初めまして Side 執事長 マリオ
「アレクサス様、御手紙に御座います」
「うむ」
大旦那様に差し出すお手紙。 一番上に、懐かしき御手の文字。 あぁ…… あの方の文字はいつも美しいと思ってしまう。 その文字を見詰める大旦那様。 ペーパーナイフで封を切られる。 目が文字を追うのが判る。 愛おし気に、文字を撫でる様に。
「マリオ、アレの部屋の準備を」
「御意に」
「……娘を連れて来るそうだ。 セシルと言う。 かなりのお転婆だそうだ…… 楽しくなりそうだな」
「御意に…… まさしく」
「アンナにも伝えよ」
「御意に」
「忙しくなるな」
そう云いつつも、大旦那様の表情はいつになく明るく、楽しげだ。 お身体の具合が、このところ、すぐれないのだが…… アレクトール医務官も気を揉んで居られたのが、嘘のように笑ってらっしゃる。 良い事だ。 これは、良い事なのだ。
******************************
あの方が、この北の城壁のお屋敷に来られ、そして、去られてから、もう幾年も経った。 しかし、あのころのお屋敷の事は、私の心の中の一番の宝になっている。 幼少の頃より、騎士を目指し、高みを目指し、黒衣の騎士に選ばれ、そして、黒龍の御家にお仕えした私の、一番輝かしき時なのだ。
あの方に初めてお会いしたのは、先の大旦那様の御遺体の側であった。 今となっては、記憶の底にあるその情景は、未だに私に死とは何かを問いかけて来る。
村娘の姿をしたあの方。 小さい体に、強い心を持った、誇り高き少女。 パウエル様の御遺体が安置されているお部屋に続く、廊下で、ウラミル様に問いかけられた言葉を思い出す。
「閣下、申し訳ありませんが……」
「何かな?」
「パウエル様は、何の『香り』が、好きでしたでしょうか? 薔薇でしょうか、他の花でしょうか?」
「……御爺様は、森の木々をお好みだった。 鬱蒼とした深い森が…… 龍王国が大きくなるにつれて、ここ、王都シンダイの周辺から消えて行った、森が好きだった」
「深い森の清冽な香り…… お人柄がでますね」
パウエル様の御遺体が安置されているお部屋に、邪なモノが集まらぬよう、強く強く「死者の香」を焚きこんだのは私だ。 パウエル様にお別れを言上される、旦那様、大旦那様のお気持ちを想うと、精一杯の安息をと、そう思い、強く強く焚き込んだ。
廊下の端にある御部屋に着く前に、「死者の香」の香りが漂っている。 自然と歩みも遅く、沈痛な面持ちになる。 パウエル様は、この黒龍の御家にとって、無くてはならない方だった。 責務を負い、龍王国と、民草に心を砕き続けた、偉大な御方だった……
お部屋の扉を開ける。
ウラミル様、アレクサス様、そして、あの方。
一拍の時を置き、あの方が言葉を紡ぎされた。
「永久の別れを、奏上させて頂く前に、陰気を払いますね」
陰気とは? 疑問に思う。 死者は、「死者の香」に包まれ、旅立つものではないのか? 私の困惑を他所に、少女は ” 言葉 ” を、紡ぎ始めた。
⦅天と地の精霊の聖名において、我、クロエ=カタリナ=セシル=シュバルツハントが奏上する。 長きに渡りハンダイ龍王国にその身を捧げ、魂が肉体と別れしパウエル。 その魂の平安を得る為に、その身に纏いし汚濁を、彼の者が好みし香りにて払う。 地と樹と水の精霊に助力嘆願す⦆
精霊が好む、古代キリル語が、その小さな口から紡ぎ出された。 大人でも、精霊教会の者でも、これ程見事な言葉を紡ぎだせはしない。 古代キリル語は精霊様の言葉。 精霊様が力具現化させて、魔方陣を紡ぎ出された。 パウエル老の上下に魔方陣紡ぎ出されるの見えた。 下から森の香りが噴き出し、上の魔方陣が この部屋に渦巻く重く陰鬱な空気を吸い取る。 死者の香すら、失われていく。
部屋に鮮烈な深い森の香りが充満する。 重苦しい空気が霧散して、穏やかな空気に替わる。
「こ、これは・・・」
御当主ウラミル閣下が驚愕に目を剥かれた。 いや、その部屋に居る男達は皆そうだった。 唯一、その状態を紡ぎ出した少女だけは、落ち着いて、その様子を見詰めている。 為すべきことを、成したと言わんばかりに……
その村娘の姿をした少女は、パウエル老の亡骸の前に跪拝して、手を組んで、「永久の別れの口上」を始める。 御霊を精霊様にお送りするとは、こういうことだったのか…… 王都で見られる、豪華な葬礼とは全く異なる。 そこには仰々しい言葉も、重厚な儀式も無い。
少女の口から、更なる古代キリル語が紡がれる…… 少女の細い声は、滞る事なく朗々と響き、お部屋の空気が神聖なものに満たされるのが理解できたのだ。
⦅遠き時の輪の接するところ、刻が意味をなさぬ場所、精霊様のご加護により、彼の者、パウエルの御霊を導き給え。 彼の者の成した諸々の所業に相応しき場所へ。 願わくば、彼の者の血縁者の御霊の元へ。 彼の者の、魂の平安をここに祈ります⦆
御当主ウラミル閣下、アレクサス大公翁も涙を流され、その様子をご覧に成られている。 偉大なるパウエル翁。 ハンダイ龍王国の礎を支え続けられた御方。 あまたの危機を雄々しく、粘り強く支えて来られた御方。 清々しい香りを残し、偉大なる御方は、遠き時の輪の接する所へ、旅立たれた……
振り返られた、少女は満面の笑みを浮かべられた。 御当主ウラミル閣下と少々お話された後、少女は、こういわれた。
「ええ、今は、精霊様と共に遠くへ行かれたと。 まぁ、父様や爺様と同じ所へお願いしますよって言いましたけど」
幸いなるかな、パウエル老。 御役目故に手放差なければならなかった、家族への想い…… この少女は、それを知っていたのか。 いや、知る様な立場ではなかった筈。 御当主様から御話は伺っていたが、この少女もまた……
シュバルツハント黒龍大公家の家族の一人なのだと、そう強く印象付けられた。
******************************
あの方のお部屋を準備していると、にわかに屋敷の中が騒々しくなった。 重厚な空気を満たすこの屋敷に、春の風の様な明るく、しなやかな空気が流れ込んで来たのだ。
云わずとも知れる。
そうだ、帰ってらしたのだ。
部屋の中を一通り確認する。 あの方が最後に出られた時と同じだ…… 敢えて、壁紙の傷も残してある。 あの傷もまた…… あの方の記憶なのだ。
カチャリ
ノックも無しに、扉が少し開けられる。
かつて見た少女によく似た、少女が部屋の中を覗いていた。 途端に脳裏に溢れだす、あの方の記憶と思い出…… 不覚にも両の目が潤む。 右手を拳にし、左胸に当てる。 そう、あの方に捧げるのは、常に騎士の礼であったと…… 思い出してしまった。
「小さきお嬢様。 どちらのお嬢様でしょうか?」
「私の名前は、セシル。 お母様のお部屋だと、聴いて、見てみたく思いました。 ゴメンンサイ…… あなたは、マリオって人? お母様がよくお話してくださってる人ですか?」
「こんにちわ、セシル様。 執事長、マリオに御座います。 どうぞ、よしなに」
頭を下げ、小さい淑女に礼式を取る。
……クロエ様……
また、鍛えがいのある、貴女の娘御様で、御座いますね。
このマリオの最後の御奉公……
楽しみで、なりませんな……
久々の投稿です。
執事長 マリオの初めまして。
久々で、なんか、上手く書けているかどうか…… 楽しんで頂ければ幸いです