4
放課後、里帆は亮平から聞いた事故の現場である神社に来ていた。
石段の下に立ち、その上を見上げる。
石段の途中から脇に逸れる道があり、そこを通り抜ける人たちがいることは里帆も知っていた。小学校の頃から里帆も同じようにその抜け道を使っていたし、何よりもその道は里帆の家の前を通っていたからだ。
きっと事故にあった少女も同じように普段からその道を使っていたのだろう。
ここに来たからといって、何が変わるわけではない。そのことは里帆もわかっている。それでも少しでも何か出来ることがないだろうかと考えてしまう。
そして、やはり何も出来ないことを実感してしまう。
自分の無力さをしみじみと感じてしまう。
千太郎のために何か出来ないだろうか。千太郎が少女を襲っていないということをどのように証明したらいいのだろう。
そもそも、なぜ、千太郎はここに現れたのだろう。
そういえばハナ婆ちゃんが千太郎を連れてよくこの道を散歩していた。大きな千太郎の白い毛並みが思い出される。
その時――
「何しているんですか?」
その声に里帆は振り返った。
そこに立っていたのは茉莉穂乃果だった。里帆とはクラスメイトで、小学校の頃から知っていたが、今まであまり話をすることもなかった。穂乃果は物静かで、決して目立つ方ではなかったが、それはただ大人しいというだけの存在ではないことを里帆は直感的に感じ取っていた。そして、里帆はいつの頃からか穂乃果のことが少し苦手に感じるようになっていた。
「あの……」
どう話していいか里帆は戸惑いながら答えた。「ここで事故があったの……知ってる?」
「子供が犬に襲われたって話ですか?」
「そう、それ」
「田口君が話していましたね。ここの神社だったんですね」
同級生に対しても穂乃果はいつも敬語を使う。これは小学生の頃から変わらない彼女の癖だ。身近に大人が多いので、誰に対しても敬語のほうが話しやすいのだと言っているのを聞いたことがある。
「その犬、隣のウチのお婆ちゃんの飼ってた犬らしいの」
「そうですか。でも、里帆さんはここで何を?」
一瞬、どう答えていいか里帆は迷った。それでも少し考えてから里帆は答えた。
「……私、信じられないんだ」
「信じられない?」
「あの子はね、そんなことをする子じゃないの。何歳なのか、正確なところは私にはわからないけど、もうずいぶんおジイチャンだし、三日前、お婆ちゃんが亡くなってからは、ずっと散歩もせずに小屋で眠ってばかりなの」
「つまりその犬が子供を襲って石段から突き飛ばしたというのは間違いだって思っているんですか?」
「うん、それは千太郎くんがやったんじゃないよ。だ……誰かがその子が石段から降りているところを突き落としたんだよ」
こんなことを言っても理解してもらえないかもしれない。笑われるかもしれない、バカにされるかもしれない。それでも里帆はそれを口にしないわけにはいかなかった。
だが、穂乃果は決して笑うようなことはなかった。里帆のことを少し驚いたような顔で見つめていたが、少し考えてから言った。
「じゃあ、調べてみませんか?」
「調べる?」
「はい、私、協力します」
「え……いや、そんなのいいよ」
その予想外の申し出に里帆はまごついた。
「どうしてですか?」
「だって……調べるっていったって、私に何が出来るっていうの?」
「里帆さんは千太郎くんを信じているんですよね」
「……うん」
「なら、調べましょう」
「どうやって?」
「私に考えがあります」
穂乃果はポケットから携帯を取り出すと、里帆に背を向けて誰かに電話をかけはじめた。里帆はその姿を黙って見つめた。それはほんの数分のもので、すぐに穂乃果は振り返った。
「お待たせしました。さあ、行きましょう」
そう言って穂乃果は歩き出した。もう従う他に選択肢はなかった。
ふと頭の中に疑問が過る。
(千太郎くんの名前を言ったっけ?)
違和感を覚えながら、里帆は穂乃果の後について歩き出した。