12
深夜、病院の裏口に立ち、村井は建物を見上げた。
昼間はあとちょっとのところで少女の殺害に失敗した。
あの犬と少女の関係はわからないが、そんなことは気にする必要もないだろう。たとえあの犬が、自分のやったことを知っていたとしても、それを誰かに伝える手段は持っているはずがない。
まだ少女の意識は戻らないと聞いている。だが、このまま安心してはいられない。あの少女の意識が戻るようなことがあれば、自分の犯行が全てバレてしまう。
今夜中に始末する必要がある。
幸いにも誰もがあの犬が少女を襲ったという話を信じているようだ。この状況でならば、誰もあの少女が再び襲われるなどとは考えてはいないだろう。
ふと何か妙な感じを受ける。
(何だ?)
周囲に気を配るが、変わったところはどこも見当たらない。
気のせいだろうか。
村井は裏口の扉に手をかけようとした。
だがーー
「こんな時間にどこに行くんだい? 面会時間はとっくに過ぎているよ」
その背後からの女の声に村井は身を竦めた。
看護師の誰かだろうか? 振り返ろうとしたが、なぜか身体が言うことをきかない。
「……誰だ?」
「私かい? 私のことなんて気にしなくてもいいさ。それよりもあなたは何をしにここへ?」
「それは……し、知り合いが入院しているんだ」
村井は咄嗟に思いついた言葉を口にした。
「知り合い? それはひょっとして山園美奈代ちゃんのことかい?」
「どうしてそれを?」
「あなた、事件を目撃したっていう村井さんだよね?」
「俺を知っているのか?」
「知っているよ。あなたのことを知らないわけないじゃないの。確かにあなたは彼女と知り合いって言えるのかもしれないねぇ。でも、こんな夜中にこっそり裏口から入ろうとするなんて、いくら知り合いでもおかしいよねぇ。あなた、何をしに来たんだい?」
まるで村井が何をするためにやって来たのか知っているかのような口ぶりだ。
「誰だ?」
村井はもう一度問いかけた。
「私の質問には答えられないわけだね。どんな理由かは知らないが、あなたがあの子を殺そうとしているのは間違い無さそうだね」
やはりこの女は知っている。
「何を言っているんだ?」
誤魔化さなければいけない。いや、もしも何か事情を知っているのだとすれば、この女も始末しなければいけない。だが、身体が思うように動かない。振り返ることが出来ない。いったいどうしてしまったというのだろう。
「止めたほうがいいよ。そんなことをして不幸になるのはあなただ」
「くそ……」
思わず口から怒りが溢れる。
「ふぅん、あなた、何の反省もしていないようだね。少しでも反省をしているのなら、あなたにも違う道を残しておくことも考えていたんだけどね」
嘲るような声が耳の奥に届く。
これは罠だ。
どうしてかはわからないが、この女は自分が今夜、あの少女を狙うことをきっと知っていて待ち構えていたのだ。
この女は誰なのだろう? この女は自分の名前を知っている。しかも、自分が何をしたのかも知っているようだ。
(いったいどうすればいい?)
考えをめぐらすが、まるで答えが出てこない。
ふと、足元で何かが動いていることに村井は気づいた。
かすかに獣の匂いがする。そして、低く威嚇するかのような聞き覚えのある唸り声が聞こえてくる。
ゾクリと背筋を冷たいものが走る。
(まずい……なんだかわからないが……これはまずい)
額から汗が滲む。
今、自分の身に何かが起ころうとしていることに村井は気づいた。いや、気付かされた。
無意識のうちに、村井はゆっくりと視線を落としていった。だが、それをハッキリと目にすることは出来なかった。その黒い塊は村井がそれを確認するよりも早く、村井に向かって動いた。すぐに喉元が激痛に襲われる。
しかし、それも一瞬のことだった。
意識が遠のいていく。




