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戦場の悪魔  作者: 漬物田中
第四章
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第60話 コード666

ろうどうはわるいぶんか

 一週間後、リリーは真っ白なメンテナンス用の服に着替えると、ソファーに腰かけた。


「はい、お茶どうぞ」

「博士、ありがとうございます。あの、先週メンテナンスしたばかりなのに、今日もですか?」


 ウェルチは、右手にマグカップを持ち、リリーの右横に腰を下ろした。でっぷりとしたお腹が窮屈そうにベルトの上に乗っている。


「ごめんねぇ。先週の結果が思ったより芳しくなくてさ。今日もちょっと痛いかもだけど、ルシフェルに呼びかけながら、受けてくれるかい?」

「わかりました」


 リリーはマグカップの半分ほどお茶を一気に飲んだ。

 ルシフェルとの共鳴率が良くないのは知っている。リリーがどんなに望んでもルシフェルは答えてくれない。


 そもそも、本当に自分は悪魔憑きなのだろうか。ウェルチやヨハンがそう言うから間違いないとは思っているが、それにしては自分の中の悪魔はとても薄い。リリーとヨハン以外にも悪魔憑きは数人いるが、全員が悪魔と会話することができるようだった。


(まあ、ヨハン以外の悪魔憑きとはあまり関わることがないんだけど――)


 自分の中に存在しているのかしていないのかわからないルシフェルに呼びかけるのは正直疲れた。意味があるのかどうかさえわからない。しかし、リリーは何としてでもウェルチやヨハンの期待に応えたい。そうでなければ、記憶もないリリーに居場所はない。


(大丈夫、大丈夫。次はきっと上手くいく……)


 ズボンの裾を強く握り締めて、ぎゅっと目を瞑った。頭の中の(もや)が動く。靄の中に何かある。何かとても暗い――。それはすぐに靄の中に消えて見えなくなってしまった。


(なんだろう、前も同じことがあったような気が……?)


 それは記憶の断片なのだろうか。それとも気のせいなのだろうか。それを考える間もなく、リリーはガラス越しの研究室の中に呼ばれた。

 中央には上半身が丸々覆われるほど大きい筒状の装置が設置された寝台がある。


 リリーは壁際の椅子に座ると、研究員に左腕を差し出すように促された。リリーはこの注射が大嫌いだったが、大人しく左腕を出した。針が白い腕にぶすりと刺さる。あまりの痛さに声を出しそうになったが、目を瞑ってぐっと堪えた。注射器の中の液体がどくどくとリリーに流れるのがはっきりとわかって気持ち悪い。涙目で寝台に仰向けになった。


「同期開始まで、三、二、一」


 筒状の装置がゆっくりと回転を始める。同時に右手の中指に嵌めた指輪の締め付けが一層強くなった。

 目を閉じているのに、眩暈のような感覚がして気持ち悪い。胃がむかむかして、身体が鉛のように重い。


「心拍数が上がっているよ。ゆっくり深呼吸しよう」


 リリーは息を吸って肺を空気で満たした。数回、深呼吸をするが、胸の動悸を抑えることはできない。

 意識を保つことが難しくなってきた。思考がはっきりとしない。


(まだ、だめ。ルシフェル、お願い。わたしに応えて)


 ルシフェルはうんともすんとも言わない。リリーは段々イライラしてきた。こんなに願ってやまないのに、言うこと聞かない悪魔と契約した自分が信じられない。


「リリー君、落ち着いて。このままじゃ共鳴率は下がる一方だ」


「うるさい……。共鳴率、共鳴率って……」

 リリーはぼそりと呟いた。怒りは収まらない。気を張らなければ、すぐにでも落ちてしまいそうな意識の中、喉が渇いてガラガラになった声を振り絞った。


「お願いはやめだわ。ルシフェル、あんたはわたしに従うのよ……!」


 その刹那(せつな)、身体が宙に浮くような感覚に襲われた。眩暈(めまい)のせいで平衡感覚(へいこうかんかく)を失ってしまったのだろうか。もう目を開けることも、指一本動かすこともできない。


「コード873! 何か来ます!」


 研究室の中を突風が吹き荒れる。それは室内の機器を滅茶苦茶に掻き混ぜた。研究員は全員室外に退避すると、リリーを中心に巻き起こった風はピタリと止んだ。


「私の眠りを妨げる奴はどいつだ」


 地響きのような、威圧的な声。その声とともに姿を現した生き物のようなもの。蝙蝠(こうもり)のような形をした翼は六対、十二枚もある。焦点の合わない目は八個もあり、そのうち二個は他よりも大きい。蜘蛛(くも)に似た頭部には山羊のように湾曲した大きな角が生えている。胴体は人間の男そのもので、筋骨隆々と逞しい。全身が真っ黒のそれは、蜥蜴(とかげ)のような尻尾を床に打ち付けると、唸り声を上げた。


「コード666、悪魔です……」


 研究員の誰もが息を呑んだ。待ちに待ったルシフェルとの対面だった。しかし、あまりの醜さとおどろおどろしさに誰一人として近付くことができない。

 唯一、目を輝かせていたのはウェルチただ一人だった。


「貴様ら、また私の邪魔をするつもりか」

 ルシフェルの吐いた息がガラスを粉々に砕いた。闇を映した眼球がぎょろぎょろと不気味に動く。


「申し訳ございません。わたくしどもはあなたの邪魔をするつもりはありません。むしろあなた様を崇拝しております。どうか、我々にその偉大なる力をお恵みくださいませ」

 ウェルチは(うやうや)しく頭を下げた。


「クククククク……フ、フハハハハハハハッ!!」

 鼓膜が破れそうな低くしゃがれた笑い声。その圧倒的な出で立ちに畏怖(いふ)すら感じる。

「私を崇拝だと? 貴様らが私と私の契約者にしたことを忘れていると思うか?」


「その節は無礼を働いたこと、弁解の余地もございません。ですが、それもあなた様を探し求めてのこと。どうかお許しください」


「ならば私の前にひれ伏せ」


 ウェルチは手に汗を握った。そして、ゆっくりと膝を床に着け、手を膝の前に伸ばす。首を曲げ、頭を下げた。


「私の契約者はこの小娘であって、貴様ではない。私の力は貴様のものではなくて、この小娘のもの。故に私の恩恵が欲しいというのならば、まずはこの小娘に平伏せよ」


 額から汗が流れ落ちる。ルシフェルの声がビリビリと電流のように身体を走り、脳を揺らす。ルシフェルが何も言わなくなって数分後、ウェルチは恐る恐る顔を上げた。


「あの、博士、何やってるんですか……?」


 ルシフェルは姿を消し、寝台から起き上がったリリーがただ困惑していた。


リリーの眩暈とか胃がむかむかする症状は二日酔いと似ています

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