雪原の彼方に
この作品は、短編文学賞に投稿したものを、落選後に投稿したものです。
冬の寒さがいっそう厳しさを増す十二月の朝。橋田ユキは眠たい眼をこすりながらベットから身体を起こした。寒くて布団から出たくない。そんな誘惑がユキの心を誘う。けれどそれを振り切って毛布から出る。それからカーテンを開けると窓の外を眺めた。
ユキはこの時期、とりわけ冬の間は憂鬱な気分になってしまう。矛盾するようだが、別に冬が嫌いなわけじゃない。むしろ逆。好きな季節はいつかと聞かれれば間違いなく冬と答えるだろう。ユキ大好きな雪が降るのだ。それなのに冬が嫌いなはずがない。
昔からユキがよく見る夢がある。すごく広い雪原に綺麗な女の人と二人で立っているとその女の人が突然手上げる。すると雪原にぱらぱらと雪が降り始める。その雪はとても綺麗で、現実世界でユキが見たどの雪よりも美しかった。そして夢の終わりに女性が何か言おうとするのだが、いつもそこで目が覚めてしまう。そんな不思議な夢。
その夢の影響もあってユキにとって大好きなものは雪になった。
さて、話は戻ってユキが憂鬱な気分になってしまう理由。それはユキの住んでいる場所にある。ユキの住んでいる街は岡山県、それも県南にあるために雪がめったに降らない。もし降ったとしてもそれは少しだけ。せいぜい年に一回、ほんの数㎝積もるくらいの雪が降る程度。
冬は好き。雪はもっと好き。けれどこの町ではそれがほとんど降ることはない。だからユキはこの時期楽しい気分にはなれない。
ユキは小さくため息をつくと気持ちを切り替えてクローゼットの中から暖かそうな服を選んでいくつか取り出すと、鏡の前で少し迷いながら今日着る服を決めた。
着替え終わると直ぐに部屋を出てリビングに向かう。リビングに繋がるドアを開けるとおいしそうな朝食のにおいが漂ってきた。
ユキはキッチンにいるママに「おはよう」と言ってからイスに座わってテレビをつけた。
テレビには朝のニュース番組。ちょうど天気予報のコーナーで一週間の天気が映し出された。
「やっぱり、当分雪は降らないのね……」
「本当にユキは雪が好きよね。ユキって名前にして正解だったわ」
ママがそう言って笑う。
「確か、私の生まれた日に雪が降ったからユキって名前にしたんでしょ?」
昔、道徳の授業で自分の名前の由来について調べる授業があったときに知った。
この話を聞くと自分は生まれたときから雪が好きになる運命にあったみたいだ。そんな風にさえ思う。
「そんなことよりユキ。あんた今日美智子ちゃんと遊ぶ約束してたんでしょ? 時間、大丈夫なの?」
リビングにある時計の示す時刻は九時三十五分。美智子ちゃんの家までは歩いて二十分も掛かってしまうから、集合時間に間に合わせようとすると直ぐに家を出ないといけない
田舎だと友達と遊ぶのも一苦労だ。そういえば向かいの家に住んでいるユキよりも二つ年上の中学一年生のお兄さんが友達とカラオケに行くのも電車で隣町まで行かないといけないとぼやいていたのを思い出した。
ユキは急いで朝食を済ませると手袋とマフラーをつけて家を出た。
家を出たユキは一人美智子ちゃんの家を目指して歩いていた。道の両脇には田んぼ。見渡せば山。そんな田舎道。
ふとユキは目の前に立っているお兄さんが眼に入った。スラッとした高校生くらいのお兄さんだ。お兄さんはユキに気がつくと近づいてきて声を掛けてきた。
「君、ちょっといいかな?」
ユキはその言葉に少し身構えた。知らない人には気をつけなさい。よく学校の先生やママに言われる言葉だ。
「なんですか?」
「ああ、そんなに身構えないで。僕は怪しい人間じゃない」
その発言がすでに怪しい。
「なんか信用されてないっぽいね。俺……」
疑うような視線にお兄さんは困ったなぁというように頬をポリポリと指で掻いた。
「あの、予定があるので話があるなら早くしてくれませんか?」
早くしないと約束した時間に間に合わない。
「え!? 話を聞いてくれるの?」
「聞くだけなら……」
「大丈夫。簡単なことだから」
お兄さんは背負っていたバックから木製の木箱を取り出すとユキに見せくれた。
まるで宝箱みたいだ……
「ここに書いてある文字を読んで欲しいんだ」
お兄さんは箱の正面にはめ込まれている文字盤を指さして言う。
「もしかしてお兄さんこれが読めないの?」
お兄さんに読んで欲しいと言われた文字盤にはただ『私は封じる』と日本語で書かれているだけだった。こんなの小学五年生のユキでさえ読める。
「ちょっと事情があってね。俺には読めないんだ。それでどんな文字が書いてあるの?」
「えっと、『私は封じる」だって……」
ユキがそう言った時、箱の奥からガチャリと鍵の開く音がして箱がひとりでに開いた。
箱の中に入っていたのは杖だ。どこにでもありそうな木の枝で作られた杖。
「これは俺の大切なものなんだ」
お兄さんはそう言ってうれしそうに笑う。
大切なもの? この杖が?
「なにかお礼をしないとな……そうだ! 君、何か好きなものとかないかな?」
ユキにはお兄さんの話の展開が早すぎて最早訳がわからないが、ユキの好きなものと言えば一つしかない。
「雪。私、雪が好きよ!」
ユキは眼を輝かせて言った。
「雪かぁ。ちょっと大変だな……」
そう言うとお兄さんは杖を持ってぶつぶつと何かを唱えるように呟いた。
するとどうだろう。みるみるうちに空の雲行きが怪しくなってきたかと思うと、ぱらぱらと白い塊が降ってきた。
「えっ!?」
ユキはこの白い塊が何かを知っている。そう、雪だ。冷たくて、柔らかくて、幻想的な……ユキがこの世で一番好きなもの。
ユキはしばらくひらひらと舞う雪に見とれていた。それはとても長いようで短い時間。
その後、ユキが我に返って辺りを見渡したとき、お兄さんの姿はどこにもいなかった。
「どういうことだ?」
山奥にひっそりと建つ小さなログハウス。魔法使いのミハルは暖炉の前で暖まる女性向かってそう問いかけた。女性の名はフレア。ミハルの育ての親で魔法使いの師匠。
「あの娘、橋田ユキ。彼女は何者なんだ? 彼女が読んだのは魔法使いの文字だ。普通の人間には読めないはずの文字を彼女は読んだ」
あの箱はフレアの悪戯で暗号を唱えなければ開かなくなっていた。魔法使いの文字で書かれたその暗号はご丁寧に子供にしか読み取れない魔法が掛けられていた。だからミハルはどんな文字が書いてあるのかユキに聞いたのだ。しかし彼女はいとも簡単にその文字を読んでしまった。
「あの娘には魔法使いになれる才能があったんだよ。だけどその才能が開花されることはもうない。彼女が読んだ文字には彼女の魔法の才を封じる魔法も掛けておいたからね」
「つまり俺への悪戯も彼女があの文字を読むのも、全部あんたに仕組まれていたってわけか……」
あきれたものだ。そんなめんどくさいことしなくてもフレアなら彼女の魔法使いの才を封じるなんて簡単に出来ただろうに。
「もっとも、最後にお前さんが雪を降らせる魔法を使うなんて思わなかったけどね」
「小さい子どもを見ると喜ばせたい質でして」
ミハルはそう言って苦笑いを浮かべた。
魔法使いの才に目覚めた人間に普通の暮らしは出来ない。ひっそりと、己の力を隠して生きていかなければならない。
中世の魔女狩りにあるように、魔法の才を持つということは人間世界での異端者になることイコールである。ミハル自身も魔法のせいで両親に捨てられた辛い過去がある。
だからこそ現代の魔法使いは人前でむやみに魔法を使うことを禁じ、また魔法の才能を持つ人間がその才能が完全に目覚める前に才能に封をする。そうやって魔法使いの業を背負う人間を少なくしているのだ。
だが、ミハルは無計画にも何も知らない女の子の前で魔法を使ってしまった。
けれどそこに後悔はない。だってあんな素敵な笑顔を見られたのだから。
その夜。ユキはまた雪原の夢を見た。
雪原に降る雪はどこか今日見た雪に似ているような気がした。
また女性が何か話しかけてきた。でもなぜか今日はそこで夢が覚めなかった。
「さようなら。もう会うことはないであろう私の主」
女性は悲しそうにそう言ってユキに背を向けた。
「それって……」
どういうこと? そう言おうとした途端、吹雪がユキの視界を塞いでいく。気がつくと女性はもうどこにもいなかった。
その日以来、ユキが雪原の夢を見ること二度となかった。
僕の連載中の作品、螺旋のスタンドアローンからは少し違ったテイストになっていてそこを楽しんでもらえるとうれしいです。
この作品は短編(原稿用紙十枚)という規格に収めるために、自分の思うよりも描写が不十分だったりします。
短編は初めてだったので難しかったんです。
それでは!
5月25日 雨傘 流