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妖かし四方山話 護りし者  作者: けせらせら
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 山園美奈代が意識を取り戻したのはその翌朝のことだった。

 彼女は何事もなかったかのように目を覚ますと、すぐにあの時、何が起きたのかを話した。

 背後から近づいてきた男が自分を突き飛ばしたこと、そして、倒れた自分をさらに襲おうとするのを犬が護ってくれたこと。そして、その男が自分も見たことがある警察官であること。

 彼女はそれをしっかりと記憶していた。

 その男が先日の駅で子供が階段から落ちた事件の犯人であることも証言した。だが、それに確信を持てなかったために、朝、交番まで出向いて確認しようとしていたのだ。

 後日、その刑事が今朝、病院裏の駐車場で死体となって発見されたことを聞かされることになるのだが、この時点ではその情報は届いていなかったため誰もそれを口にはしなかった。

 美奈代はすぐにでも、その犬に会いたいと希望した。

 もちろん医者も両親もそれを認めるはずがなかった。事件からずっと意識を失っていたのだから、それも当然のことだ。

 その後、いくつかの検査の結果、驚くことに美奈代のケガは奇跡的にすっかり治っていることが確認された。美奈代が病院を出ることが出来たのはその日の夕方だった。

 しかし、美奈代が聞くことになったのは、保健所に預けられていた千太郎が昨夜のうちに亡くなったという事実だった。


*   *   *


 喫茶店には他に客はおらず、店主もどこへ行ったのか姿が見えない。まるで貸し切りの状態の中、里帆は道路に面した窓際の席で文乃と向かい合っている。

 そして、文乃から美奈代が意識を取り戻したこと、千太郎が亡くなったこと、そして、村井という警察官が自殺したことを聞かされた。

「千太郎くんのことは助けられなかったんですね」

 里帆はつぶやくように言った。それを聞いて、文乃は不思議そうに首を傾げた。

「ん? 助けられなかった? どうしてそう思うの?」

「だって……亡くなってしまったんでしょ?」

「それは違うよ。千太郎くんが亡くなったのは歳のせいだ。今回のこととは関係がない。千太郎くんも満足して亡くなったはずだよ」

「そうでしょうか」

「うん、それは私が保証する」

 文乃は堂々と答えた。なぜ文乃がそこまで言えるのかが里帆にはわからなかった。それでも、ただの願望かもしれないが、その言葉は信じられるような気がした。

 これは何の根拠もないただの印象だが、茉莉穂乃果もこの美月文乃も、一条家の関係者というのは皆、人智を超えた存在であるように感じるところがある。

「じゃあ、今頃はお婆ちゃんと会えているかもしれませんね」

「そうだね。そうかもしれないね。きっと千太郎くんも里帆ちゃんに感謝してることだろうね」

 その言葉に、里帆は表情を暗くした。

「私? 私って何か役にたったんでしょうか?」

「おや? 謙虚だね。どうしてそんなふうに思うの?」

「だって……事件のことを調べたのは美月さんです。そして、それをあなたに頼んだのは茉莉さんです。私じゃない」

「でも、そもそもは里帆ちゃんがきっかけじゃなかったかい?」

「……私は……ただ嫌だっただけです。千太郎くんがあのまま処分されてしまうって思ったら……怖くなって」

「それでいいじゃないの」

「良くありません」

 思わず口調が強くなる。

「どうして?」

「私は人の手柄を奪うなんて卑怯なことはしたくないんです」

「手柄? 卑怯? そんな考え方、必要かい?」

「私がやったことなんて、茉莉さんや美月さんたちがやったことに比べれば小さなものです」

 里帆の言葉に文乃は首を傾げた。

「小さいかな? もし小さなかったとしても、あなたのその小さな一歩目があったから私たちが動くことになったんじゃないのかい?」

「一歩目?」

「あなたが一歩目を踏み出さなかったら何も解決しなかったかもしれないよ」

「そう……でしょうか」

 そう言いながらも、それを素直に受け入れることが出来ない。そんな里帆に対し、文乃は諭すかのように言った。

「だから里帆ちゃん、もう苦しまなくてもいいんだよ」

「え?」

 ドキリとして文乃の顔を見た。文乃の優しい瞳が里帆へと向けられている。

「里帆ちゃんに罪はない。里帆ちゃんの苦しみは、自分で勝手に思い込んでいるものだよ」

「わ……私が……何を?」

 心臓が激しく鼓動しているのがわかる。

「里帆ちゃんは最初から知っていたんじゃないのかな? 千太郎くんではなく、あの男があの子を突き飛ばしたことを」

「な、何を言っているんですか?」

 慌てて否定しようとするが、その自分の声が震えるのがわかる。

「違うのかな? きっとあなたはその現場を見たんだ」

 言い方は柔らかいが、文乃はきっとそれを確信しているのだろう。里帆は文乃の顔を見ていることが出来ず、ゆっくりと視線を落とした。

「ど……どうして? どうしてそんなことを?」

「里帆ちゃん、いつもあの道を通るんだろ? そして、昨日、遅刻したそうじゃないか」

「昨日は……母の具合が良くなくて……」

「それであの現場に居合わせてしまった……ってとこかな。怖かっただろうね。無理もないよ」

「知っていたんですか?」

「その現場にいなければ知らないことをあなたは知っていたからね」

「知ってちゃいけないこと?」

「うん、私も事件について何人かの人たちに話を聞いたんだ。多くの人たちは事件の直後を目にした。だから、皆は『神社の石段の上から突き落とされた』と言っていた。思い込んでいた。西山喜久恵さんでさえもだ。でも、あなただけは違っていたよね。あなたは最初から『石段の途中から突き落とされた』と言っていた。『突き落とされた』、それは犯人が存在しているのを知っていたからだ。それにあなたは西山喜久恵さんを知っていただろ? 実はね、里帆ちゃんたちが西山さんの家を訪ねた時、穂乃果ちゃんに電話したのは私だったんだよ」

「まさか……それを知るために?」

「確認してみたかったんだよ。里帆ちゃんが波城さんを見て、西山喜久恵さんと間違うかどうか。でも、里帆ちゃんはちゃんと西山さんと波城さんを見分けることが出来た。つまり西山さんのことを知っていたことになる」

 言い返すことが出来ない。

「……すいませんでした」

 里帆はうつむきながらか細い声で謝った。

「いいんだよ。責めてなんていないんだ。むしろ、里帆ちゃんが苦しんでいるんじゃないかと心配していたんだよ」

 確かに文乃の口調からは優しい感情が伝わってくる。

 それでも里帆は自分を責めずにはいられなかった。文乃から真実を追求されたからではない。あの時からずっと自分を責め続けている。

 あの日、里帆はいつもとは少し遅れて家を出た。いつものように神社の石段にさしかかった時、里帆の目の前に石段を降りる男の姿が見えた。その男のすぐ前には小学生の姿があった。その男が突然、前を歩く少女の背中を突き飛ばした。

 何が起きたのか、一瞬、理解することが出来なかった。

 助けなければいけない。そう思いながらも里帆は動くことが出来なかった。その時、里帆の脇を通り抜けて、一匹の犬が走り抜けていった。それが千太郎だった。

 千太郎は倒れている少女の脇に立ち、まるで護るかのように男に向かって吠え立てた。

「私、怖かったんです。あんなふうに人を傷つける人がいるってことが信じられなくて」

「そうだね。人間には悪意がある。人によってそれは驚くほど強いものがある。そして、それを実際に目にすることは怖いことだ」

「それなのに千太郎くんがあの子を襲ったなんて話になってしまって。私にはどうしていいかわからなかったんです」

「だからあの神社に行ったんだね」

「あそこで茉莉さんに会った時、私はとても不安になりました。でも、一方でこれはチャンスかもしれないと思ったんです」

「チャンス?」

「茉莉さんなら……茉莉さんなら何か助けてくれるような気がしたんです」

「穂乃果ちゃんは里帆ちゃんの期待通りに動いたわけだね」

「ごめんなさい、穂乃果ちゃんを利用するようなことをしてしまって」

「穂乃果ちゃんはそんなこと気にしてなんていないよ」

 文乃は相変わらず柔らかな表情で言った。

「茉莉さんも知っていたんですか? 私が事件のことを知ってることを」

「穂乃果ちゃんは知っていたわけじゃない。でも、気づいていた」

「気づいて?」

「そう。里帆ちゃんが苦しんでいることをね。だから、あなたを助けるために調べることにしたんだ。そして、私に電話で事情を説明してくれた。その話を聞いて、私は疑問を感じたってことだよ」

 里帆は大きくため息をついた。

「茉莉さんはやっぱりすごい人ですね」

「里帆ちゃんにとって穂乃果ちゃんがどう見えているのかはわからない。でも、今回の件で言わせてもらえるとね、穂乃果ちゃんだって千太郎くんを知っていたわけじゃない。私だってあなたたちから話を聞かなければ動かなかった。つまりね、あなたのような一歩目を踏み出す人が必要なのさ。だから、里帆ちゃんはきちんと自分のやるべきことをやったんだよ」

 文乃の言葉を聞いて、ポロポロと涙がこぼれ落ちていく。

「でも……でも……私は私のやったことが許せない」

「なら、そんなことは忘れればいい」

「そんな卑怯なこと……出来ません」

「違うよ。それは決して卑怯なことじゃない。誰だって少なからず傷がある。傷は力や誇りになることもあるけれど、痛みになることだってある。抱えきれない痛みの時は、それを直視する必要はないんだ。忘れることも必要なんだよ」

「……忘れることが……必要?」

「そうだよ。忘れていいんだよ」

 そう文乃が言った時、ふと里帆は背後に人の気配を感じた。そして、同時に誰かが頭に触れたような感覚を受けた。ボンヤリと頭の芯がわずかにシビれる。

 視界がぼやけていく。

 気づいた時、里帆はいつもの道を帰る途中だった。

 神社の石段が目の前に見える。

(ああ、そうだ)

 つい先日のことを思い出す。

 ここで起きた事件のこと。そして、それを自分が目撃して警察に連絡したこと。その結果、犯人が逮捕されたこと。

 誰かと話をしたい。

 ふと、愛加未来の顔が頭の中に浮かぶ。

 以前はあんなに仲が良かったのに、なぜだかここ数年話をすることも少なくなった。

 明日、彼女に連絡をしてみよう。久しぶりにゆっくり話をしてみよう。

 何か新しい明日を見つけられるかもしれない。


   了


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