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世界の食文化に革新をもたらしたラーメン王 ー チキンラーメン誕生

5.


信用組合の破綻により全財産を失った安藤百福も人の子、当然ながら意気消沈した。周りから人が去って行き、取り残されている孤独と空しさのようなものを味わった。しかし、いつまでもくよくよと悩んでいるような人間ではなかった。

財産は失ったが、そうした経験も得たことを収穫と考え、再び、事業に乗り出す。一九五七(昭和三二)年のことである。

この時、頭に浮かんだのが、戦後の混乱の中でラーメン屋の前にできた行列だった。そしてラーメンを食べた後の客の幸せそうな顔、ずっと胸に刻みつけられていた記憶を甦らせ、ラーメンを作ることに決めたのだ。

普通の者であれば、ラーメン屋をしようと考え、妻と一緒に屋台を引くところから始めようとするところだが、そこは並の者とは違った考えの持ち主である。彼が始めたのは新しいラーメンの開発である。それは古くからある乾麺とも異なるもので、スパゲティやビーフン、素麺などのようにただ湯で戻すだけのものではなかった。百福が漠然と思い描いたのは、面倒な調理も必要なくお湯さえあれば簡単にでき、すぐに食べられるラーメンだった。それは乾麺とは一線を画すものであった。

だが、発想だけはあったが、ラーメンの知識など皆目ない百福には具体的な案など簡単には浮かんでこなかった。第一、どうやって麺を作るかさえ分からないのだ。ただ、彼にはビジョンだけは明確にあった。

一、おいしくて飽きがこない味にする。

二、家庭の台所に常備されるような保存性の高いものにする。

三、調理に手間がかからない簡便な食品にする。

四、値段が安いこと。

五、人の口に入るものだから安全で衛生的でなければならない。

の五つの目標を立て、それに従って開発を進めていった。

まず、自宅の庭に小屋を建てた。因みに、信用組合の破綻によって全財産を失った百福は住む家もなく、この自宅も借家であった。

その小屋に製麺機を入れ、麺作りから始め開発を進めていった。毎日、朝は五時から小屋に入り、深夜一時、二時まで研究に没頭した。天井から吊り下がった裸電球の下、麺を作っては捨て、捨てては作りを繰り返した。ノートを手に入れる余裕もない百福は広告チラシの裏にメモ書きし壁に貼っていき、頭に浮かんだアイデアや失敗例を書き留めたりした。研究はなかなか思うように捗らず、一進一退しながらも彼は決して諦めることなく、地道に研究を重ねていった。

麺作りから始めた研究は、最初にどういう配合で作るかという点でつまづいた。思いつく限りの材料を使って試してみたが、なかなか思うようなものに仕上がらない。研究していく過程で百福が気付いたのは、重要なのは材料そのものではなく、配合のバランスだと言うことだった。それに気付いたと言っても、実際にどのバランスが良いかを見つけ出すにはかなり苦労をした。これで良いと考えて作ってはみても、思い通りには仕上がらず、捨てるしかない。そしてまた、改めて別の配合で作ってみるが、やはり思い通りではなく捨てる。作っては捨て、作っては捨て、日々、苦労の連続であり、その末にどうにか思い通りのものに仕上がっていった。

百福の回想に寄れば、研究開発において劇的な瞬間といったものはなく、日々の積み重ねがいつしか成功に導いていったということらしい。

麺の配合は決まったが、百福が考えているのは、乾麺ではなく味の付いた麺である。如何に麺にスープを染み込ませるかが次の課題となった。それと平行して、スープそのものを何にするかも考えた。豚骨や魚肉、鶏ガラ、ラーメンのスープの具材はいろいろ考えられるが、鶏嫌いの息子が祖母の作った鶏ガラスープを食べて気に入ったのを切っ掛けにスープの材料は鶏ガラと決めた。結果的にはそれがこのラーメンを世界に拡げる大きな理由ともなった。百福はそう振り返っている。牛や豚は宗教的な事情によって禁忌とされているのに対し、鶏だけはどの宗派でもまたどの地域でも食べられるのである。それもまた、百福の運の良さであると言えるのかも知れない。

さて、その味の付いた麺であるが、初めの頃は、小麦粉にスープを混ぜ練り込むことを考えたが、これだと麺がボロボロになることが分かった。麺を蒸した上でスープに漬け手おき、その後、乾燥させるという方法も試してみたが、それもうまくいかなかった。試行錯誤の末、辿り着いたのは、麺に如雨露でスープをかけ自然乾燥させるという方法だった。これだと均一にスープを麺に染み込ませることができた。だが、っそれだけではまだ不十分だった。麺にスープを染み込ませ、保存するところまではできるようになったが、それに湯をかけて食べられるようにするにはもう一工夫が必要であった。

百福は頭を抱えたが、なかなか良いアイデアが浮かんで来ない。

ある日、台所で、妻が天麩羅を揚げている時に、その様子を見てふとアイデアが浮かんだ。熱した油の中に小麦粉の衣を付けた具材を入れると、パチパチと言う音を立て、中の水分がはじき出され、小麦粉の衣そのものは無数の穴が空いていた。

それを見て、百福は味を染み込ませた麺を油で揚げる油熱乾燥法を思いついたのである。これを百福は物理的に解明し説明している。それによると、「麺を高温の油に入れると、水と油の温度差によって冷たい水分がはじき出され」「水分が抜けたあとには無数の穴が開いて多孔質を形成する。熱湯を注げばそこからお湯が吸収され、めん線を軟らかく復元していく。」(日経ビジネス文庫『私の履歴書−安藤百福 魔法のラーメン発明物語』より)ということだ。

この方法によって、百福の思い描いていたラーメンにようやく辿り着いたのだが、かだいはまだあった。それをどうやって製法として確立するかである。研究室で開発するだけではなく、それを商品として売り出すためには、その都度、作り方が変わるようであってはいけない。ムラ無く、そして大量に生産しうるための方法として、麺を上げる方法を考案しなければならない。百福は針金と金網によって四角い型枠を作り、その中に麺を入れて上げる方法を考えてみた。試してみると、それが上手くいき、均一に揚がるようになった。

これで世界初のインスタントラーメンが完成した。

百福はそれをチキンラーメンと命名した。

なお、日清食品では、8月25日を「チキンラーメン誕生の日」としているが、その日が製法の完成した日ではない。これについてはまた後ほど述べる。

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