第4話 赤い髪の青年(2)
自分の書いた小説が人に読まれているのは割と気恥ずかしいものですね
リリーは一瞬悩んで、自己紹介をすることにした。知らない人だが、おそらく命の恩人だ。
「わたしはペンクスリ王国民のリリー・スピアーズよ。あの、ここはあなた……ホフマンさんの家よね? ご家族とかは……?」
その意味に気が付いた少年は申し訳なさそうに頭を下げた。
「怖がらせたみたいで、すまない。ここは家族で経営しているホテルで、この部屋はその一室なんだ。両親と姉がロビーにいるから安心してくれ。あとレオでいい」
リリーはホッと胸をなでおろした。まだ完全に安心しきったわけではないが、悪い人ではなさそうだ。
「それで、わたしに聞きたいことって?」
レオは窓際にもたれかかると、神妙な面持ちで話し始めた。
「アンスバッハはアンスバッハ人のための国だ。なのにここ数年、ペンクスリ人の住民が異様に増えている。それどころか、ペンクスリ人専用の店まである。君たちペンクスリ人は一体アンスバッハをどうするつもりなんだ?」
リリーは首を傾げた。少なくともリリーの周囲ではアンスバッハに移住した人はいない。それどころか話題にすら上がらない。
「どういうこと?」
レオは顔をしかめた。皮膚に痕が残りそうなほど固く組まれた指。視線は床をじっと見つめている。
「なんでわざわざアンスバッハに住む必要があるんだ。しかも奴らはアンスバッハを覚えようとする様子はない。アンスバッハ人がペンクスリ語も話せると思って強要してくる。俺たちアンスバッハ人がペンクスリ語を話せるのは、土地柄仕方ない。しかし、だんだん奴らや奴ら専用の店はアンスバッハ人を排斥するようになってきた。変なんだ」
リリーはようやく理解した。最初から様子が変だったレオへの違和感の謎が解けた。彼はペンクスリ人が気に食わないのだ。アンスバッハに住んでおきながら馴染もうとしないその態度にわだかまりを抱えている。だから、最初はリリーのことをアンスバッハに住むペンクスリ人だと思って、アンスバッハ語が話せるか試したのだ。アンスバッハ語がわからないリリーに眉を顰めたのも頷ける。
しかし、リリーがアンスバッハ住民でないことがわかったのだ。おそらく、リリーがアンスバッハ人に会うことがないと言ったとき。住民だったら頻繁に見かけるはずだし、何かしら言葉を交わすこともあるだろう。
(つまり、運良く捕まえたわたしは人質みたいなものってことよね……)
我ながら不運である。リリーは思わず頭を抱えそうになった。果たして今日中に帰れるのだろうか――。
「申し訳ないけれど、本当にそのことについては知らないわ。だいたいペンクスリ人って言っても北と王国に分かれているし。その増えた住民はどっちかわからないの?」
レオは首を横に振った。
「奴らは、ペンクスリ人はペンクスリ人同士でしかつるまない。どこから来たのか尋ねても『ペンクスリからです』と言われたら困るだろう。ペンクスリの名前が付く国は二つもあるんだぞ!? しかも関係が最悪だから迂闊にどっちか聞けないだろ!」
リリーは「確かに」と心の中で頷いた。自分が「北ペンクスリの方ですか?」なんて言われたら嫌な気持ちになる。
レオはおもむろに窓から離れると、扉を開けた。
「無駄な時間を取らせてすまなかった。もう帰った方がいい。着いて来てくれ」
立とうとしたとき、まだ身体が痛むのを感じた。それに気付いたレオはリリーの手を握り、腰を支えて、立ち上がるのをサポートする。
「歩けないようだったら、腕に掴まるといい。それとももう少し休んでいくか?」
(わ、紳士的……!)
さきほどの棘のある様子からのギャップに思わず驚いてしまった。
「休みたいのは山々だけど、気持ちだけ頂くわ。予想外に遠いところまで来ちゃったみたいだから急いで帰らないと、怒られてしまうの」
レオは頷くと、リリーを支えながらロビーに向かう。歩く速度もリリーに合わせてゆっくり。レオは途中で壁にかかっていた帽子を手に取る。
ロビーには中年の男女がいた。レオの両親だ。
「もう帰らなきゃいけないみたいだから、送って来る」
「わかったわ。気を付けてね」
そう言葉を交わし、外に出るとそこは一面の銀世界だった。ブライトンよりもずっと雪が積もっている。
レオは宿のすぐ横の雑木林を指さした。
「昼前、君はすぐそこで倒れていたんだ。箒も折れていた。ここはアンスバッハの端だから、南に飛べば国境を越えられるはずだ」
「でも、箒は……」
レオは優しく笑って、さきほど手に取った帽子から長い棒――箒を取り出した。
「俺の箒だ。これなら家まで帰れるだろう。返さなくていい。俺はまた新しいのを作れるから、今はリリーが帰ることのほうが優先だ」
リリーは瞳を丸くした。
「初めて名前呼んだ」
「そうか?」とレオは首を傾げ、「一人で帰れるか?」と尋ねた。
「あ、ええ。大丈夫。大した怪我もないし。ありがとう。あ、あの、今度はちゃんとしてアンスバッハに遊びに来ていい……かな?」
レオはぱちくりと目を瞬かせた。
「お礼がしたいの。箒と助けてくれたことの。そして、アンスバッハに興味が湧いてきたの。……駄目かしら?」
レオは少しだけ困惑した様子で、そして出会ってから今までで一番素敵な笑みを浮かべた。
「ありがとう。遊びに来るときは、アンスバッハ中を案内するよ。そうだ――これ」
そう言ってレオは紙切れに何かを書いてリリーに渡した。住所だ。リリーも口元を綻ばせた。
「手紙、書くね。今日は本当にありがとう!」
リリーはレオから受け取った箒に跨った。レオが柄に手を伸ばす。
「俺の箒、お前に告げる。俺の友人リリー・スピアーズを安全に家に帰してくれ。今後お前は彼女の箒となり空を駆けよ。最後の命令を下す――飛べ!」
ふわりと宙に浮く。
「国境の壁には兵がいる。くれぐれも見つからないようにしろよ」
「わかった。それじゃあ、さようなら!」
レオが頷くのを見る間もなく、箒は空高く飛んで行く。見つからないように、尚且つ急いで――。
既に身体の痛みは癒えていた。