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村井遼一が警察官になったのは、さほど強い想いがあったわけではない。
父親が警察官だった村井にとって、それは子供の頃から暗黙のうちに定められていたように感じていた。もちろんそれが嫌だと思ったこともない。別段、それ意外の職業に就きたいと思ったこともなかった。
人並みの正義感はあったが、それはさほど強いものとは言えない。つまり、格別になりたい職業がなかったため、なりゆきで警察官になったに過ぎないということだ。
村井にとって、その日はあまり愉快とは言えない一日だった。仕事の帰りに友人と会うために隣街に行こうとして、寝過ごして電車を一本乗り遅れたこと。ずっと片思いをしていた女性が結婚するという噂を耳にしたこと。タバコのポイ捨てを駅員から注意されたこと。
そんな小さな不愉快な出来事がその日に起こったことが、村井の苛立ちをつのらせていた。
さっきから奇声をあげながら周囲を走り回る少年の姿を見て、村井の苛立ちはますます強くなっていた。そして、階段を降りようとした時、ちょうど目の前にその子供が自分を追い越していく。村井は周囲の目がないことを確認して、その少年の背を突き飛ばした。
転げ落ちていく少年の姿を目にして、心のなかのモヤモヤがすぅっと晴れていく。だが、それもその一瞬だけのことだった。
村井は本能的に自分に向けられた視線に気がついた。
ホームの向こう側に一人の少女が立っているのが見えた。驚きと怯えが入り混じったその少女の目はしっかりと村井のほうへ向けられていた。その表情を目にした時、その少女が自分のやったことを目撃したことを知った。
少女はクルリと背を向けると、階段を駆け上がっていった。
その少女の顔を村井は以前に見たことがあるような気がしたが、それをすぐには思い出すことは出来なかった。
月曜、村井は非番ではあったが、嫌な予感がして交番へと向かった。
そこで村井はあの少女の姿を目にした。交番の前を何度か往復しながら、中を覗いて何かを捜している。
それがどういう行動なのか、村井はすぐに察知した。
間違いない。彼女は村井のことを知って、その姿を確認しにきたのだ。村井は思わず街路樹の影に隠れた。
このまま放っておくわけにはいかない。
少女は村井に気づくことなく、少しの間ウロウロした後に去っていった。
村井は少女の後を尾行し、その自宅を突き止めた。そして、その翌日、彼女が家を出て神社の石段の前に立った時、村井は周囲に人の姿がないのを確認してから少女に近づいていった。
その背に手を伸ばした時、少女は一瞬だけ振り返った。
しかし、村井が躊躇うことはなかった。むしろ、その少女の顔を目にした時、村井の少女に対する殺意は激しさを増した。
彼女に伸ばした腕に強く力を込め、その背を強く突き飛ばした。
あまりにも軽い身体だった。
フワリと前方に身体が飛び、それから数段先に落ちてからコロコロと石段を転げ落ちていく。
石段の下まで転げ落ちてから、やっとその身体は止まった。
それを目にして村井は思わず口元を歪めた。
不思議なほどの爽快感が村井の胸の中を満たしている。
村井はそれを興奮気味に眺めていた。
やがて、ピクリと指先が動いた。
(まだ生きている)
村井は小さく舌打ちを打つと、再び石段を降り始めた。
息の根を止めるつもりだった。
だが、その時、一匹の老犬が村井の前に飛び出した。




