第8話 帰省
三人称視点で書いているんですけど、一人称視点と何が違うのかたまにわからなくなります。
長い列車の旅を終え、リリーは自らの故郷に降り立った。重量のあるトランクを地面に置き、思い切り背中を伸ばす。長い間座っていたおかげで臀部が痛い。
曇り空でほとんど姿を隠している太陽も西に傾き始めていた。季節柄、激しい風がしばしば刺さるように吹きつける。
首をマフラーに埋めながら、周辺を見渡す。次のバスは二時間後なのでタクシーを探すがなかなか見つからない。帰省シーズンなので出払ってしまったのだろう。
軽く肩をすくめて、帽子から箒を取り出した。トランクをひと掃きすると、手から箒に思いを込めて口に出す。
「箒よ箒、わたしの箒。このトランクを一緒に運んでおくれ」
呪文を唱えるほんの一瞬、魔法陣が展開したかと思うとトランクが宙に浮いた。そのままの状態でリリー自身も箒に跨り、「飛べ! わたしの箒!」と飛び上がった。
(違う国で作られた箒でも、ちゃんと私の呪文で飛んでくれるのね)
少しばかり感心するが、実のところ自分以外のものを運ぶこの魔法をリリーはあまり好まない。というのも、この魔法は意外にも集中力が必要なのだ。
自分が乗るぶんには、直接身体が箒に触れているおかげでそれほど集中する必要はない。しかし、手を触れずに物体を運ぶには落とさないように気を配らないといけない。余計に集中する必要がある。
そもそもトランクを帽子の中に入れられれば良いのだが、あまりにも重いと帽子から取り出すのが大変で、これはあまり勧められない。
帽子や杖など慣習的に使用者自らが作る魔法道具とは異なり、帽子やマントは国営工場で生産されている。その大きな理由は、マントなどに使われる繊維の一部にユニコーンの毛やコカトリスの羽根などを用いており、乱獲防止のために一般の企業や民間人が作ることを禁止しているからだ。
昨日とは打って変わり、今日は向かい風に進路を乱される。吹き荒れる強風に息が詰まるようだ。それがまた集中力を切らす原因にもなりかねない。
フラフラと箒を操りながら、数十分かけてようやく実家に辿り着いた。
赤褐色の壁に黒い屋根の石造りの住宅が何件も横一列に連なっている。二階建てだがそれほど高さがあるわけでもない。建てられてから随分と長い歳月が経っているため、所々屋根が苔生しているのが見える。その集合住宅の一番角がリリーの生まれ育った家だ。
ドアをノックしてしばらく待つと、リリーの母が出てきた。リリーと同じ萌葱色の髪に翡翠やエメラルドといった宝石を連想させるような印象的な瞳。
数か月ぶりに会う母と娘は抱擁すると頬にキスを交わした。
「久しぶりね。長旅お疲れ様。さあ、入りなさい」
家の中の一室、リビングルームでは一人の老女がロッキングチェアに座っていた。今ではほとんど白髪だが、ところどころに緑髪が混じっている。老女はぼんやりと外を眺めていた。
「お母さん、リリーが帰って来たわよ」
リリーは祖母の前に立つと、「おばあさん、お久しぶり」と声をかけた。
祖母はゆっくりと瞬きをして、その落ち窪んだ虚ろな目で不思議そうに首を傾げた。
「リリー? あの子はとっくに死んだじゃないか。この子は誰なんだい?」
リリーは何でもないような顔をして、「うん、そうだね」と頷いた。
胸が詰まるような感じがした。帰省するたびに祖母に挨拶をすることが、苦痛で仕方ない。十年前のあの日、祖母の中ではリリーは死んだことになっている。祖母にとって今のリリーは誰でもない赤の他人なのだ。
悪魔に憑りつかれたあの日、記憶を失う直前の祖母の怒りと悲しみに満ちた顔を今でも鮮明に思い出せる。リリーが目覚めたとき、祖母は既にリリーのことを認識できなくなっていた。
「マーガレット、悪い冗談はおやめさない。あの子は、神の恩寵は悪魔に心臓を食べられて死んだんだよ。いや、もう恩寵でも何でもない……悪魔の子だよ。とにかく、もう帰って来やしない」
マーガレット――母はかける言葉もなく、ただ悲しく微笑んだだけだった。
祖母が宝石のようだと褒めたリリーはもうどこにもいない。神の恩寵はもう死んだ。今いるのは哀れで愚かな魔女だ。家族を壊した罪はリリーが償って赦してもらえるものではない。
体裁を気にする父ジミーの決定によって、悪魔を祓うことは禁じられた。しかし、悪魔の行動によっては、いつかは露呈しかねないだけでなく、リリーの将来にも世間体にも関わる。家族がした苦渋の決断は悪魔と約束をすることだった。
『リリーが成人するまでの間、リリーとその家族以外の前では姿を現さないこと』
ペンクスリ王国では成人年齢は十八歳と規定されている。そして、リリーはつい最近十六歳になったばかりだ。猶予は二年もない。
「おばあさん、わたしもリリーっていうの。冬休みの間、この家でお世話になるのよ」
祖母は目を細めた。
「おや、私の孫と同じ名前じゃないか。あの子も生きていたらあんたと同じくらいの歳だったろうね」
祖母は傍にあった写真立てを手に取ると、そこに写った幼い女の子を悲しそうに撫でた。
リリーは何でもないような顔をして、「うん、そうだね」と頷いた。
「お父さんが帰ってきたら食事にしましょう」
母はそう言うとキッチンに消えていった。良い匂いがする。今晩はビーフシチューのようだ。
リリーはリビングのソファーに深く腰掛けた。瞼が重い。長旅のせいだろう。
体中の力が抜けてソファーに沈み込んだ。
表面上だけの、体裁だけの家族に意味があるのか、どうしたらこの罪を償うことができるのか、この家にいる間は考えたくなくても考えてしまう。
(でも、わたしはこれを受け入れなければならない。そうよね、ルシフェル?)
暖炉にくべられた薪の爆ぜる音が、リリーをより眠りへと誘う。
「そうだ。これは私とお前の罪なのだ」
眠りに落ちる寸前、ルシフェルの声が遠くで聞こえたような気がした。