2『おいしい名前』
……ねえ、異国の旅人さん。
はんごろしが良いですか? みなごろしがお好みですか?
――わあ、違うんです、すみません! すごい顔して戦闘の構えをとらないで!
違うんですよ、そうじゃない! 今召し上がっているおやつの話! そのおはぎの話ですよ! はんごろしは蒸したもち米を半分潰した、みなごろしは全部潰しておもちみたいにした状態のことなんです!!
「ああ……なんだ、そういうことか! 『旅人を殺して有り金をぶんどって……』とか、そういう話かと思いましたよ!」
ええ、やだなあ、心外ですねえ! そういうことをするように、このぼくが見えますか? いやでも、確かに急に言われたらびっくりしますよね……!
「ええ、心臓が飛び出るほど驚きました……! しかし美味しいですね、この『おはぎ』! 初めは『チョコをまぶしたお菓子かな?』と思って、食べてみたら甘く煮た豆……! 舌がびっくりしましたが、あんこっていうのも味わい深いものですねえ……!」
はは、どうぞいくらでも召し上がれ! それはぼくも好物ですから、毎年妻がたくさん作ってくれるんですよ!
いやあ! それにしても、素晴らしい食べっぷりですねえ! そのすらりとしたお体のいったいどこに入るのか……? 妻手作りの大きなおはぎ、あんこときなこ五つずつとは!
いやいや……異国からの旅人さんが、美味しそうにこの国の伝統のおやつをほおばるのは、しみじみ嬉しい景色ですねえ……!
「ふふ、どうもごちそうさまです! ……あの、これほどごちそうになった上に、こんなおねだりも何ですが…… あなたは何か、面白いお話をご存知ですか?」
面白いお話? うーん、ひとつあるにはありますが、まるで「おかしな話」ですから……信じていただけるでしょうかね……?
「おかしな話? それは嬉しい! ……や、ただの物好きではないんです! 実は私は、流しの吟遊詩人なんです。そういう不思議な話の方が、仕事の種になるものですから……!」
吟遊詩人? ……あの、世界じゅうを旅して回って、仕入れたいろいろなお話を歌に仕立てて稼ぐという? へええ! うわさには聞いたことありますが、お逢いするのは初めてです!
ははあ、なるほど……! 分かりました、そういうことならお話させていただきましょう。この国の年中行事にかかりますから、異国の方には少しややこしい話でしょうが……。
この「日乃本」という国には、年に何度か墓参りの日がありまして……秋にする日を「秋彼岸」と言いまして、あなたが今召し上がったおはぎを供える習わしなのです。
もちろんさっきも言った通り、ぼくもこれが大好きでして! お墓参りの日というよりは、「おはぎを食べる日」を子どものころから心待ちにしていました。
ただこのおはぎを供えられるのは、ご遺族のいるお墓だけで。身よりもなしに亡くなった方は、そのひとたち専用の小さなお墓に埋められるので。無縁仏のお墓といいます。
そこには気まぐれに誰かのあげる線香が二三本あれば良いほうで……。無縁仏のお墓はいつでもひっそり、おはぎのお供えはひとつもなしに、毎年しんねり建っていました。
……ところがある年から、そのお墓にお参りするひとが現れたのです。
ほら、この小さな庭のすみっこに……あなたの髪色そっくりの、火のような花が咲いているでしょう? あれは彼岸花といって、ちょうど今ごろ、秋彼岸のころ、あぜなどに並んで燃えるように咲くのです。
その花をおかっぱ頭に一輪さして、黄ばんだ麻の着物を着て、無縁仏の墓前に泥だんごを供える子ども……。
真夜中にお供えをして、頭にさした赤い花もお供えして、それが終わるとすうっと消える……幽霊の女の子が出るようになったのです。
そのうわさが立ってからは、もう誰も夜中にはお墓に行きません。
そうですねえ、誰が言い出したんだっけ……酔っぱらいの茂助かな? いたずらこぞうの栗吉だっけ?
まあとにかく、そのうわさが立ってからは「さわらぬ神にたたりなし」、もう誰も無縁仏のお墓には線香もあげません。
ぼくは人より鈍かったのか、とても可愛らしいという幽霊の見た目の話を聞いて「いっぺん会ってみたいなあ」なんて思っていましたがね。
そうですねえ、それから十年も経ったでしょうか……十七歳ばかりになったぼくは、ひょいとその無縁仏に夜中にお参りに行ったのですよ。
いや、そんな大した理由じゃありません。村一番のおはぎ作りの名人のお婆に、「たんと余ったで、お家に持ってって食べんさい」とおはぎをたくさんもらったんです。
その帰り道に、夜中にお墓の近くを通ったもんで。「毎年決まって泥だんごじゃあんまりだから、仏さまにも喜んでいただこう」なんて、いつになく良いことを考えまして……!
そうしておはぎを持っていったら、やっぱり先客がいたんです。よれて黄ばんだ麻の着物に、おかっぱ頭に彼岸花、泥のだんごをお供えしている女の子……。
幽霊の女の子は、ふり返ってぼくを見つめて、少しだけ首をかしげました。黒髪が白いほおにちょっとほつれて落ちかかって、ぞっとするほど綺麗でした。
「……お嬢さん。君はここのお墓の子……?」
ぞくぞくする腕をさすって、ぼくはおずおず訊ねました。女の子は泥のついた手をだらりと垂らし、ほんの少しだけ微笑みました。
『そうよ。あたしはここのお墓の子。誰もお参りしないから、自分でお参りしているの』
女の子はぼくの顔をじっと見上げて、かすかな声で打ち明けました。
『あたしは旅のひとだったの。おっかさんと二人、飲んだくれのおとっちゃんに追い出されて行くあてもなく、ふらふら旅をしていたの』
「……この村で、力尽きたんだね?」
『そう。無縁仏でもちゃんと葬ってくれたこと、村のひとには感謝してる。でも、お参りがないんじゃやっぱり淋しいでしょう?』
幼く静かな話し方に、体じゅうに走っていたぞくぞくが自然と薄れていきます。代わりにおはぎの包みを持った手が、どうしてかだんだん重くなるようです。
少女はふうっと淡くはにかんで、泥のだんごに手をつきました。……小さい手でした。悲しいくらい細い手でした。
『だからあたし、おっかさんとあたしの命日の秋彼岸には、こうやっておだんごをお供えしているの。こんなものでも他の仏さんたちも喜んでくれるから……』
穏やかな口ぶりの告白に、怖さはどこかに吹き飛んでいってしまいました。ひきかえに目の裏がどんどん熱くなってきて……ぱしぱし忙しくまばたきながら、ぼくは泥のだんごのとなりに、大きなおはぎをお供えしました。
少女はまつげの長い目を見はり、おはぎとぼくとをかわりばんこに見つめていました。それから少女は出逢って初めて、花咲くように微笑ったのです。
「……大丈夫。これからは毎年ぼくもお参りさせてもらうから。このおはぎは美味しいよ、ほっぺたが落っこちないよう気をつけて食べないといけないよ?」
――ああ、もっと早くにこうしておけば良かったのに! 今さらの行為が悔しいやら、喜んでもらえて嬉しいやら、気持ちが混ざってぐちゃぐちゃです。涙をふっきるために何やかや言いながらふり向くと……もうそこに、少女の姿はなかったのです。
* * *
「それが六年前のことです。それから少女の幽霊は出なくなり、ぼくの話を聞いて他の人たちも『無縁仏のお墓参り』をするようになり……」
黒髪の美青年はそこでちょっと黙りこみ、家の奥の方をのぞいた。それから少し声をひそめて、はにかみながら打ち明けた。
「それでぼく、五年前に結婚したんですがね。妻はね、今の話がきっかけでぼくに惚れてくれたんです……『幽霊の子におはぎをあげるなんて、勇気があってお優しい! 結婚するならこの方と!』って思ってくれたらしいんですよ!」
おやおや、ここでのろけが来るか……! 私は思わず微笑した。
どうやら今の「ないしょ話」が奥まで聞こえてしまったらしい。奥さんがおはぎをたくさんのせたお盆を手にして、台所から顔を見せた。
「こーら! あなた、また余計なことを言ってたでしょう? お客さま、おはぎのおかわりをどうぞ……うちの人は話が長くてお困りでしょう?」
「いやあ、そんなことはないさ。きっと『良い話の種が聞けた』って喜んでくださってるよ……ねえ、吟遊詩人さん?」
にっこり青年にそう訊かれ、私も大きくうなずいた。と、別の部屋の戸が小さく開いて、幼い女の子がよちよち歩きで姿を見せた。
「おや、萩恵! お昼寝が終わってお目覚めかい? さあおいで……お前の好きなおはぎがあるよ!」
女の子はにこにこ笑い、「おはぎーおはぎー」と皿に幼い手を伸ばした。萩恵と呼ばれた女の子は、あーんと小さい口をせいいっぱいに大きく開けて、たまらなく美味しそうに、あんこのおはぎをほおばっている。
奥さんが愛しげに手を出して、寝ぐせのついた娘の髪を整える。着物の袖から髪飾りを出し、ちょんと頭につけてやる。小さく赤い、彼岸花の髪飾り……。
(あれ? もしかして、この子はまさか……!)
いやいや、さすがにそれはないだろう。この女の子が、今の話の「幽霊さん」の生まれ変わり? 髪飾りひとつでそんなハッピーエンドを夢想するなんて、自分もずいぶん甘い男だ……。
けれどもそんな私の思いに気づいたようだ。年若い父親はさも自慢げに、ひとつウィンクしてみせた。
「――ほんとにそっくりなんですよ。生き写しってやつですね!」
彼の言葉を耳にして、となりに寄りそう奥さんも誇らしげに微笑んだ。その笑顔には、二人とも怖れの陰もない。
……ああ、まずい。目の奥が熱くなってきた。私はちょっと潤んだ声で「ごみが入ったみたいです」と目をこすってごまかした。
(萩恵さん、今世こそは幸せに……!)
そう念じながら幼女の頭をそっとなで、私はこの家をおいとました。
秋の風がすうすう吹く道のはた、ふっと立ち止まりふり返る。
……お盆の下にこっそりと置いてきた「おはぎ代」も、そろそろ発見されているだろう。お礼を言って渡しても、「お彼岸の日のおもてなしは、ここらの風習なんですよ!」と受け取ってもらえなかったのだ。だから今ごろあのご夫婦、あわてて私を探しているかも……。
口もとにふわっと笑みが浮かぶ。
私はひとり微笑みながら、秋の日乃本を歩いていく。
彼岸花が咲いている。赤いあかい花火のように、ひらひらと美しく咲いている。旅の道みち、あぜ道に炎のように咲く花々は、まぶしいくらい鮮やかだった。