなたの技量と才能に、あたしは魔法で奪った「数」で勝つわ。
「――分かりました。私が先に歌います……それで良いですか?」
ふふ、案外いさぎよいのね。それだけ素晴らしい声だから、泣いて惜しむと思ったけれど……?
ああ! それともまさか、あたしに勝つ気でいるのかしら? ……ねえ、さっきから何なのその目、「その通りです」とでも言いたいの?
――はん! 若造は身のほど知らずねえ! こんな年若い見た目でも、あたしは二百歳を超える老怪よ。なめていたら大ケガするわよ!
……ふん、まあ良いわ。歌ってみなさい……あ、あぁ……あなた、本当に良い声ねえ……! その目のままでよくそんな恋歌が歌えるものね……! 切ない言葉に甘い声、何だか涙が出てきちゃうわ……!
……あぁ、涙をぬぐう間もないうちに、今度は一転楽しい調べ……! 心が弾んでしょうがないわ、何だか踊り出したくなっちゃう……!
……っあぁっ!? これは何!? 足が勝手に踊り出したわ! ぎ、吟遊詩人、あなたなの!? あなたの歌のせいでこんな……っ!
い、嫌! 足が勝手に、止まらない! こっちの方は崖じゃないの、崖の下は海じゃあないの! ま、魔法、魔法で逃げなきゃ、足を止めなきゃ! ――ああ、止まらない、止まらない!!
* * *
私は闇色の憎悪を込めて、楽しげな歌を歌い続ける。腹の立つほど、憎いほど、リズムはぽんぽん跳ねて弾んで……、
魔女はぐるぐる奇怪な踊りをおどり、百種類の声をとっかえひっかえ私のことを罵っている。私はそれでも歌を止めずに、愉快な調べを口で奏でる。
さあ落ちろ、落ちろ、オチテシマエ。
崖のふちで頑張っていた黒魔女の足が、がくっと下へ吸い込まれる。齢二百を超える老怪は――といっても私とそう変わらぬ歳だが――すさまじい断末魔の叫びを上げて、荒れ狂う冬の海へと落ちていく。
「おのれぇ吟遊詩人!! ただでは死なぬ、お前に呪いをかけてやるぅう!!」
どぼん……と、あっけない音がした。
私は一つ吐き捨てるように息をつき、崖の上から下をのぞいた。しぶきを上げて土壁にうちかかる波のほか、なに一つ目に入らない。これほどに冷えた冬なのだから、やつの命の炎もすぐ尽きるに違いない。
ふざけるな――と、声なしで改めて吐き捨てる。
勝負を投げたつもりはない。そんなくだらない遊び半分のゲームなんかに、私の全てを賭けてたまるか! 自分では何の努力もせず、人のかけがえのない声をコレクションしてニタニタ笑う。考えるだけで虫酸が走る!
「……呪えるもんなら呪ってみやがれ!!」
つばを吐くように言い捨てて、私は崖を後にした。
それからしばらく歌いながら歩いていたが、どうもいつもの調子が出ない。のどに軽石の詰まったような感覚がある。すこしおかしいな、と思いつつ、私は歌を歌いやめた。
その後は言葉を発さずに、近くの町まで歩いていった。ふらっとお菓子屋に立ち寄ると、綺麗な少女が涙ながらにお客をつかまえて叫んでいた。
「戻ったのよ、わたしの声が戻ったの! ほら聞いて、ちゃんと喋れているでしょう!? あの魔女の呪いがなんでか解けたのよ! ああ、神様! 奇跡だわ!!」
少女は泣きながら笑い、笑いながら泣きながら、美しい声で叫んでいた。まわりの人も皆がみな、目を潤ませて喜んでいた。
ああ、良かった……そう思い微笑む私ののどから、こほっと一つ咳がこぼれる。
(風邪だろうか?)
冬の海風に吹きさらされていたものだから、体が冷えたのかもしれない。薬のつもりでジンジャークッキーを一袋買い、喜びにあふれるお菓子屋を後にした。
道すがら「獣の顔をした少女」の話を小耳にはさんだ。今度はその方を訪ねてみようと、クッキーをちびちびかじりつつ、木枯らしの町なかを通り過ぎ、町のはずれへ足を踏み出す。
もう一つ、さっきよりわずかに重い咳が、こほっとのどを通って漏れた。




