第1話 食堂にて
ルビに疲れました
尚暦一四七二年十二月下旬。
『北 軍備拡張か』
『緊張高まる 内閣関係者語る』
『北ペンクスリの卑劣な計画』
先日からずっと新聞の見出しは、隣国北ペンクスリの軍備拡張のことばかりだ。ラジオやテレビのニュースでもこの話題で持ち切りだった。
リリーは朝食を食べながら新聞を読んでいた。ざっと目を通すが目新しいことは何も書いていない。
「三日後にはフィリッパの夜明けだってのに物騒よね」
誰に向けられたでもない独り言に、向かいに座っていたルームメイトが反応した。
「今年も無事に年を越せるといいよね。リリーはいつお家に帰るの?」
艶のある黒髪を耳より高い位置で二つに束ね、ぱっちりとした目を持つ美少女は東洋の国出身の鄭香月だ。香月は紅茶に角砂糖を大量に投入し、ティースプーンでカップの中身を掻き回した。
リリーはうんざりした顔でそれを眺める。
「あっ、また『そんなに砂糖入れて美味しいの?』って顔してる」
頬をぷくっと膨らませて、リリーを上目遣いで睨む。しかしその表情すら愛らしい。
「だって、砂糖が溶けきらなくてじゃりじゃりって音が聞こえてるもの」
「いーの。これが美味しいんだから」
リリーは苦笑いをすると新聞を折り畳み、自分のカップに手を伸ばした。砂糖は入っていない。一口飲むと、ふう、と息を吐いた。
「実家には明日帰ろうと思う。香月は?」
「あたしも」と香月は答えると、美味しそうに紅茶を飲んだ。
学校が冬休みに入ってから、食堂を訪れる生徒はだんだんと少なくなってきている。みんな実家に帰っているのだ。また、まだ寮に残っている生徒も授業がないため、寝過ごして朝食を抜かす者も少なくない。
リリーは閑散とした広い食堂をしみじみと見回した。テーブルと椅子は規則正しく並べられており、清掃がよく行き届いている。
「長期休暇の時期はいつもそうだけど、こうも人がいないとなんか寂しいよね。いつもだったら朝から晩まで騒がしいのに」と香月は足をぷらぷらさせた。
リリーたちが在籍しているのは魔法使い育成学校、アルシア・カレッジだ。ペンクスリ王国の首都ブライトンにあるこの学校は約四百年の歴史を持つ古い学校であり、十三歳から十八歳までの子供たちが魔法と魔術を学んでいる。
リリーが先ほどまで読んでいた新聞を手に取った香月は表情を曇らせた。
「最近、こういう記事多いね。なんだか街も学校も落ち着かないし……。どこもかしこもずっとピリピリしてる。みんな、今度こそ北が攻めてくるんじゃないかって神経質になっているの、嫌だな……」
長い睫毛を伏せて悲しげな表情をする香月を励ますように、リリーは「大丈夫よ」と声をかけた。
「今は内戦状態ではないんだし、さすがに攻め込まれるなんてことはないでしょ」
半分は香月に、半分は自分に言い聞かせるようにもう一度「大丈夫」と呟いた。
十二月中旬に、ペンクスリ王国有数の新聞社が北ペンクスリの軍備拡張について報じて以来、ペンクスリ王国のすべての報道機関でこの話題が取り上げられ始めた。
北ペンクスリ社会主義共和国とペンクスリ王国はもともと一つの小さな王国として存在していた。王国という名ではあるが、時代の流れに合わせて百年以上前に民主国家になっている。しかし、三十年ほど前の世界中を巻き込んだ三年大戦を皮切りに、以前から存在していた王国内の北部と南部の地域対立が激しくなった。内戦を経て一四五二年にマレイグを中心とする北ペンクスリが社会主義国家として独立したものの、その争いは現在でも国境付近で続いている。
以降、ペンクスリ王国内の北ペンクスリに対する嫌悪感は国民レベルにまで達していた。「北ペンクスリの人間は裏切り者で卑怯者」「北ペンクスリ国民は信用するな」という言葉は内戦時から今まで国民に浸透している。
また、北ペンクスリの人間と関わることは問答無用でスパイを意味し、それが警察に露見すれば監獄行き、さらには酷い拷問にかけられることは誰もが知る話だ。
「そうだよね。今さら戦争になったって何の得もないもんね」
頷く香月にリリーはいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「当たり前でしょ。それに、そんな悲しそうな顔してると浩海がやって来るよ」
「何言ってるの。そんなタイミングよく来るわけないでしょ」
友人の冗談に香月は口を尖らせた。
浩海は香月の二つ上の従兄だ。背が高くひょろりとした体型で、香月と同じ髪と目の色。最近眼鏡を変えた。そして今こちらに向かって歩いてきている。
「ああ、香月、ここにいたんだ。それとリリーも。おはよう」
突然背後から声をかけられた香月は肩をびくりと震わせて振り返った。
「びっくりしたぁ……」と思わず呟き、そしてハッとしたように「わかってたのね」とリリーの方に顔を向けた。
面白がるリリーと驚く香月に浩海は首を傾げながらも話を続ける。
「おばさんから電話があったんだ。ここで朝ごはんを食べていると思って来たら、お話し中だったみたいだね」
「ううん、いいの。帰省の話ね。じゃあねリリー、お先に」
香月は席を立って食器を片付けると、「行こう」と浩海の手を引っ張って食堂を後にした。
浩海と話す香月はまるで花が咲いたように表情が明るくなる。二つに結わえられた黒い髪を揺らし、よく笑う。顔は上気し、黒く大きな眼を黒曜石の如く煌めかせる。
「あーんなに可愛い学校のアイドルの想い人がまさか従兄だなんて、ファンに知れたら嫉妬の嵐ねぇ。そしてあのバカも従妹に好意を持たれてることに気付かないなんて大馬鹿者のにぶちんね」
リリーはぎょっとして後ろを振り返った。
「セリーナさんもいまーす!」
透き通るような水色の髪をかきあげ、セリーナは褐色の肌から白い歯を覗かせた。
「いつから!?」
「浩海が来る前から。というか最初から?」
「いるなら言って! びっくりするから!」
「大事な後輩がちゃんと朝食を摂っているか確認するのも王の学徒の役目なのでありまーす! 食べ終わったんなら、さっさと食堂から出ていくんだな! どうせまだ帰省の準備してないんでしょ?」
セリーナ・エマーソンはリリーや香月がいる女子寮――ツルバギア寮の王の学徒である。王の学徒は六つある寮からそれぞれ一人だけ選ばれる成績優秀者のことで、寮長も兼任している。
セリーナはよくふざけているが、六人いる王の学徒の中でも上位に入るほどの成績優秀者だ。ちなみに鄭浩海は男子寮であるビーチ寮の王の学徒であり、期待を裏切らない品行方正ぶりだ。
セリーナはリリーの頭をくしゃくしゃに撫でた。
「そういえば今日はものすごく寒いらしいから、風邪ひかないように気を付けるんだよ。特に外出するならね。じゃあ、私は今日から帰省するからまた新学期で! あんたも気を付けて帰るんだよ」
水色の外ハネのひどい髪を揺らしてセリーナは食堂から出ていった。
おせっかいなセリーナを見送って、リリーも最後の一口を飲み干すと、空になった皿とカップを重ねて返却口へと持って行った。新聞を折りたたんで、元あった場所に戻す。
食堂を出て、もうひとつ厚く重い扉を押し開けた途端に入り込む冷たい風に身を震わせた。みずみずしい若葉のような髪が風に靡く。
渡り廊下に出ると、はらはらと雪が降っていた。滅多に雪が降らないペンクスリでは、これがこの冬初めての雪だ。どうりで起きたときからやけに寒かったわけだ。
大きく息を吸って長く、緩く、白い息を吐いた。風が出ている日は箒に乗ってどこまででも飛べる気がする。
勢いよく部屋に戻ると、厚めのコートを羽織って、手袋をはめた。そして学校指定の黒マントに身を包む。こちらも学校指定の黒い三角のとんがり帽子を手に取ると、中身を掻き回した。忘れ物はなさそうだ。
「帽子よ帽子、わたしの帽子。わたしの許可なく離れたら火にくべて燃えがらの刑」
呪文を唱えて帽子を目深に被る。ベッド脇に立てかけていた箒を掴んで部屋を出た。
今日は帰省の支度をしようと思っていたが、急遽予定変更。空を飛びたい気分だ。
外出届を学務課に提出して、外に出ると箒に跨る。
「飛べ! わたしの箒!」
そう言った瞬間、リリーを乗せた箒は勢いよく、真上に空へと飛び上がった。
校舎よりもずっと高く飛び上がると箒は風の流れに乗って北へと進む。目下には首都ブライトンの街並みが広がり、北から南に流れる大きな川が街を横断する。
細雪がはらりと手のひらに落ちた。空を見上げて、陽を遮る厚い雲にくちづけをするように目を閉じた。鼻から大きく空気を吸い込む。ツンとした痛みが鼻孔を通る。
寒い。寒いけれどこの何もない、果ての無い空で自由に飛ぶのが気持ち良い。
ゆっくりと瞼を押し上げた。遥か高いところにはハヤブサが両翼を大きく広げて滑空していた。
北に少し飛ぶと赤く長い列車が鉄橋を走行しているのが見えた。
列車内では初雪に喜ぶ子供が車窓に張り付いていた。子供の横には母親らしき女性が子供と一緒に初雪を見て、父親らしき男性は新聞を読んでいる。網棚に載せきれなかったのか、大きなトランクがひとつ足元に置いてあった。おそらくフィリッパの夜明けに合わせて田舎に帰るところなのだろう。
フィリッパの夜明けはペンクスリ王国及びその周辺国での古くからの慣習である。世界が闇で閉ざされた十二月三十一日に聖女フィリッパに供物を捧げて祈る。そして一月一日にフィリッパが光を取り戻した日を夜明けとして、その供物を頂く祝い事である。
(寮に戻ったら早く帰省の支度しなくちゃ)
そう思っているうちに赤い列車は遠く、小さくなっていった。