第34話 もう一人の悪魔憑き(2)
「しょうがないなあ。ヴィネ、いくよ。……生体認証完了。第一部解放。悪魔式拘束術アルファ発動――」
ヴィネに付けられた首輪がヨハンの指輪に呼応するように鈍く光った。ルシフェルが反応するよりも速く、ヴィネがルシフェルの首根っこを掴んだ。
「あなたにはしばらく眠ってもらいます」
何か術を叩きこんだのか、ルシフェルは即座に膝から崩れ落ち、そのまま倒れてしまった。
リリーは慌ててルシフェルに駆け寄るが、肩を揺らしても、ルシフェルが目を覚ますことはなかった。
「あなたたちルシフェルに一体何したの!?」
「少し眠っているだけだよ。でもそんなに長くはもたない。さあ、リリー、話したいこといっぱいあるんだ」
リリーはこっそり帽子から出しておいた杖の先をヴィネに向けた。
「杖よ杖、わたしの杖。わたしに害をなすものを妨げろ。フェリーパオ!」
しかしいつものように魔法陣が展開しない。
「無駄だよ。悪魔の力を一時的に無効化したから君は魔法を使えない。……さあ、話を聞いてくれるね?」
観念したリリーは黙って頷いた。逃げられる状況でなはい上に、逆らうとどうなるかわからい。
ヨハンは満足げに笑顔を作ると、ヴィネとルシフェルから離れたところにリリーを誘導した。一呼吸置いて、リリーの両手を握る。
「さっきはごめんね。別に怖がらせようとしたかったわけじゃないんだ。ただ、ぼくは君を救いたくてここまで来たんだよ」
「救いに……?」
「そう。君もぼくも望んで悪魔憑きになったわけじゃない。でも悪魔憑きが悪いことだなんて言わせない。もう辛い思いしたくないでしょ? だからぼくたちが住みやすい世界を一緒につくろう」
リリーは訝しげに「具体的に……具体的にどうするの?」と尋ねた。
ヨハンは嬉々として話を続ける。
「まずは北ペンクスリに来てもらう。そこにはぼくの恩人のウェルチ博士がいるんだ。博士は人と悪魔の共存を真剣に考えていて、リリーのこともきっと理解してくれるよ。そしたら次は、アンスバッハをぶっ壊す。その次は王国。北はぼくと博士が住むから残しておくんだ」
(ぶっ壊す? 今、ぶっ壊すって言った?)
「ごめんなさい。言っていることがちょっとよくわからないわ」
「アンスバッハも王国も、ぼくたちを受け入れない国なんて必要ない。滅んじゃえばいいんだよ。リリーもそう思うでしょう?」
リリーは硬直した。言っていることの意味が全然わからない。話が飛躍しすぎだ。しかしこの漠然とした話をもし本当に実現する気なら、先日の北との開戦にもヨハンが関わっているのかもしれない。
ヨハンと話が通じる気がしない。その不気味さが怖かったが、リリーは思い切って聞いてみた。
「この戦争もあなたの仕業なの?」
「それは知らない。君たちの国が勝手に始めたことじゃないの? それにぼくは実験にちょっと付き合っただけだよ。君も見てるでしょ? ほら、ぼくたちが出会った日の市街地での爆発。あれ、ぼく」
あの時のことが鮮明に蘇る。爆発音、もうもうと立ち上る黒煙。めらめらと燃える炎に崩れて炭の塊と化した住宅。誰一人助けられず、悔しくてやりきれない思いのレオの背中。
無責任なヨハンの発言にリリーは一瞬で頭に血が上った。ヨハンの頬を思いきり叩いた。何かを言おうと
しても、様々な思いが詰まり言葉にできず、口をぱくぱくさせた。
ヨハンは意味がわからないと言った様子で、頬を押さえる。
「何をそんなに怒ってるの? 人が十人ばっかし死んだだけでしょ?」
その態度にリリーは余計に激憤した。もう一発お見舞いしようとしたところで、何かがリリーの腕を引っ張った。体温を感じられないこの感触はルシフェルだ。
ルシフェルは世界一怖い笑顔をヨハンに向けた。
「よくもこの私を虚仮にしてくれたな」
「おー、こわいこわい。じゃあ、ぼくはもうそろそろ行くよ。リリー、また会いに行くからね」
「ルシフェル、人間嫌いのあなたにしては珍しくこの契約者に甘いのですね。ではまた」
ヨハンはパチンと指を鳴らした。ヴィネは影となり、ずるずるとヨハンを地面に飲み込んで消えた。
呆然として座り込むリリーの肩をルシフェルはそっと抱いた。
「リリー、あいつの言葉に耳を傾けるな。私の言葉だけを信じろ。お前には私がいる」
「変なの。ありえないのになんだか温かい」
リリーは思考を巡らせた。ヨハンをこのまま野放しにしておくのは危険だ。悪魔憑きになればどんなことでも簡単にできる。そんなことはリリーがよく知っている。どうすればヨハンを止められるのだろうか。
(わたしがルシフェルの力を受け入れるしかない……でも、そんなことしたら……)
逡巡した。力を受け入れるということは、リリーが守っていた人間としての最後の誇りを捨てることになる。受け入れたら、悪魔憑きであることを隠し通すことはできない。そして最後には、人間としての感情も消え失せ、悪魔に魂を喰い尽くされる。
今のリリーにはそんな決断は下せない。自分を変えることはできない。
授業の鐘はとっくに鳴っていた。