第45話 リリーとウェルチ博士(4)
ウェルチのあとに続いて、しばらく歩いた先の部屋へと入る。重い扉を開けた先に、巨大なガラスの筒のようなものだった。中心に置いてあるそれは、リリーには到底理解できないような様々な装置や管が取り付けられていた。
分厚いガラスの筒の中にいたのは、立派な角を持った黒山羊だった。見ただけでわかる。その黒山羊はルシフェルで間違いない。
リリーはすぐにルシフェルの傍に駆け寄ると声をかけた。しかし、ルシフェルはぴくりとも動かず、衰弱しているように見える。
咄嗟にウェルチの方を振り向いた。
「ルシフェルはどうなっているの?」
「力を弱めて、動けなくしているだけ。死ぬわけではないよ」
ガラスにこつんと額を当てた。
「ルシフェル、あんたらしくないじゃない。最も美しくて、最も強いのがあんたでしょ」
ルシフェルの声は聞こえない。もしくは、ルシフェルにリリーの声が届いていないのかもしれない。
リリーはくすりと笑った。
「ウェルチ博士、あなたにルシフェルを扱うのは無理だわ。ルシフェルは人間の命令で動くようなヤツじゃない。十年間共に生きたわたしだからわかる。人間に屈しないのがあいつの誇りなのよ。だから、あなたに力は貸せない」
「なっ……」
ウェルチは目を瞬かせた。
リリーはウェルチと対話してわかったことがある。ウェルチは誰のことも信用していない。それはヨハンに対しても同じ。ヨハンの過去を話しているとき、リリーは同情した。それと同時に、それを話す表情は無機質だった。なんの感情もこもっていない。なんとも思っていない。そして、リリーが自分の過去を打ち明けたときも、同情と慰めに見せかけて顔がにやけていた。ルシフェルが、悪魔を統べる悪魔が自らの手に堕ちたことを確信し、喜びを隠しきれていなかった。
(助けてほしいときに限って黒山羊の姿で弱っているなんてね……!)
拳を力強く握りしめた。そうしないと心臓が体から跳び抜けてしまいそうだった。精一杯の虚勢を張ってウェルチを睨みつけた。
「わたし個人としても、貪欲で卑しいあなたに協力なんてこれっぽっちもしたくないわ」
「小娘が調子に乗りやがって!」
ウェルチはリリーの髪を引っ張ると、引きずるように出口へと向かった。
「やだ! やめてよ! 痛い!」
ありったけの声で叫ぶがその努力も空しく、地下へと連れて行かれる。最初にいた部屋よりもずっと小さくて光の届かない独房へとぶち込まれた。
「もう数日でホーガン少佐が来る。拷問のやり手だ。それまでせいぜい神にでも祈ってろ!」
そう吐き捨てると、カツカツと階段を上って行った。
リリーは乱れた髪を軽く直すと、独房の中を見回した。暗くて目が慣れるまでに時間がかかる。
鍵のついた鉄格子。簡素なベッドには毛布もない。
看守はおらず、鉄格子の隙間から見えるのは、同じような独房ばかり。衣擦れの音、鉄と鉄がぶつかり合う音、何かを引っ掻く音。
(わたしの他にも監禁されている人がいるんだわ……)