第52話 リリーとクラウディア(3)
クラウディアも一度しか入ったことがないという地下室には電気も通ってなかった。懐中電灯の明かりだけを頼りに恐る恐る進む。
廊下は短く、開けた空間に出た。二メートルと少しの高さと三メートルほどの幅の本棚が一つだけ。大きな本棚の割にはその半分も本が並べられていなかった。一冊一冊が大きくて立派な装丁のものばかりだ。しかも古くて分厚い。
「元々この図書館はお祖父さんのものだったんだ。本当は父が継ぐはずだったんだけど、私が生まれる前に第二次内戦で死んだ。だから祖父が亡くなってからは私が守ってきた」
本のタイトルを指でなぞりながらそう語るクラウディアの横顔は光に薄く照らされ表情が読めない。
「ここの図書館は私にとってすべてだった。私の友であり、知識であり、思い出。本が焼けても読めなくなっても、私はすべての本の内容を覚えている」
「全部!?」
「そう。だからどんなに時間と労力がかかったとしても全部書き写してやるんだ。北の思想なんか知るものか。私はアンスバッハの民だ。どれだけの思想を塗りつぶそうと、どれだけ戦争に巻き込もうと、どれだけ国がなくなろうと、アンスバッハは滅びない。これは私の誇りだ」
クラウディアは本を一冊取り出して、愛おしそうにページを捲った。
「内容は記憶に残る。でも装丁や印字された文字ひとつひとつが作り手の魂であり、それが本なんだ。簡単に燃やされちゃ困るな」
リリーが初めてクラウディアを見かけたとき、おそらく彼女は本を探していたのだろう。焼け残っている、完全な状態の本を探して一人であの焼け跡にいたのだ。きっと燃やされたときからずっと。
クラウディアはぽんぽんと本の埃を掃うとリリーに手渡した。緑色の装丁の本。知らない文字だ。クラウディアなら知っているかと思ったが首を振って「古語だよ」と教えてくれた。この本の特徴的なところは鍵が付いているところだった。中身が読めないように南京錠がかけられてある。しかし、鍵穴はない。
「どうやって読むの、これ」
「さあ、わからない。この本の持ち主に聞いたらわかるんじゃないかな?」
「持ち主って誰?」
「お祖父さんの友人とかなんとかで……なんて言ったかな? ゴッド……オルミン? いや、違うな。……オルムルム……ゴド……。ああ、思い出した。ゴドフリー・オルムステッドっていう人だ」
ゴドフリー・オルムステッド。その名前にリリーは目を見開いた。
「校長先生の本なのね……!」
「なに、知り合い?」
「知ってるも何もわたしの通っている学校の校長先生なのよ。アルシア・カレッジっていう魔法・魔術の学校」
「へぇ、そうだったんだ。この本はお祖父さんが『返すべきときが必ずくる。それまで誰の目にも届かないように地下にしまっておきなさい』って言われていたんだ。今がそのときなんだ。リリー、この本は君に託したよ」
リリーは頷いた。この本を持っているとなんだか不思議な感覚に襲われる。どこからか力がみなぎるような、自信にあふれるような感じだ。
リリーが北ペンクスリに拉致される前、オルムステッドは何者かに襲われ重傷だった。しかし、今ならきっと無事だろうという前向きな気持ちが湧き上がってくる。
リリーはクラウディアに手を差し出した。クラウディアはその手をしっかりと握った。
「今日はいろいろありがとう。クラウディアに会えて良かった。この本も必ず届けるわね」
クラウディアに会ってからずっと静かだったルシフェルの声が頭に直接響く。しかし、いつもの頭痛のようなものではなく、クリアにまっすぐ頭に届く。
「おはよう、愛しい娘。なんだ? 瞬く間に力が湧いてくる……。ああ、なるほど。その本が原因か」
普段のリリーだったら、他人の前でルシフェルの声が聞こえた時点でひどく警戒するが、このときは、そんなことさえ気にならないくらい気分が良かった。
「おはよう、わたしの悪魔。この本のこと知っているの?」
「知っているも何もこの本は――」
「リリー? 誰と話しているんだい?」
クラウディアが不思議そうにリリーの顔を覗いた。
「悪魔のルシフェルよ。わたしは悪魔憑きなの」
にこりと笑顔を見せたリリーは躊躇うことなくルシフェルのことを説明する。
「わたしは幼い頃に悪魔憑きになってから、ずっとその力で魔法使いとして学校に通っているの。いつもだったらこんなこと絶対に言わないのに、不思議ね。なんだか何でも話せる気がするの」
「本当に!? 悪魔憑きは初めて見た。悪魔は実在するの?」
クラウディアは驚きと困惑と好奇心による感情をないまぜにしてリリーに詰め寄った。まるでおもちゃを与えられた子供のようにキラキラとアメジストのような瞳を輝かせた。
「実在するわ。クラウディアは悪魔付きのことを悪く思わないの?」
「思わないよ。悪魔憑きだからといって悪いとは限らないでしょう? 図書館には悪魔憑きの本もあった。大抵はどれも悲しい結末だったり自業自得だったりするけれど、そうじゃないのもある。それに、悪魔憑きじゃなくても悪人なんてこの世に五万といる。まあ、それが全員悪魔憑きだなんて言われたら元も子もないけどね」
リリーはぷっと吹き出して「たしかに」と笑った。
「もし私が悪魔憑きになったら、悪魔に『世界中の本を読みたい』ってお願いするだろうな。それとも世界平和を願ったら、本当に叶うのかな。大きすぎる願いが難しいのならせめて、大切な人が戦争に巻き込まれないようにしてほしい。それが叶うんだったら、悪魔に魂を食べられても文句はないな」
クラウディアは一人でうんうんと頷いた。
「ふふ、なんだか楽しそうね」
「楽しいよ。妄想することは自由だからね。誰にも咎めることはできないよ」
「そうね。実はわたし、この悪魔の力を今までずっと隠して、本当は悪魔が使えないのに魔法使いとしてみんなを騙してきたの。でも、こんな状況になってどうすればいいかわからなくなっていたところだったの」
二人は階段を上り始めた。途中で、クラウディアが振り返った。リリーの目をじっと見つめる。
「その力はリリーだけのものなんでしょう? だったらリリーが決めるしかない。誰かの言いなりになんてなる必要はない。どうせ魂が悪魔のものになるのなら、最後まで納得できる使い方をした方がいい。人としての未来はまだたくさんあるんだからさ」
自己満足なので、自分は面白いんですが、たぶん他人から見たらアップダウンなくて読むの面倒だろうなと思いながら書いてます。




