世界の食文化に革新をもたらしたラーメン王 ー カップヌードル誕生
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百福は相次ぐ類似品との戦いをする一方、世界にも目を向けていた。自身が開発したチキンラーメンと、インスタントラーメンという新たな食文化を国内に止めず、世界中に拡げたいという願いから、1966(昭和41)年、百福は欧米に視察に赴くことになった。
ロサンゼルスのスーパー、ホリディマジック社にチキンラーメンを持ち込み、同社のバイヤーに試食を依頼したところ、皆、妙な顔をした。アメリカには丼鉢のようなものがないので、一体、どうやって食べて良いかが分からずに戸惑っていたのである。
あるバイヤーが、紙コップを持って来て、チキンラーメンを二つに割ってその中に入れ、お湯を注いで、フォークで食べ始めた。それは百福にとって異様な光景であったが、それだけに留まらないのが彼の慧眼というものである。
百福は、丼鉢と箸のない欧米文化に相応しい食のスタイルを思いつく。
それがカップヌードル誕生に至る発芽の瞬間であった。
だが、発想は良かったが、カップヌードルを完成させるのは決して容易ではなかった。訪問したスーパーのバイヤーのようにチキンラーメンを二つに割って入れるだけのようなそんな簡単にいくようなものではなかった。
まず、丼の代わりになるような容器を決めるために、百福は陶磁器や硝子、プラスチック、紙などの容器を集め、形状や素材を検討した。その結果、素材を発泡スチロールにすることにしたのだが、当時のわが国の技術では、発泡スチロールはどうしても厚みのあるものしか作ることができず、それでは片手で持つことができないことが判明した。片手で容器をもう一方の手でフォークをそれが百福の考えるスタイルであり、それができるような代物を作ること、百福は、それが可能な製造業者を国内で当たってみたが見つからず、また、そのために製品の開発をしようとするところもなく、埒が開かなかった。そのため、結局、百福自身が容器の製造会社を立ち上げ、開発を進めることにした。アメリカのダート社から技術を導入し、合弁で設立した会社「日清ダート」(現・日清化成)では、容器の材料である発泡スチロールの匂いや味がしみ出ないように徹底した研究を行い、完成させるに至った。ここで技術はアメリカのダーツ本社でも生かされ、技術革新に貢献することとなった。
次にカップに入れる麺も工夫が必要となった。
きちんとカップに収まるように形状を整え、かつムラ無く均一に麺をあげる、一見、簡単そうに見えるが、最初からカップに合うように成形した麺を固まりのまま揚げると、どうしても内側が揚がらず生のままに残ってしまい、内側までしっかり揚げようとすると今度は外側が揚げすぎの状態で黒くなってしまうのである。
百福はチキンラーメンを開発した時の事を思い出してみた。麺を揚げると、先に揚がったものから順に浮き上がってくる。その時は、それがネックとなったのだが、今度はそれが大きなヒントとなった。
百福は考えた。
円錐状の鉄の型枠を作り、その中にバラバラに解した麺を入れて揚げる。すると揚がった麺が順々に浮き上がってくる。上部は綴じ蓋によって塞がれ、先に揚がった麺はそこで行き止まりとなり、後に下から浮き上がってくる麺がそれにくっついていって固まりとなる。しかも、蓋の部分では綺麗な水平面となりその上に具を入れることができることとなった。
最初に成形するのではなく、麺を乾燥させることに重点を置き、成形は自然に任せるという発想である。過去の失敗を生かした百福ならではの発想の転換であった。
カップと麺が完成した。今度はカップを密閉する蓋であるが、これは飛行機の中で客室搭乗員から貰ったマカダミアンナッツの容器の上蓋を参考にした。紙とアルミを貼り合わせたこの蓋は密閉性を高めると共に、剥がしやすく便利だった。何にでも注意を払う研究心旺盛な百福らしい発想である。
しかし、課題は未だ残っていた。麺を容器に入れる方法である。麺がうまく容器に収まらないのだ。小さくすれば容器の中で麺は安定せず動き回り、輸送中に新藤で揺れ壊れてしまう。容器の形状と大きさに合うように麺を成形してもその型どおりには麺が収まらないのである。思案した挙げ句、百福が思いついたのは、容器に麺を入れるという発想ではなく、麺に容器を被せそののち逆さまにするという発想であった。そうすると、丁度、自重によって吊り下がった状態となりピッタリ収まることが分かった。百福はこれをカップ麺の「中間保持」として実用新案を申請した。今でも、カップヌードル始め、他者の同型のカップ麺はその技術を採用している。
麺を容器に収めると、先述したように水平になった麺の上部がエビ、卵、肉、野菜などの具材を乗せたが、それらはフリーズドライ製法によるものだった。因みに、具材の肉っであるが、百福はこれを豚肉とのみ説明している一方、日清食品ではそうとは明言せず、これまでその正体は謎とされてきた。最近(2017年9月)になって、ようやく、日清食品はその正体を明かした。何十年にも亘って秘密にしていた内容をいとも簡単に明かしたのだが、それにおよると、謎肉の正体は豚肉に大豆を混ぜ合わせたものだと言う。
さて、こうして完成した新商品、名前もカップヌードルとし、販売を始めるが、百福が思った程には売れ行きは伸び悩んだ。
袋麺のインスタントラーメンが一袋三十円〜四十円で売られている時に、一個百円は高いと問屋から言われたのである。
百福は営業職員を百貨店、スーパー、遊園地などに分けてチーム編成し、それぞれ専門的に営業をかけることにした。それでもなかなか売れず、消防、警察、パチンコ店、麻雀店などに売れるだけであり、そう言う特殊なルートでしか売れない際物商品だと考えられ、展望が見出せないでいた。
最初に大量に売れたのは朝霞市にある陸上自衛隊であった。演習場で給湯車からカップヌードルの湯を注ぎ、演習中の隊員に配られ、隊員らには頗る評判が良かった。
それから百福は、カップヌードルの自販機なるものを開発し、街角や店先に置くようにした。お金を入れて、商品を購入し、その商品を自販機に取り付けられた給湯口に移して、湯を注ぐというものである。ピーク時で全国に約2万台の自販機が設置されたと言うが、これによって確かに売上は伸びた。が、さらに飛躍的に伸びたのは、ある事件が切っ掛けだった。
当時は学生運動が終末段階に入っていた時代だが、その時、暴徒と化した過激派とよばれる集団が浅間山荘に人質をとって立てこもると言う事件が起こった。この事件は、その模様を連日、テレビで放映されたが、その中で、過激派と対峙していた機動隊が待機中にカップを手にして何やら食べている姿が映し出された。冬の最中である。隊員らは身も凍る寒さの中で、湯気が立ちこめるカップの中からフォークで何かを掬って口にしている。それこそがまさにカップヌードルであった。
テレビを見ている一般市民は、事件のなりゆきに目を見張るのは勿論として、機動隊員らが美味しそうにカップヌードを食べている姿を見て、食欲をそそられた。この一件以来、カップヌードルは急速に売上を伸ばす。