23『悲劇の歌姫』
へぇ、あなたずいぶん綺麗な声をしてるじゃないの!
……でもまあ、あたしに言わせりゃまだまだね! 昔のあたしの歌にはまったく敵わないレベルだわ!
あらぁ、怒った? 怒ったの、あなた? 切れ長の琥珀色の目がつり上がって、その表情も素敵ねえ!
ふふ、そんなにキビシイ顔をしないでよ! 軽く笑って許してちょうだい! どのみち「昔の話」だものね!
「……へぇ。なぜ『昔の話』なんです? 何かの理由で歌えなくなったと? それ相応の訳を聞かせていただかないと、『本当はろくに歌えない人』に無駄なケンカを売られたとしか、私は思えないのですが……?」
あはは、ずいぶん根に持っちゃった? でも本当の話なの、あたしは昔「歌姫」だったの!
ほら、向こうの山の手前にそびえている、あの歌劇場をごらんなさい! あたしはあの劇場を観客でみっちみちにできる、ここらへんの歌姫だったの!
でもね、何度も言うけどそれはもうずっと昔の話。今のあたしは普通の夫の普通の妻、小さな子どものお母さんなの。
……なんでか知りたい? このあたしが、稀代の歌姫から一般市民に「転落」した訳を……。
ふふ、そんな恐い顔して噛みつきそうにうなずかないでよ! 分かったわ、まずはこんな道ばたじゃなくて、あたしの家においでなさいよ! 機嫌を損ねちゃったおわびに、お茶とお茶菓子をふるまったげるわ!
* * *
……どう? 温かい紅茶と手焼きのクッキーで、少しは気分が落ち着いた?
「……えぇ、まあ。歌はどうだか知りませんが、お菓子作りの腕はなかなかのようですね……!」
あはは、お口がキツイわねぇ……あなたってば、ずいぶん自分の歌にこだわりがあるのねぇ! なんならもっぺん歌ってみる? このアパートは壁が薄いから、ささやき声でお願いね!
……なぁんて、いつまでも若い子をからかってないで……それじゃあそろそろお望みの本題に入りましょうか?
あたしはね、昔みなし児だったの。
見てよ、あたしのこの瞳を。ほんのり桜の花の色、淡いピンクの色でしょう?
ここら辺では一つの有名な伝説があってね。神様にたてつく「地獄の魔王」は、血のように赤い瞳をしているって言われるの……。その伝説のせいで、人間の中でもまれに生まれる「赤い瞳の子ども」はたいていひどい目に遭うの。
軽くて周りから無視される、ひどいと生まれてすぐに親に捨てられ、あとは運良く誰かに拾ってもらえても、一生奴隷扱いよ。「悪魔の子」「アクマの子」って真正面から罵られてね!
……あたしの瞳は、そこまでひどくない「赤」よ。でもお定まり、生まれたばかりで実の両親に捨てられてね。それも孤児院つきの教会に!
つまりは「教会のかたがた! こいつを悪魔の子として葬っても、お情けで育ててくださってもご自由に」ってことでしょう? あんまりね! いくら伝説に縛られていたって、人間のすることとは思えないわ!
……で、まぁ、あたしは命を助けられて「お情けで孤児院で育てられる」ことになったのよ。
そりゃまあみんな、教会の人も同じ孤児たちも、腫れ物に触るように接してくれたわ! あたしが一言話しかけると、みんなの肩が「びくっ」って面白いくらいにはね上がるの!!
でもあたしは、自分で命を絶とうとは思わなかった。孤児院の中にたった一人、あたしと普通にしゃべってくれる男の子がいたからね。
彼の名はエリック。……彼は両親ともある巨きな施設の奴隷で、エリックも一生奴隷として働かなくちゃならないところを、教会の人たちの「施設調査」で発見されて、救い出されたの。
「……それで、エリックさんのご両親は? 一緒に助け出されたんですか?」
ううん、その時にはもう死んでたわ。炭鉱で炭掘りとか、ひどいことをさせられて、ろくな食事も与えられずに……栄養不良の体が傷んで、もう両親ともとっくの昔に亡くなっていたの。
とにかくそんなエリックにも、まともに友達と呼べる相手はいなかった。あたし以外には……。エリックはごく普通の顔をして、あたしの瞳の色なんかまるで気にしていない風で、楽しそうに話しかけてきた。
あたしたちは自然と仲良くなっていって、十代の初め頃には「誰もうらやまないカップル」になっていた。でもその頃から、あたしの心はだんだんよそに移っていったの。
……どうしてって? あたしには歌の才能があるって、自分も周りも気づきだしたの。初めは教会で聖歌を歌って、やがてチャリティーのコンサートでメインのボーカルを務めだして……。
そうしてある日、あたしは有名なオペラ歌手のプロデューサーに声をかけられたの。
「アリア! 君は満場の観客をどっと沸かせる、大スターになりたくないかい?」って!
あたしは迷わず「はい」と答えた! それからの数年は、もう今までの人生が嘘みたいな喜劇だったわ! 通りすがりの人に笑顔で「アリアちゃん!」って声をかけられる、舞台の上であたし一人が聴衆の感動を独りじめ!
「ぜひともお嫁に!」って声まで数えきれないほど出てきて、でもあたしは誰にも「うん」と言わなかった。
「……それは、エリックさんがいるから?」
『エリックがいるから』? まぁ、とんでもない! あたしの歌う歌劇場に併設された、レストランのボーイになってたさえない男なんて、あたしもうどうでも良かったの! あたしは「今の自分にもっともふさわしい相手」を、いろいろ吟味していたのよ。
……そんなあたしに、ついにふさわしい相手が現れたの。なんとこの国の王さまよ! 王さまは当時から「あまり『賢君』とは言えない」って、市民に評判が良くなかった。しかもあたしは王さまの十二番目の妻になるってことだった。
でもあたしはそれでも良かった。だってこのあたしがよ? 「悪魔の子」って孤児院で陰口たたかれてたあたしが、この国の王さまの奥さまよ? 十二番目だってなんだって、晴れてこの国の女王さまよ! これは乗らない手はないじゃない!!
……そうして、あたしは王さまとの結婚式に花嫁姿で舞台に立った。そう、いつもの大舞台で「結婚式の余興」が催されたのよ。
それはこの国に棲まう「土地神さま」をご招待して、美声を誇るその女神さまとあたしを、歌で対決させるもの。あたしは自信満々だった、だってあたしほど美声の生き物なんて、この世にいるはずないんだから!
胸を張って歌い出したあたしの声は、女神さまが歌い出したその瞬間から、急にあやふやになっていった。
だってあたしの声はいくら「澄んでて綺麗」っていったって、せいぜいが小川のせせらぎていど。……でも女神さまのお声は、「国宝級の大滝」みたいに圧倒的に美しかったの! それこそ透ける水しぶきで、大きな虹さえかかるくらいに!
……でもね、勝負には結局あたしが勝ったのよ。
え? なんでって? 出来レースよ、出来レース! この国の王さまの、たとえ十二番目めの妻とはいっても、結婚式の余興で客に負けたらてんでかっこうがつかないじゃない!
それであたしは、神に向かって指を突きつけて言ったのよ。
「どうだ、いくら神とは言っても、この国の王の妻、この麗しき歌姫にはかなうまい!」って!!
「……それもまた、『仕組まれていたセリフ』ですか?」
そりゃそうよ! 本心からあたしがしゃべったら「参りましたあ! 弟子にしてください!!」しかなかったもの! でも当時のあたしは、プロデューサーの言いなりになるしかなかったの。
当然、神さまは怒ったわ。神の自分を呼びつけておいて、採点制で仕組んで自分を負けさせて、あげくに「自分よりあきらかに腕の劣る」小娘に侮辱されたんだもの!
女神は言ったわ。「そんな半端な歌の腕なら、歌えない方がいっそ良かろう! アリア、なけなしのお前の美声はいただくぞ!」って……。 そうして女神はさあっと起きた突風を巻いて、舞台から消え去ってしまったの。
あたしの声が……思わず確かめるように歌ったあたしの声は、もう全然違うしろものになっていた。声を張り上げれば張り上げるほど「怪獣のお産」みたいな怪音が出てくるの!
……それからの転落は早かったわ。王さまとの結婚は取り止めに、プロデューサーも取り巻きもあたしを見限って契約終了、今までのファンも「神に呪われた娘」って後ろ指を指すように……。
でもまあ、あたしそーとーテングになってやりたい放題やってたから、まあ当然のなりゆきだけど!
――そうして、名声を失ったあたしにただ一人寄り添ってくれたのが、誰あろうエリックだったっていう訳ね。……エリックは、エリックだけは、才能もなんにも関係なしに、そのまんまのピンクの瞳のあたしを愛してくれていたの。
何のことはない、女神さまの呪いこそが「あたしを本当に愛してくれている人」を探す手段になった訳よね。
あたしは彼にプロポーズされた。そうしてあたしは高級い住まいから、エリックの住むこのアパートに引っ越して……ほどなく可愛い息子に恵まれ、今でもここで家族三人で暮らしているの。
今は、良かったと思えるわ。もしあのまま「十二番目の妻」になっていたらと思うと、ぞくぞく悪寒がするくらい……! そんな時も、となりのエリックが優しく肩を抱いてくれて、静かな口ぶりでなだめてくれるの。
今は息子に小さな声で、子守唄を歌ってあげるのが精いっぱい……でもあたし、もう歌に未練はないのよね。
大勢の他人を「感動」させるより、自分の本当に大事な人のためにだけ、歌えるっていうこの暮らしが、大好きで幸せでたまらないのよ!
* * *
私は何とも言いようがなく、ただ長めの話に冷めかげんのお茶をすする。
「ママ」と言いながら、内気そうな男の子がてこてことアリアのそばに来た。アリアはなんのかの自分の息子を甘やかし、小さな声で歌を歌う。
美しい歌だった。舞台の上で声を張って歌ったら、確かに私よりずっと素晴らしく歌えるだろう。しかし彼女にはそれが出来ない。出来なくても良い、と心底から言うご婦人は、私よりずっと幸せそうだ。
――ただ、私はそこまで悟れない。「歌の他に誇れるもの」というのが、自分にはまだないからだ。勝ち負けの問題ではないのだが、何だか妙に負けた気がした。
そうして目の前の「歌姫」より、ずっと美しい歌声の主が……「国宝級の大滝」のような歌声の女神がいるという事実。そんな話を聞かされたら、気持ちの持って行き場がない。
そんな気持ちになっているのを知られたくない。これ以上何かに負けたくない。だからお茶とお茶菓子のお礼を言って、私は椅子から立ち上がる。立ち去る時に、男の子がはにかみながらクッキーの詰まった袋をくれた。
「はい、あげる。旅のとちゅう、おやつに食べてね……ママのクッキー、美味しいからね!」
「おやつに食べてね」までママに優しく言わされた少年は、「美味しいからね!」とつけ足して、本当に幸福そうにぽちゃっとしたほおをほころばせた。
私はなんだか、完ぺきに負けた気分になった。
歌も歌わず独りとぼとぼ歩く道々、手焼きのクッキーをぽりぽりかじる。
……美味しかった。シナモンの香りとはちみつの甘みがしみじみ舌に優しくて。自分の気持ちとないまぜに、記憶に灼きつく味だった。




