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小さな命の灯

作者: 月唄零夜

小さな悪魔は今にも消えてしまいそうだった。悪魔の中でも低級悪魔としてこの世に誕生したそれは、生まれた瞬間から死の恐怖に怯えていた。通常悪魔という種族は他の生命力を喰らうことで自らの生を繋ぐのだが、あまりにも弱いそれは喰われることはあっても喰らうことなど土台無理な話であった。幸いにも悪魔の命は周囲の者たちにとっては奪う価値のないほど微々たるものだった。誰からも相手にされなかったことに傷つくようなプライドなど持ち合わせてはいなかったそれは、すぐさま弱肉強食の悪魔界から逃げ出すと比較的平和な人間界に舞い降りた。しかし力のない悪魔では生き物から命を奪うことなど出来ず、無抵抗の植物からわずかな生命力を奪うことで何とか生き延びてきた。

芽吹いたばかりの蕾を喰らい、青々とした若葉を喰らい、小道に咲く小花を喰らい、そうして何とか生きながらえてきた悪魔であったが、ここにきて大きな問題が発生した。人間界は冬になり辺り一面真っ白な雪に覆われてしまったのだ。地表に顔を出している木々たちも葉を落とし、今は眠りについているかのように生命力を感じられない。

悪魔は絶望した。命の小ささと生命力を蓄積しておける器の大きさは比例している。仮に力の強い悪魔であったらならばひと冬食べなかったところで全く問題ないほどの生命力を身の内に溜めておけたのだろうが、小さな悪魔ではせいぜい丸一日分の生命力といったところだろう。留めた力を使い果たしてしまえばあとは自らの命を燃やし尽くして消えるのみ。今の悪魔では一冬どころか3日と持てばいい方だ。

消えたくない。死にたくない。悪魔はポロポロ涙を流しながら真っ白な中を当てもなく歩き続けた。小さな悪魔の周りは驚くくらい静かで、その静けさに悪魔は飲み込まれてしまうような感覚を覚える。次第に歩くことさえ辛くなってきた悪魔は、枯れ木の幹に身体を預けその場に座り込んだ。視界に映るのは当然ながら怖いくらいに真っ白な世界。それ以外は何もない。今までひっそりと孤独に生きながらえてきた自分は最期もまた1人で消えていくのか。深い悲しみと恐怖と少しの諦め。悪魔は静かに目を閉じた。

ザックザックと一定のリズムで雪を踏みしめる音が聞こえる。悪魔は目を開け飛び起きると、耳をそばだてその音がする方向を探る。その音はどうやら丘向こうから聞こえてくる。音がするということは少なくとも生き物がいるという証拠だ。このまま死を待つよりは生命力を奪い取れるというわずかな希望に賭けてみる方がよっぽど建設的だ。幸か不幸か音はどんどんと大きくなっている。このままでは数分もしないうちにその生き物と対峙することになるだろう。

はやる気持ちを抑えながら小高い丘の頂上を見つめる。最初に見えたのは真っ赤なフワフワした何か。それが帽子の先についている飾りだとわかったのは、鼻の頭を真っ赤にした小さな子供の顔が次に現れたからだ。5才くらいの小さな子供は真っ赤な帽子に真っ赤な手袋をして雪の中を懸命に歩いている。新雪にはまらないよう顔をしかめながら慎重に歩く子供は長い時間寒空の下にいるのだろう、鼻の頭と頬が真っ赤に染まっている。

あまりに無害そうなその生き物に悪魔は拍子抜けしてしまい、姿を隠すのも忘れてうっかり子供を見つめてしまった。真っ白な雪の中に真っ黒な悪魔。それが目立たない筈もなく、目が合った、と悪魔が認識した瞬間、子供は悪魔に向かって一直線に走り出した。慌てて逃げ出す悪魔。しかし小さくかつ弱り切った身体で長く逃げることはできず、あっという間に悪魔は捕らえられた。


「にゃんにゃん!」


悪魔を両手で大事そうに包み込んだ子供は嬉しそうにその場でくるりと回った。三角の小さな耳、金色に光る両目、真っ黒な身体、弱り切ってぱさぱさになってしまった毛並み、たらりと伸びる尻尾。ケットシーという種族である悪魔は、勿論見る人間が見れば一発で悪魔だと気づかれてしまうのだが、普通の人間には猫にしか見えない。この小さな子供にとっても雪の中で行き倒れていた子猫にすぎないのだ。

自身の真っ赤な帽子で丁寧に悪魔を包んだ子供は一目散に来た道を駆けていく。その腕の中で久々に感じる温もりに安堵しながら悪魔は静かに目を閉じた。




次に悪魔が目を覚ますと、真っ白だった景色は一変していて何とも様々な色に溢れていた。自分を包む赤い帽子、傍には湯気をくゆらせたミルク入りの皿、一番遠い壁にはめ込まれた暖炉では薪がパチパチと微かな音を立てて燃えていた。


「あ、にゃんにゃん起きた!」


子供特有の甲高い声がしたかと思うと、自分をのぞき込んでくる大きな瞳とかち合った。興味津々にのぞき込む子供はそっと人差し指を出し、悪魔に触る寸前でその指を止めた。好奇心と少しの恐怖をその瞳に見つけた悪魔は自分から指に身体を摺り寄せると、ぺろぺろと舐め始める。その行為を友好の証と受け取った子供は小さく歓喜の声を上げ、くすぐったそうに身を捩らせながらも小さな黒猫の好きにさせていた。

勿論友好の証などではなく、子供からあふれ出す生命力を少しばかり吸収しているにすぎない。久しぶりの生命力に悪魔は身体中に力がみなぎるのを感じる。しかも死とは程遠いところにいるこの子供の生命力は非常に甘くまろやかで、今まで草木ばかり食べてきた悪魔にとってはまさにごちそうだった。


「にゃんにゃんくすぐったいよ」


とうとう我慢できなくなった子供は夢中で指を舐める黒猫から指を引き抜く。名残惜しそうにそれを追いかける猫の喉を優しくなでると、小さな身体を抱え上げミルク皿の前に移動させた。


「おなかすいてるでしょ?たくさん食べていいからね」


正直に言えば悪魔は食べ物を摂取しない。生命力こそが食事であり、それさえあれば生きていけるからだ。ただ味覚はあるので嗜好品として楽しむ悪魔も多く、わざわざ擬態して人間界の食を楽しむ者もいるらしい。小さな悪魔は今まで人間の食べ物を口にしたことはなかったし、こんな白い液体よりももっと生命力が欲しかったのだが、ここでそんなことを言えばすぐさまこの温かい部屋から追い出されてしまうと容易に想像できたのでおとなしくミルクに口をつけた。

美味しい。生命力には劣るが、この温かい液体は確かに美味しい。

あっという間にミルクに夢中になった悪魔を子供は楽しそうに傍で見ていた。



それから小さな悪魔はこの家の猫になることにした。正確には子供が父と母に飼いたいと強く申し出て、最初はガリガリの野良猫に対して眉をひそめていた両親であったが、子供の飼いたいという強い熱意を感じ了承してくれた。名前も付けてもらい、小さな悪魔は「ミルク」と呼ばれるようになった。

温かい部屋で窓辺に用意された自分の寝床で日がな一日ごろごろする。毎日出される美味しい食事をもりもり食べ、母親の足にまとわりついては温かいミルクを出してもらい、時折子供の指や顔を舐めて生命力をわけてもらう。何とも満ち足りた生活。


「ミルク、くすぐったいよ」


はじけるような笑い声を立てる子供、ミルクの主人であるヨハンはミルクを抱き上げてからぎゅっと抱きしめた。腕の中でゴロゴロと喉をならせば、何がおかしいのかまた小さく笑った。その笑顔を見るだけでなんだか嬉しくなることに悪魔は最近気づいた。

これからこの主人が大きくなるまでずっと一緒にいられたらいい。ミルクはそう思って小さく鳴いた。


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― 新着の感想 ―
[一言] 悪魔、というと怖いイメージがありますが、ほのぼのとしたラストで、胸が温かくなりました。 ミルクが幸せになってよかったです。ヨハンと末長く一緒にいられればいいですね。 素敵な物語を読ませていた…
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