第08話 宵闇の迷宮 (1)
遺跡に到着したのは夕刻だった。日はすでに沈みつつあり、月明かりと星の光を伴って暗闇が空と大地を支配し始めていた。
その暗闇の中で、石造りの巨大な遺跡の入口が、ぽっかりと大きな口を開けて荘厳に佇んでいた。遺跡内部には闇が充満し、その様子は外からでは伺い知ることはできない。建物の躯体はところどころが崩落し、その不気味な容貌に拍車をかけていた。
「中に入るわよ。準備はいいかしら?」
隊列の先頭に立ち遺跡に向かってずんずんと歩いていたマリーゴールドは、遺跡の入口に到達すると、後ろを振り返ってアルト達4人の様子を伺った。
「こんなに暗い時間から遺跡に入って大丈夫なのか? 夜行性の魔物なんかも動き出しそうだし、明るくなるまで待った方がいいんじゃないか?」
アルトが尋ねる。闇が次第に深まる中でダンジョンに入るというのは、なんとなく不安な感じがしたのだ。
「問題ないわ。遺跡の中にはいずれにしろ光は無いのだから、朝だろうと夜だろうと関係ないのよ。それなら、……目立たない時間の方がいいわ」
目立たない、というのは、ここでは魔物ではなく、人間相手の発想だ。
「この場所が隣国との紛争地帯だから、か」
洛南第二遺跡は領有権のはっきりしない未線引き地帯である。そのため、昼間は領有権を争う隣国の巡回兵がこの辺りをうろついていることがある。仮に彼らに遭遇したとしてもいきなり攻撃されるような事態にはならないだろうが、目的やら滞在時間やらを根掘り葉掘りと聞かれた上で、審査のためとかなんとか理由をつけて、丸1日は中に入れずに承認待ちをさせられたりする。
そんなデリケートな場所を訓練生の演習現場に指定するアカデミー上層部も、どうかしているとしか思えないが。
「夜中にこそこそ侵入するなんて、なんだか盗賊団みたいだよね」
ペディアがワクワクした子供のように言った。実際なんだか楽しんでいるようで、いまひとつ緊張感が感じられない。
その隣でチェルブラッドは、相変わらずぽけっとしながら遺跡入口の構造物を見上げていた。
「遺跡の中には明かりはないから、各自トーチの魔法で明かりを確保して」
マリーゴールドはそう言うと、わざとらしく思い出したようなそぶりで、アルトの方へちらりと一瞥をくれた。
「あと、誰か彼をトーチの明かりの中に入れてあげて」
「なんだか、すごい冷たい目で見られたような気がするけど気のせいかな」
「私も、誰かのトーチに入れてほしいなー」
便乗するように、チェルブラッドが誰にともなくお願いした。
「えー、チェルだってトーチくらいはさすがに自分で使えるでしょ?」
ペディアがそれに反応する。
「うーん、でもやり方忘れちゃったかも」
「いやいや、トーチの魔法って、小さな明かりを出すだけの超初級魔法だよ!? 忘れる訳ないでしょ!?」
すると、隊列の一番後ろをついてきていたベルサーニャが口を開いた。
「いいわよ、私が全員をカバーできるトーチを発動させるから、みんなはその中に入っているといいわ」
そう言うとベルサーニャはおもむろに、胸元から小さなスティックを取り出した。その装飾の無い簡素なスティックの先端を遺跡の入口へ向け、軽やかな動きで僅かに動かす。
すると、小さな光の瞬きの後、遺跡の内部に柔らかな光が広がった。光源がどこにあるのか分からないが、先ほどまで深い闇に包まれていた遺跡内部の、その壁と岩肌が光に照らされて明らかになる。
「明かりの有効範囲は私からだいたい半径50mくらいよ」
「ははぁー、すごいな! これがトーチって魔法か!」
アルトは、初めて見る実戦での自然魔法の発現に素直に感心していた。
「ちなみにだけど、トーチって本当は松明くらいの小さな光を発生させるだけの魔法だから、この規模のやつはちょっと特殊だよ」
ペディアは苦笑いをしながら補足した。
「ありがとう、ベル。それじゃあ、行きましょうか」
マリーゴールドはそう言うと、引き続き隊列の先頭に立ち、遺跡の内部へと歩みを進めた。
*
「この洛南第二遺跡は、隣国との関係上、自由に調査が進めづらいこともあって、内部の全貌が明らかになっていない未攻略ダンジョンのひとつに指定されているのよ」
歩きながら、マリーゴールドはアルトに説明を始めた。
「だから、遺跡内部の地図記録は地下3階分までしか存在しないわ。測量魔法による遺跡の外からの簡易調査では、少なくとも6層分は地下空間があるんじゃないかと予想されているけれどね」
アルトはマリーゴールドの方へ顔を向け、黙ってその説明を聞いている。
「そして、この遺跡で今回の目的物である中規模魔法石が発見された例は、過去に3件。そのいずれもが、地下3階で発見されているのよ」
「ということは、俺達もいまからその地下3階まで潜る必要があるってことか」
「そういうことよ。でも、地下3階で必ず見つかるとは限らない。もし見つからなければ、そのさらに下にまで進まないといけない場合が出てくるかもしれないわね」
「その下か……。地図すら無いっていうんなら、できればそこまで行かずに見つかるといいな」
「そうね、地下に行くほど、棲息する魔物も強くなっていくし」
そこで、マリーゴールドが歩みを止めた。
「どうした?」
「私の前に出ないで」
マリーゴールドは手を横に伸ばして、アルトの歩みを遮った。アルトはごくりと息を飲む。マリーゴールドの強い口調と雰囲気から伝わるのはつまり、何か、警戒すべきものが前方にあるということだ。
「あなた、走るのは得意かしら?」
マリーゴールドはアルトの方に目は向けず、前方だけを注視しながら問いかけた。
「まあ、自慢じゃないが、体力にはそこそこ自信があるぜ。魔力がからっきしな分な」
「そう」
マリーゴールドは頷いた。
「いま、私達の前方に5、6体程度の魔物の集団がいるわ。あれを走って突破したいところなのよね」
アルトはその提案を聞いてにわかに驚く。
「2つ、質問をいいか?」
「なにかしら」
「まずひとつ、ベルサーニャのトーチの先は真っ暗で何にも見えないのに、なんで魔物がいるのが分かるんだ? そしてもうひとつ、何で戦わないんだ?」
マリーゴールドはその問いに迷いなく答える。
「魔物の存在は、魔力で分かるわ。魔物は常に魔力を放出しているから、それを気配として感じとっているだけ。これは基礎魔力を持たないあなたには理解しづらい感覚かもしれないわね。それから、戦わない理由については、単に、疲れるからよ」
「は? 疲れるから?」
「いちいち遭遇する魔物を倒しても意味がないのよ。魔物はいくらでも湧いてくるし、倒したからといって強くなれるような都合のいいボーナスも経験値も無いわ。体力と魔力を消耗するだけね。それなら、不要な戦闘はできるだけ回避して前に進むのが効率的なのよ」
アルトはにわかに首を傾げる。
「走るのも、結構、体力を消耗すると思うぞ」
「そんなものは大した問題ではないわ。魔物の群れを完全に殺し切るために、どれだけの労力が必要かをあなたは知らないでしょう?」
アルトは腕を組んでふむ、と頷いた。実戦経験がゼロのアルトには、その意見に反論する術はない。
それじゃあ、と言ってマリーゴールドは腰に下げた剣の柄に右手を置くと、アルトとその後ろにいるメンバー全員に呼びかけた。
「私がまず一撃打ち込んで威嚇するわ。それで敵が逃げてくれたら良し、逆に向かってきたら、脇をすり抜けて突破するから、みんなは走って私についてきて。いいかしら?」
「いいよ、マリー!」
「わかったー」
「……私、走るの、苦手なんだけど」
威勢よく了解の返事をするペディアとチェルブラッドに対して、ベルサーニャが気の乗らない回答をした。その予想外の返答にマリーゴールドがすこし戸惑う。
「……それならまぁ、あなたは敵を殲滅して後からついてきても良いけれど……」
ただ、そうすると走り抜けた方はベルサーニャのトーチの射程から外れてしまう。その時は自分が全員分のトーチを発動させるか、とマリーゴールドが思っていると、
「それなら、俺がベルサーニャをおぶって走ってやるよ」
突然のアルトの申し出に、一同はアルトの顔を見た。マリーゴールドが怪訝な顔をする。
「アンタ、何言ってるの?」
「いいじゃねぇか、ベルサーニャはみんなのためにトーチの魔法を使ってくれて疲れてるのかもしれないし、こういう力仕事は俺の役目だろ」
「確かに、こういうときくらいは良いとこ見せないと、アルトはやることなくなっちゃうもんね」
「いいなー、私もおぶってほしいなー」
「お前らな……」
ペディアとチェルブラッドの茶化しに額を押さえるアルト。すると、ベルサーニャがアルトの方へと近寄ってきた。顔を上げてアルトの目を見ると、感情のみえない無表情でその提案を受け入れた。
「それじゃあ、お願いするわ」
「おう、任せろ!」
そう言うと、アルトはその場で身を屈めてベルサーニャを背中に乗せた。ベルサーニャが身に纏うローブはぼてっとした広がりを持つため見た目に重量を感じさせるが、ベルサーニャ本人の体型が小柄で華奢なぶん、背負ったときの感覚は想像以上に軽かった。
「よっしゃ、いつでもいけるぜ!」
「……まぁいいわ。それじゃあ、いくわよ」
そう言うとマリーゴールドは、前傾しながら腰を落として姿勢を低くした。剣の柄を握ってぐっと力を込める。すると、アルトにも目視できるほどの魔力のゆらめきが剣を包み込んだ。
「スーパーライトニングブレイド!!」
マリーゴールドが突然、微妙な技名を叫んだ。アルトはびっくりしてマリーゴールドの方を向いて目を見張る。その時、マリーゴールドの聖剣は鞘から抜き放たれ、解放された魔力は剣の軌跡をなぞりながら、前方に広がる闇を強力な爆裂音と閃光と共に切り裂いた。
遺跡内に、轟音がこだまする。
その直後、闇の中から巻き起こった、腹にずっしりと響くような魔獣の咆哮。
「走るぞ!!」
アルトはすぐさま声を張り上げた。火口は切り落とされたのだ。空間に巻き上がる緊張感が、理性ではなく感覚に訴えている。
戦闘が、始まったのだ。