6
病院を出てすぐに里帆は穂乃果に声をかけた。
「ちょっと……待ってくれる?」
「なんですか?」
穂乃果は足を止めて振り返った。
「根拠って何?」
「根拠?」
「さっき、千太郎くんが犯人じゃないって……そのことに確信があるって言ってたでしょ?」
「はい、それなら言いました」
「それは何? 穂乃果さんは何を知っているの?」
「私? それは違います。里帆さんは千太郎くんが無実だと思っているんですよね? 私はその里帆さんを信じたんです」
「まさか……それだけ?」
「ええ、それで十分だと思います。里帆さんは千太郎くんを知っています。そのあなたが言っているんですから」
「間違っていたらどうするの? 私が嘘をついてるとは思わないの?」
「そんなこと考えても意味はありません」
里帆は少し戸惑っていた。なぜ、穂乃果はそこまで自分を信じることが出来るのだろう。
「ねえ、もう一つ教えて。さっきの電話って何?」
「さっきの?」
「話してる途中、あの人に電話がかかってきたでしょ? あれは何の電話? 茉莉さんは知っているんじゃないの?」
「さあ、私は知りません」
穂乃果は一度そう答えたが、すぐにそれを言い直した。「でも、想像は出来ています」
「一条家がどうのと言ってたわよね?」
「そうですね」
「一条家って……茉莉さん、関係があるんじゃなかった?」
「ええ。きっと一条の誰かが私に協力するようにお願いしたんでしょう」
「一条の誰か?」
「茉莉の家は代々、一条家で巫女の仕事をしています。私も子供の頃からお世話になっているんです。だから、私に何かあると一条の誰かが手伝ってくれるんです。一条家はこの街ではさまざまな企業や団体に関係があります」
それについて、以前、里帆は少しだけ噂で聞いたことがあった。
「それって一条家の力を利用してるってこと?」
「そんなつもりはありません。でも、自発的に協力してくれる人は多いかもしれません」
「それは、穂乃果さんのためにーーということでしょ?」
「そうかもしれません」
「私……そういうのあまり好きじゃないんだけど」
「そういうの?」
「一条家の力を利用してること。虎の威を借る狐……っていうのかな。なんか、カッコ悪いんじゃないかって」
こんなことを言えば怒るだろうか。だが、穂乃果は決して怒るようなことはなかった。むしろ不思議そうな顔をしてーー
「カッコ悪くちゃいけないんですか?」
「え?」
「里帆さんが私の協力をあまり望んでいないってことは私もなんとなく気づいていました。でも、そんなことを気にして何の意味があるんですか?」
「意味?」
「里帆さんは何を目的にしているんですか?」
「目的?」
「今は千太郎くんを助けるのが一番の目的なんじゃありませんか?」
「そう……だけど」
「なら、それ以外のことは考える必要のないことじゃないんですか?」
ドキリとした。そして、同時に小学校の時のことを思い出した。
それは修学旅行の時、クラスメイトの一人がバスに酔い気持ち悪くなって我慢出来ずに吐いてしまった時のことだ。
多くの生徒が彼女の傍から離れた時、穂乃果は躊躇うことなく、吐物を自らが持っていたタオルで処理してみせた。それは里帆と一番仲が良かった愛加未来だった。あの時、隣にいた里帆はすぐに彼女を助けることが出来なかった。その後、未来とは少しずつ疎遠になっていった。
穂乃果をからかう人は誰もいなかった。彼女には何も悪意を感じない。
その時、里帆はその善意の塊にしか見えない彼女を怖いと感じた。彼女を苦手だと感じ始めたのはあの時からだ。
当時、里帆は穂乃果と一条家の関係を知らなかった。その後、誰かがその噂を口にするようになった。
――彼女には大きな後ろ盾があるんだよ
しかし、里帆はそれが間違っているということを知っていた。穂乃果は決して一条家という後ろ盾を頼りに行動しているわけではない。
「あなたが私や一条家を利用することをカッコ悪いと思っているなら、それはそれで構いません。一条家の名前を使うのはあなたではなく私だと思っていてくれればいいんです。あなたは千太郎くんを助けることを考えてくれればいいんです。さあ、次の場所に行きましょう」
「次? どこに?」
「行けばわかります」