不登校の観察日記
1日目
私は小学校6年生の3学期から学校に通えなくなった。もとより、習い事を多少やっていた。5年生のときに中高一貫校が出来たと言うことで中学受験の為に他の習い事の幾つかをやめて塾に行くことになった。塾は忙しくて週に3回あった。その他の日は別の習い事。夏は夏期講習がほぼ毎日のようにあり、もとより勉強は好きではなかったからもっと苦手になった。冬が近くなって、私は風邪を引いた。鼻水が止まらなくて辛かった。それでも模試に行くことになった。塾の宿題なんかはやってなかったり、本調子ではないこともあってか、当たり前の様に低い点数を取った。その日も塾に行っていつも通り帰宅しようとしていた時。塾講師に呼ばれ別室に行くと、点数が低いことで怒られた。今となってはその何もかもが狂っていると思える。点数が低いことで両親に怒られることはなかったが、家庭内の空気もピリついていた。逃げ場は自室だけだったが、それすら無かったら私はどうしていただろうか。そんな事考える暇もないくらいに毎日が忙しかった。
そんなことが辛くなり仮病を使って塾を休むようになった。あの時の私は頭が沸騰している感覚で早く楽になりたかった。いつも腹が立っていてそのイライラを周りの人間にぶつけたりもした。
ただ、何もかもに腹が立ち、そんな自分にも嫌気がさす。色々な感情が混濁して何も分からなかった。剣道もやっていたけれどその時には学校も休みがちになっていて行きづらくなっていた。剣道の合宿に行った時に、師範に言われたのが「お母さんが来てるんだからお前も来い」だった。その時には、はい。と言った。が、それがプレッシャーになったのかもしれない。より一層にいけなくなった。しかし、母は当番だからと絶対に出ていた。でも、もう戻せなかった。それからは習い事全て辞めて学校も行かなくなった。
2日目
不登校になってから、周りの人達から受け入れては貰えなかった。私自身も不登校であることが恥ずかしかった。不登校でも勉強した方がいいなんてネットには書いてある。でも私は勉強が嫌いだった。朝には学校に行けと言われても行かなかった。それに行けなかった。もう誰も受け入れはくれないと思ったからだった。どんどん孤独感が増して辛くなる。ネットに入り浸るようになっていた。辛くても共感してくれる人なんて居なかった。ただ悲しくて学校や家族、塾を憎んでいた。それと同時にやって来たのは焦りだった。これからどうやって生きていくのか分からなくて頭を抱えた。そんな時にふと思った。あのまま耐えて学校に行っていたらこんな事思わないのかな。と。学校にたまに行っても、これまで一緒に喋ってくれる人はほぼ居なくなった。それでも関係なく話しかけてくれる人はいた。私はその人達に救われていると思う。ある日、従兄弟と喋っていた時に自分が不登校であることが話題に上がり、そこで不登校である事が何も不思議ではないと思ったのだ。本当に唐突ではあるがこれまで恥ずかしいと思っていた事が何も感じなくなったのだ。私は開き直ったのだ。両親も不登校や引きこもりの講習に言ったり、本を読んだりしており、次第に受け入れてくれるようになった。それはとても大きな一歩だと思う。悩みの重さが少し軽くなりそれだけでも楽に感じた。
最終日
私は、不登校が最終的に社会復帰し真面目に働いている。と言う綺麗な話は嫌いだ。
因みに私はまだ学校に通えていない。高校生だ。
それでもいい。生きていればいい。なんて言ってくれてもやっぱり心配だ。私は何をやっても続かない。少しでも嫌な事があると逃げてしまう人間だ。中途半端で仕方の無い人間だ。何もかもが成功するなんて思わないけど、人生は短い。私は自己中心的に生きるとしてみよう。何を言おうかいいまいか、悩む深夜2時。