世界の食文化に革新をもたらしたラーメン王 ー ラーメン工業協会設立
7.
インスタントラーメンと言うと、読者諸氏はどうお考えだろう。
「手間がかからず便利」、「食べたい時にすぐ食べられる」、「誰にでもできる」と言った長所を挙げる人が多いと思われる。しかし、一方では、「栄養価が低いのでは」、「防腐剤などの添加物を多量に使っているのでは」、「無駄な油脂成分が多い」など品質に関する不安の声が多いのも事実だ。
実のところは果たしてどうだろう。
あるいはこれらは根拠のないデマなのだろうか。それとも、インスタントラーメンの製法に伴う宿命的な事象なのだろうか。
前章で、チキンラーメンが発売された当初、栄養価が高く、妊産婦の健康食品として推奨され、「特殊栄養食品」の認定を受けたことを記した。それならば、チキンラーメンは良いが、その他のインスタントラーメンには欠陥があるということであるのだろうか。
チキンラーメンは発売されると忽ち爆発的な売れ行きを示す。最初、問屋からは価格面や販売方法に難色を示され苦戦を強いられたが、それはごく僅かの期間のことであった。商社が販売に乗り出してからは、評判も売れ行きもうなぎ上りで、食品業界に革命を起こす勢いとなった。しかし、チキンラーメンが売れると、それに目を付け真似る業者が現れた。それも一社、二社ではなかった。市場には多数の類似品、模倣品が出回るようになった。パッケージをそっくりに設え、本物と見紛うものさえあり、中には「チキンラーメン」という商標まで盗用する商品まで現れる始末であった。
商標権に関しては、盗用した業者らが「全国チキンラーメン協会」なるものを組織し、チキンラーメンと言うのはチキンライスと同様で一般名称に過ぎず、日清食品が独占すべきものではないと異議を申し立ててきた。百福は、意匠権や商標権を巡って、不正に使用している業者を相手取り訴えを起こし、権利を勝ち取っていくのだが、それでもなかなか問題は解決しなかった。
類似品、模造品はどれもチキンラーメンの外見を真似ただけであって、実際はチキンラーメンとは似ても似つかぬ代物であり、粗悪品としか言いようのないものであった。
そして、これらの粗悪品によって、発疹や嘔吐、下痢と言った症状を催す事故、−事故と言っても良いだろうと思う− が相次ぎ、本家本元のチキンラーメンの評価まで落とすことになった。百福はチキンラーメンを開発した際、これは一つの業界を産み出すことができると直感したが、このままではそれも夢に終わってしまうという危機感を抱き、何とかしなければと考えた。
百福は一計を案じ、特許の公開に踏み切ることにする。
これには、製法に関する特許において他者との係争が発生したことも関係している。
チキンラーメンとは微妙に異なる製法が同時期に特許出願されており、日清食品は独自性を訴えたが、決着が付くまでに長引きそうであり、百福はその会社の特許を買い取ることにした。今では子供の駄菓子やビールのつまみとして人気のある商品である。実は、開発時期で言えば、こちらの方がチキンラーメンに比べて3年ほど早く、世界初のインスタントラーメンと言うと本来はこちらがそうなるのだろうが、商品の出来映えとしては不完全であった。賞味してみると分かることだが、スープの味が麺からうまく湧出されないのである。その上、営業的にも失敗したため、通常の食品としては市場から駆逐されるほかなかった。たまたま、その会社の従業員が商品を砕いておやつ代わりに食しているのを見た同社の社長がおやつとして売り出すことに決め、息の長い商品として未だに残っているのである。百福のチキンラーメンと、○○○ラーメン、似て非なるものだが、ほぼ同時期に開発されたのは全くの偶然である。これが所謂、ユングの唱えた「同時性の原理」というものなのだろうか。もし、○○○ラーメンの方が品質的にも営業的にも優れていたなら、今の日清食品はなかったかも知れない。それだけではない、インスタントラーメンの業界も存在しなかったかも知れない。
百福の秀でたところは何より業界を育てた点である。そのために、特許を独占するのではなく、公開し広めていったところにある。
類似の製法特許はその後もなお登場し、即席ラーメンの協会が乱立する中、食糧庁長官が事態を収拾するようにと勧告があり、百福はそのとりまとめにあたった。百福は特許権の維持よりも、粗悪品が出回ることによって、消費者の安全が脅かされることを懸念し、その保護に努めることを旨とし、業者の説得に当たり、1964(昭和39)年、56社の会員の参加により「社団法人日本ラーメン工業協会」を設立し、初代理事長に選任された。
しかし、それでも決して万全ではなかった。チキンラーメンにあやかった模倣品はいくらでも現れ、しかも「社団法人日本ラーメン工業協会」に加盟せず、特許も無視して無断で作る業者は後を絶たなかった。しかし、当時の風潮は特許権に対する認識が甘く、権利を主張する側にこそ問題があるとするところがあり、不徳な業者を蔓延らせる温床とさえなっていた。
そうした中で、ある時、チキンラーメンを食した客が食中毒を起こすという事件が発生する。百福は高温で油熱乾燥させたチキンラーメンに菌が発生するなど考えられぬと調べてみた。すると、客が食中毒を起こしたという商品は、パッケージこそチキンラーメンとそっくりに装ってはいるが、中身は単に似せただけの模倣品であった。油熱乾燥させる温度を低温に設定していたため殺菌が十分ではなく、麺に残った細菌が増殖していたのである。
百福はこのままでは商品のイメージダウンになるばかりであり、客の安全を保護することもできないと考え、パッケージに製造年月日を記載することにした。これは当時、世界のどこでも行われていなかったことであり、非常に手間のかかることである。だが、百福は食の安全と、商品の信用を守るために、断行することにした。
これを契機に、食品業界では製造年月日を記載することが次第に浸透していった。当初は反発もあったが、後に食品メーカーが次々に取り入れていくようになり、今では世界の常識となっている。
消費者の安全を第一に考える、それを口先で唱える経営者は多い。だが、大抵は単なるパフォーマンスだけで終わってしまい、やはり利益が優先してしまう。そんな経営者が多い中で、百福は心底、消費者の安全を重視していた。それは、百福の人徳というべきものであるが、それだけ自分が開発した商品に愛情を注いでいたということである。百福が他の経営者と違っているのはこういう点であると言えるだろう。