016 紺碧のホウヨ海峡戦
<ユーエッセイ>の託宣では、規模や難度、参加人数は示されなかった。ただ、「百鬼百怪を討つべし」という言葉を聞くに、最低でもフルレイド(二十四人)は必要だと思われた。
この船の上にはハーフレギオン(四十八人)が載っている。非戦闘員である<船乗り>や虎を数に含めれば、の話だが。
蒸気船は、騎乗生物や乗り物ごと乗り込めるよう客室をあえて作らず、広々としたスペースが取られている。積荷は、大波が来てもさらわれないように、甲板の下の空間にしまってある。こんな甲板の上で一週間も過ごしてきたのだと思うと、やはり<冒険者>というのは<大地人>からすれば常軌を逸した集団として目に映るだろう。
だが、<大地人>は彼らを歓迎した。畏怖の対象でもあると同時に、その強大な力で安寧をもたらすものとして喜ばれたのだ。中身は単にゲーム好きな学生や社会人がほとんどだというのに。
しかし、期待されるというのは悪いものじゃない。目的も知らされずにやってきたのに、誰の表情にも陰りはない。<大地人>の真っ直ぐな眼差しを受けて、心に暖かい何かを注がれたのであろう。
甲板ではおおよそ、パーティごとにまとまっている。レイドクエスト前というものは大概こういう雰囲気だ。誰彼構わず声をかける社交性をもった人物はなかなか現れない。
と、思ったらバジルだけは違っていた。肉感的な<施療神官>を見かけると早速口説き始めた。相手もまんざらではないようである。
この航路は現実世界ではフェリーで結ばれる海の道だ。上陸後も難所が多く昔は「行くな国道」とも呼ばれた。
だが、この海上路が<ナインテイル>から<フォーランド>までの最短区間であり、セルデシアにおいては十五キロメートル程の区間だ。この蒸気船でも一時間ほどで渡りきることができる。
天気もよく風も穏やかで、容易に渡れるものと見えた。
「<軍師>! 海上に異変! 海中から何かが急浮上してきます!」
「全員臨戦態勢! パーティごとに陣形を組め。 全方位に対応できるように」
龍眼の声が飛ぶ。
桜童子もメンバーに声をかける。声を張っているのはそれぞれのギルドマスターたちだろう。
ちなみに、桜童子はまだ椅子から降りていないので、誰もその姿を見てはいない。緊急事態なので誰もそんなことに気を遣う余裕はない。
「ハギ、周辺警戒。障壁だせるようにしとけ! ドリィ、進行方向。構えとけ! リア、ユイ、後方監視。ドリィの後ろに付け! あざみ、レン、遊撃態勢! バジルは他パーティと連携! 山丹、イクスわるいけど、おいらを動かしてくれ」
水面に見えたのは無数のクラゲだった。
気を抜いた一団があった。単なるクラゲと思ったのだ。
「まだだ!」
雷のような音がして三人がその命を泡と散らした。クラゲたちが触手を撚り合わせ範囲攻撃を準備していたのを、彼らは見過ごしたのだ。
「対電撃、急げ! 一、二、……」
龍眼のタイムカウントをあざ笑うように、クラゲがひとつ、またひとつと宙に浮いてとどまった。
<空海月>!
水面に見えたのはクラゲの一部にしかすぎず、本体は直径が数メートルにも及ぶ巨大クラゲだった。
悲鳴が上がる。
今度は後方のパーティの一員が足を絡め取られて、空中に巻き上げられる。クラゲの触手が足元まで這い上がっていたのに気づかなかったのだ。
クラゲは吟遊詩人の身体を棍棒のように振り回す。救出に行った剣士が巻き添えを食って虹色の泡となって散った。
パーティが崩れ乱戦になった。ほころびから瓦解するのをバジルが大量にナイフを投げることで阻止する。
まるでパニック映画を見るようだ。
(これは<フォルモサ>の悪夢だ。)
攻略できずに仲間だけを失っていった苦い記憶が、桜童子の中に蘇ってくる。
クラゲの群れ。傷つく仲間。波間に消えゆく虹色の泡。
叫び声。詠唱。衝撃音。電光。空気中を走る雷鳴とイオン臭。揺れる。
「よっし、効いたああ」
乱戦の中、ディルウィードの雄叫びが上がる。追加攻撃に向かう冒険者たち。
だめだ。
背後からスカイゼリーフィッシュの急襲を受ける。ギリギリでイタドリのハルバードが触手を受け止めた。
「アンカーハウルハウルー!」
「ちびっこい姉ちゃんに障壁多重展開や」
イタドリに敵が集中する。無数の触手がイタドリに伸び、うすいガラスの膜のような結界を粉砕する。イタドリは麻痺針と電撃針のある触手はうまくかわしていたが。それ以外の触手に足を絡め取られた。
だめだ。
引きずり倒され海中に放り投げられそうになるのを、なんとかユイが飛び込んで触手を断ち切った。そのユイも他のクラゲの突進を受け甲板に叩きつけられる。イタドリは素早く立ち上がって無防備になったそのクラゲに突撃を浴びせる。ここで寝転んでいてはアンカーハウルの意味もない。
「三十! 電撃! 散開!」
端的な軍師龍眼の指示に<ナインテイル>の精鋭たちは瞬時に散った。最初の一撃で三人の精鋭が<ユーエッセイ>の復活基点に葬られた範囲攻撃だ。いくつもの触手が撚り合わさって狙っているのは、イタドリだ。
だめだ。
圧倒的な光と轟音。眩む目に視界が蘇ると、イタドリを囲んでいたクラゲの一体が電撃に打たれ海に落ちようとしているのが見えた。
イタドリは無事だ。
雷撃が放たれイタドリに到着するまでの刹那の間、その空間をよぎった別の電光があった。その電光に誘導されるように雷撃の進路は変わり、別のクラゲに着弾した。ほんのわずかなずれがあっても同じことは起きないであろうタイミングでディルウィードの魔法がイタドリを救ったのだ。運がなければイタドリか魔法を放ったディルウィード、もしくは周囲にいたユイを失っていたかもしれない。
「ディル! 好き好きー!」
「ディルあんちゃん! ナイス偶然!」
「偶然って言うなよ、ユイくん! クリティカルヒットだ、クリティカル!」
向こうで精鋭がまたひとり倒される。
「エレメンタラーよ、討って出る」
軍師が外套を脱いで椅子にかけた。邪眼師特有の<ゲイザースタイル>が発動する。
「バジル・ザ・デッツ! 貴様の力を借りるぞ!」
バジルに<ヘイスト>と<オーバーランナー>をかける。
「うお! オレを働かせんなよ! っていうかオレさま超早ぇ! うらうらうらうら」
投擲武器の雨がクラゲたちに降り注ぐ。
「フルオリン! フォスフォラス! ヘイト稼げ!」
「了解! 【アロジェーヌ17】の名にかけて!」
守護戦士フルオリンが金色に輝く。フォスフォラスもリピートノートを放つ。
「アンタの闇に光を運ぶぜ!」
苦戦しているものの少しずつ盛り返している。だが、桜童子は椅子から降りたかった。龍眼が今の戦況の鍵である。しかし、付与術師である龍眼の物理防御力は極端に低い。触手の蠢く甲板で一撃も喰らわずに済むかどうかで戦況が大きく変わってしまうのだ。
自分がこの椅子から立ち上がれば、一瞬でクラゲたちは自分の方に向くだろう。そうすれば、触手の包囲網に苦しめられる仲間たちを救うことができる。更に大量に敵が現れることになるかもしれないが、今しかない。
桜童子は立ち上がろうとした瞬間、鎧の背中に視界を遮られた。
「まあ、ゆったり構えたりーな、にゃあちゃん」
桜童子を見えなくしている椅子にどっかりとシモクレンが座った。死に物狂いで戦っている最中だ。言葉に反してシモクレンの息は荒い。
「後衛から見てるとこんな感じなのねー」
<施療神官>として前衛で活躍しているシモクレンがなぜ後方に置かれた椅子に座りに来たか。それは休息のためではない。サブマスターとしてギルドリーダーを支えるために来ているのだ。前線にありながら姿の見えぬ桜童子の心の揺れを的確に察したのだ。
「大丈夫。こんなことでウチらはめげたりせぇへんで。これのりこえな、先が見えへんの。たとえ今はかなわなくても、絶対諦めたりせぇへんからね。やから、にゃあちゃんは声援を頼むで」
「レン、おめえ、それ死亡フラグ立つキャラのせりふじゃねえか」
「ぷは! にゃあちゃん! ウチらのたたこぅとる世界にそんなもんはあれへんって。ほな、そっから見といてや」
戦いの渦に飛び込むシモクレン。桜童子は息を吐く。
そして戦況をもう一度よく見る。
まだいける。
<空海月>は飛行中に遭遇すれば、それ一体でレイドモンスターに匹敵する強さを持つが、こうして地上付近に降りてくると、せいぜいボスクラスだ。
今までにやられた冒険者は、連携がままならず虚をつかれた者たちばかりだ。半数近くがやられてしまったが、半数は戦い慣れした者たちである。
流動的ではあるが龍眼を軸に陣が敷かれ、お互いに死角を補い合っている。中央付近には森呪遣いの召喚した生命の樹が伸び上がり、回復を助けている。範囲攻撃の格好の的となるが、いつでも龍眼の合図で散開できるようになっている。
その陣の周囲を、攻撃速度と移動速度が上昇したバジルと、シモクレンのリターニングハンマーが遊撃手として文字通り飛び回っている。
ハギとヤクモとハトジュウも、イクスと山丹も、サクラリアもユイも、イタドリもディルウィードも、縦横無尽に駆け巡っている。気のない調子で戦っているあざみが多少心配だが、すべての触手を難なく切り払っている。
まだいける!
雲の切れ目から光が差し込んで海の一面が明るくなる。
その一点が徐々に堆くなり、やがて船ほどの高さになると、その頂上に白い服をまとった女が現れた。
それまで戦闘を続けていたクラゲたちは突然包囲を解き、その女のために進路をあけた。全員が船の舳先の方に目を向け、新たな出現者の存在を確認した。
海の上を静かに渡ってくる女の両脇で、バジルと龍眼にバッドステータスを付けられた<空海月>が泡となって弾ける。気にする様子もなく女はただ歩んでくる。
周辺監視役のハギが冷静にステータスを確認する。
「<ヒザルビン>……大規模戦闘級……<典災>!?」
ヒザルビンという名の女怪が右手を掲げる。
その足元の海が山のようにせりあがり、ヒザルビンを担ぎ上げる。船の倍はあろうかというほどの高みで女怪は手を振り下ろす。
大波が鎌首をもたげ、船の上の者を飲み込もうと迫る。
皆ただ口をあけてその光景を見つめるしかなかった。ただひとりこの状況に対応したものがいた。呆然と立つ人の群れを冷気が駆け抜けた。
船を覆うほどの波が瞬間に凍てつき、凍りきれなかった波が横に流れ、クラゲたちを飲み込んだ。雷のような轟音をあげて滝のように海水が流れ落ちる。
桜童子が椅子からついに降りていた。その横ではつぶらな瞳のウンディーネが懸命な表情で冷気を放っていた。
「<ブリンク>」
桜童子がつぶやくと、ウンディーネの下半身の水がすうっと螺旋階段のように伸びた。サーフボードに乗っているかのごとくに桜童子は水の上を滑り、オーバーハングした氷壁の下まで一瞬で到達した。
「出たな、エレメンタラー」
龍眼が口元を歪めて笑った。
「<ソードプリンセス>」
兎耳の桜童子の背後に、甲冑姿のドレスの女性が立ち上がる。剣を振りかぶり氷塊を一刀のもとに切り裂いた。トラックが衝突するような音がして氷が砕け、甲板にも飛び散った。
再び顔を上げると戦姫の姿はなく、桜童子の姿も見えなかった。既にユニコーンの召喚に切り替え、その背にまたがって半ドーム形状の氷塊の上にいたのだ。
いつのまにか分厚い雲は消え、海は静かに輝いていた。
ヒザルビンも<空海月>もまるで夢であったかのように消え去っていた。
桜童子はユニコーンの背から降りると、シモクレンに椅子の上に連れ戻された。
魔法剣士と高速連射付与術師が氷を砕いた途端、桜童子の異常エンカウントに引き寄せられた大量のサファギンやアスコットクラブが、開店セールに並んだ徹夜組のように甲板になだれ込んできた。
そしてどれもが、「おや? おめあての品がないぞ」と言わんばかりの表情でキョロキョロしたかと思うと、たちまち<冒険者>たちになぎ倒されていく。
こうして<ホウヨ海峡遭遇戦>は幕を下ろした。
■◇■
<フォーランド公爵領>にはただでは上陸させてもらえなかった一行ですが、そのまま進軍していきます。
ヒザルビンは自分の目的を果たしたらしく、追撃してきませんでした。
でも一行はいつ再び襲われるかわからないので、船と陸の二手に分かれて先へ進むという手を失いました。クリアしても戻りの余力を考える必要があるというハンデが生じるわけです。
さて、次は生き残ったレイドメンバーの紹介です。
深夜0時の更新をお楽しみに!




