第06話 作戦会議! (2)
ベルサーニャが、ページをめくる手を止めた。
ペディアは、あらら、と困ったような表情を浮かべた。
マリーゴールドの視線は、まっすぐにアルトの方へと向けられていた。
アルトは、深く息を吸い、そして吐いた。とっさに出かかった感情的な言葉を飲み込むように、俯き加減で声を搾り出した。
「どういうことだ?」
その言葉には、押さえ込みきれなかった怒気が含まれていた。
マリーゴールドは毅然としてその問いに答える。
「今、言った通りよ。危ないから、今回の演習には来ないで欲しいの」
マリーゴールドは、あえて感情を排したような機械的な声で答えた。
「もちろん、演習そのものは5人全員でやったことにするし、その辺の段取りについては、あなたたちに不利益が無いように私が責任を持って取り計らうわ。それに、任務の成果については、私達に任せて貰えれば間違いなく……」
「そういうことを言ってるんじゃないんだよ……!」
アルトは、堪らずにマリーゴールドの言葉を遮った。
「つまりお前は、俺達が弱くて、足手まといだから、ついて来るなと、そう言いたいのか!?」
「そうね」
マリーゴールドは、あまりにもあっさりと、アルトの問いを肯定した。
「ふざけんな!!」
じわじわと堆積していたアルトの怒りの質量が、ついに、抑制のきくキャパシティを超えて溢れ出してしまった。
「役立たずだから来るなって、それが仮にもチームを牽引する人間の言うことなのか! アカデミー最強の優等生だかなんだか知らないが、独断専行にも限度があるぞ!」
マリーゴールドは、冷静にアルトの言葉を受け止めていた。
まるで、最初からそうした反応が来るのを予測していたかのように。
「それじゃあ、あなたはどうしたいの?」
突然問われて、アルトは一瞬言葉に詰まる。
しかし、やりたいこと、いや、やるべきことは、はじめから明白だった。
「俺も演習に参加する、当然だろ! 役立たずかもしれないが、足手まといにはならないように努力する!」
「無理よ」
マリーゴールドは間髪入れずに否定した。
「なんでだよ!!」
アルトも食い下がった。
すると、マリーゴールドは、小さく顔を伏せて目をつむった。まるで何か覚悟を決めるかのように、ゆったりとした動作で僅かに身を屈め、
瞬間、甲高い金属音と閃光が、アルトの聴覚と視覚を刺すように貫いた。さらに次の瞬間、アルトは、緩やかな風圧とともに、何か冷たいものが首筋に触れているのを感じた。
マリーゴールドが、アルトの真正面、手をかざせば触れられるような近距離から、凍てつくような視線をアルトに突き刺していた。
そして、アルトの首筋には、マリーゴールドが薙ぎ払った抜き身の刀剣が、アルトの首の皮一枚すら傷つけることのない完璧な位置で寸止めされてた。
首筋に触れる刀剣の無機質な感触と冷ややかな温度が、アルトの全神経に生命の危険を感じさせていた。
呆然とした表情で、体だけ本能的に強張らせたアルトは、状況を理解する間もなく、思わず腰を抜かせて地面に尻餅をついた。
マリーゴールドは、ゆっくりと、腰に下げた鞘に剣をしまう。
「私の剣は、すんでのところで止まったけれど、外の世界の魔物の爪は、決して止まることなくあなたの首をそのまま撥ねるわ」
マリーゴールドは、まだ頭の働いていない様子のアルトの眼前に立ち、手を指し述べることなく、頭上から見下ろす形で語りかけた。
「人間が体内に宿す魔力は、それ自体が外部からの攻撃に対する抵抗力となるの。私達はそれを便宜上『基礎魔力』と呼んでいるわ。基礎魔力が十分にあれば、仮に剣で切り付けられてもそう簡単に死ぬことは無い。でも、基礎魔力の無い人間はそういうわけにはいかないわ。何の防御力も無いということは、鎧を纏わない生身の状態と同じ。凶暴な魔物に遭遇すれば、ただ噛み付かれただけでも、爪で薙ぎ払われただけでも、いとも簡単に死んでしまうのよ」
マリーゴールドは容赦なく続ける。
「あなたには、基礎魔力は全く無いわよね。そして、私の攻撃を避けるだけの戦闘能力も無い。それでは、魔物の住み着く危険な場所に連れていくことはできないわ。……それが私の結論。理解できたかしら?」
マリーゴールドの言葉は、ゆっくりと、アルトの頭に入っていった。理屈は分かる。力が足りないのも理解していた。そして、それを正にいま、身をもって証明させられる形となった。
「……言いたいことは分かった」
しかし、だからといって、何もすることなく、言われるがままに引き下がることは、アルトにはどうしても我慢ならなかった。一度、それを受け入れてしまえば、本当に、自分は無価値で無力な存在に成り果ててしまう。
吹き飛ばされた理性が、再びアルトに戻って来た。
「……でもな、それでも俺は行くぞ」
冷静を貫いていたマリーゴールドの表情に、ここで始めて、動揺の色が現れた。
「ご親切に心配してくれんのはありがたいが、俺は俺のやるべきことを自分で決める。別に、もし俺が魔物に襲われてくたばりそうになったって、見殺しにしてくれても構わねぇよ。あんたらの邪魔をするつもりもない。俺は、俺のために、行くべきところへ行くだけだ」
そして、アルトは宣言した。
「悪いが、合同実地演習には参加させてもらう」
アルトは腹を括った。それは、自分自身の無力さを自覚しているアルトの、それでも譲れない最後の一線であった。
マリーゴールドは、苛立ちを露にアルトを睨みつけた。マリーゴールドが何かを言おうとしたとき、それまで状況を静観していたベルサーニャが、ページの進んでいない手元の本をぱたんと閉じた。
その場にいる全員が、ベルサーニャの方に顔を向ける。すると、ベルサーニャはゆっくりと椅子から腰を上げ、マリーゴールドに向けて呼びかけた。
「説得は失敗よ、マリー。あなたのその聖剣の切っ先を首に突きつけられてもなお屈しないのなら、彼の決意は相当に固いわ」
ベルサーニャはそう言うと、アルトとマリーゴールドとの間に立ち、仲裁するかのように割り込んできた。
「加護のアミュレットは1つだけあるわ。とりあえずこれを、彼に持たせておけば良いんじゃないかしら」
ベルサーニャは、胸元から魔法石の埋め込まれたアクセサリーを取り出した。
マリーゴールドはそれを一瞥して言う。
「……加護のアミュレットで魔物の攻撃を防げるのは、せいぜい数回が限度よ」
「あとは、彼が言っていた通り、彼の自己責任よ。それでいいでしょう?」
マリーゴールドは何も答えなかった。
「……あなたはどうするの、ペディア?」
マリーゴールドの視線の矛先が、次にペディアに向いた。
「あ、あたしは……」
本当のところ、ペディアは演習に参加しなくても良いかなと思っていた。マリー達に全てを任せておけば確実に良い成績が手に入るだろうし、しかも、自分はなにもしなくて勝手に成果が転がり込んでくるのだ。こんなに美味しい話はない。ないのだが……。
「……あたしも、行くよ。遺跡の中にいるときは全神経を身を守ることに集中させることにするから、その辺は心配しなくてもいいよ」
なんとなく、ここで引き下がったらかっこ悪いような気がしたのだ。
「ペディが行くなら、チェルも行くと言うでしょうね」
ベルサーニャが言う。
マリーゴールドは、ふて腐れたように言い捨てた。
「……もういいわ。どいつもこいつも、勝手にしなさいよっ!」