第9話 二人の男(1)
同日同時刻、首都ブライトン。
すっかり陽は落ちて、街灯が温かな光を灯し始める。年末のため営業している飲食店も少ない。その中のとあるカフェバーは今夜も混んでいた。若いカップルや薄汚いジャケットに身を包んだ中年男性など客層は広い。
カウンターに座る若い男。三つボタンのシングルスーツにスラックス、品の良い革靴を履いている。新聞を読みながら煙草を吹かしている。机の上には飲みかけのウイスキーが置いてある。
「ったく、今日も賭けに負けちまったァ。マスター、俺にも酒をくれ」
突然若い男の隣に座ってきたのは、くたびれたハンチング帽に煤だらけの作業着、無精髭を蓄えた男だった。曲げられた低俗な雑誌を広げるが、読みはしない。見てわかる通り、若い男に比べて身なりに気を使っていない。
差し出されたウイスキーをぐいっと一気に飲み干す。調子づいたのか、隣のスーツを着た若い男に絡み始めた。
「やっぱ酒はウイスキーに限るねェ。なァ、あんたもそう思うだろ?」
若い男は髭の男を一瞥すると嫌そうに肩に置かれた手を払った。すぐに新聞に視線を戻し、髭の男を無視した。
髭の男も相手にされなかったのが不機嫌な様子で目の前の雑誌を読み始めた。
ふいに若い男が、隣の髭の男にしか聞こえない方な低い声で囁いた。新聞の陰に隠れてその口元は見えない。
「紅茶と茶菓子は海の底」
髭の男も表情を全く崩さず、「タクシーよりもコーヒーは高い」と呟いた。一見雑誌に書いてある言葉を口に出しただけのようにも見えるが、その声は若い男にしか聞こえない。そして髭の男は口元が見えないように頬杖を突いた。
その後もお互いにしか聞こえないような声で言葉を交わす。お互いの顔は見えないが、若い男は嘲笑を含んだ様子で話しかけた。
「なんだその変装は。随分と汚い恰好だな」
「別にどうでもいいだろう」
「まあ、そうだな。……こっちは予定通りだ」
髭の男はページを捲った。
「時期は?」
「五か月以内。もうじき我々のものになる」
「そうか。なあ、俺には今やっていることが正しいことだとは思わない」
「貴様個人の意見は不要だ。言われたことだけやれ」
髭の男は舌打ちをした。若い男はそれを無視して話を続ける。
「その次は将軍殿を引っ張り出さねばならん。……また連絡をする」
若い男はグラスに残ったウイスキーを全て飲み干すと、席を立った。金を置いてカフェバーを出る。
髭の男は振り返らずにそれを気配で察すると、ウイスキーをもう一杯頼んだ。噯にも出さずに心の中で忌々し気に舌打ちをした。
この二人を書くのが割と好きです。