雨の日イベントを考えよう
その日は店を開けて間もなく大雨になり、客入りも悪くて早めに店を閉めた。
アルシアには日本の梅雨と同じく雨の季節があり、ここ最近はそんな天気ばかりで繁華街からはめっきり人の姿が消えてしまっている。
正直……キツい。
何がって勿論、売上げが。
少し前まで噂の件で注目されていたのが懐かしい。
今ではすっかり終息して興味本位で店に来る客もいない。
こんな事なら多少居心地が悪かろうが、もう少し有名人でいたかったかもと思うくらいには追い込まれている。
……何か対策を考えよう。
雨の日の客足を少しでも伸ばすためにはどうしたらいいか。
やっぱり雨の季節といえば雨の日イベントとか?
私は皆が帰った後の薄暗い店内で一人腕組みしながら思いついては紙に書き連ねていく作業を繰り返した。
どのくらい経ったのか、そろそろ帰ろうかと腰を上げた所で控えめに扉を叩く音が聞こえた。
「ごめんなさい。今日はもう閉店ーー」
扉を開け、言いかけて固まった。
ひどい雨の中、佇んでいたのはもう来る事は無いだろうと思っていたシリュウスだったのだ。
また会いに来てくれたんだと喜んだのは一瞬で、酷い惨状に私は目を剥いた。
「うわ、すごいびしょ濡れだよ!? 早く中に入って乾かさないと」
「だが……もう店は閉めたんだろう?」
「そんなの気にしなくていいから」
渋るシリュウスを半ば無理矢理店の中に引き入れて、慌てて暖炉に火を起こす。
普通にしていればこの時季寒くはないが、雨に濡れたままでは体も冷えきってしまう。
そして振り返り、まだびしょ濡れの外套を着込んでいるシリュウスに呆れた。
「そんなびしょ濡れの外套脱がないと。そのままじゃ本当に風邪引いちゃうよ」
「…………」
暫く見つめ合っていると、止むを得ないとでも言いたげに緩慢な動作でシリュウスが外套を脱いで濡れた黒髪をかきあげた。
肩程でザッと整えられている髪は決して短くはない長さだが、甘さの少ない顔立ちの所為か不思議と男らしさが増して見える。
いつものフードを取っ払い、こうやってちゃんと見ると結構……いや、かなり格好良いんじゃないだろうか。
そんな風に思って見つめていれば、シリュウスの眉間にみるみる皺が寄る。
「あ、ごめん。この国で黒髪って珍しいね? 今体拭く布持ってくるからシャツも脱いでおいて」
しまった見すぎたかと慌てて視線を下げれば腰に差さる二本の剣が目に入る。
そのうちの一本はアナの言っていた通り、紛れもなく儀礼剣だ。
儀礼剣は形はどれも似ているが柄の模様や装飾などはその人それぞれで一つとして同じ物は無い。
私はその剣に何故か妙な見覚えを感じていた。
「どうした?」
布を取りに行くと言いながら、中々立ち去らない私にシリュウスが訝しげに尋ねてきた。
「いや、それ……儀礼剣でしょ? シリュウスが近衛だったとは驚いたなと。だから私の事見た事あったんだね」
「ああ、まぁ、そうだな」
サッと剣を隠すように手を当てて、シリュウスが歯切れ悪く答える。
何で隠すんだろ?
今度は私の方が訝しげな視線を投げつける。
……が、シリュウスは何故か気まづそうにして視線を逸らした。
まぁ、いいか。余計な詮索はよそう。
こういう商売していると色々な仕事をしている人に出会うし、知られたくない事情とかがきっとあるのだろう。
考えてみたらエリート兵がキャバクラ通いとか、バレたらまずそうだし。
「そうだった。急いで拭くやつ取ってくるね。シャツは椅子の背にかけておいて」
とりあえずその場を離れ、私が目的の物を手にして再度戻ると、言われた通りに椅子の背に濡れたシャツをかけているシリュウスがいた。
「はい」
私は乾いた布をやや離れた所から手渡して明後日の方を見た。
自分で脱げと言っておいてアレだけど、上半身裸の姿に軽く目のやり場に困ってしまったのだ。
剣を振るう為の逞しい腕。板チョコもびっくりな腹筋と引き締まった大胸筋に背筋。軽く鼻血が出そうな程素晴らしいバランスのマッチョ具合はまさにパーフェクトボディ。
男の裸なんぞにいちいちドキマギする程の純情さなんて持ち合わせていない筈なんだけどこれは反則だと思う。
……因みに目のやり場に困るとか言いながら随分詳しく見てるなと、そこは突っ込まないで欲しい。
「見苦しい姿を見せて悪かった」
体を拭き終わったシリュウスはもう一枚の乾いた布を肩から被るとボソリとそんな事を呟いた。
もしかしたら挙動不振な私が裸を嫌がってるように見えたのかもしれないけど、まさか目の保養ご馳走様でしたとは言えないので、私は曖昧に笑ってみせた。
そこで重大な事にハタと気づく。
不意打ちの登場と裸に目が眩み、真っ先に言うべき事がすっ飛んでいた事に。
「あの、この前は物凄く迷惑かけてごめんなさい。飲み過ぎちゃって散々失礼な態度だったし、その上家まで送ってもらったみたいで。恥ずかしながら私全くその辺り記憶に無くて……後から聞いて申し訳なさで死にそうになったよ。あと、皆に言ってくれた言葉すごく嬉しかった。皆と和解できたのはシリュウスのおかげだよ。本当にありがとうございました」
私は深く頭を下げて、 纏まりなく一気に浮かんだ言葉を吐き出した。
「…………よかったな」
しかし間を空けて返って来たのはあまりにも素っ気ない一言。
呆れてるのか怒っているのか声では分からず、私はそろりと顔を上げた。
……そこには予想外なシリュウスの表情があった。
わ、笑ってる?
初めて見るその笑みは、笑顔というには弱々しくて、何処か困ったような何とも不器用そうなもので……。
あっぶなーー
こんな顔、反則だ。
危うく、ギャップに心臓ぶち抜かれそうになった。
「そ、そうだ。ホットワイン作ってくるね」
おかしな動悸にこれ以上まともに顔を見ていられず、私はそそくさと厨房へ避難する事にした。
ホットワインを飲み終えてしまえば、会話も途切れ、店内は暖炉の火が爆ぜる音だけとなる。
彼シャツDAYだったら代わりになるもの(私の彼シャツ)があるけど、生憎今日は通常営業で気まずくても乾くまでは店に居てもらうしかない。
とりあえず、この沈黙をどうにかしよう。
そう思ったが、すっかりオフになってる頭では中々話すべき事が浮かんでこない。
「……所で、1人で残って何をしていたんだ?」
以外にもこの沈黙を破ったのはシリュウスの方だった。
「あ、えっと、最近雨続きで客入りが悪いから対策を練ってたの」
「この季節はどの店も似たようなものだ。天候だけはどうしようもないから仕方ないだろう」
本当にそうだろうか……?
日本では傘があったし、まだこちらよりは皆引きこもりはしないが、客足が伸びない事に変わりない。
でも、色々工夫している店が沢山あったような気がするのだ。
実際近所のスーパーだって雨の日にポイントがついたりするサービスをしていたし。
「そうだね、天候は仕方ないよ。でもそれを受け入れて何もしないよりは、あれこれ考えて1人でも来てくれる為の工夫をした方がいいでしょ?」
シリュウスが僅かに眉を上げる。
「それで、打開策は思いついたのか?」
私は先程の書いていた紙を手にとってピラリとシリュウスに見せた。
「うーーん。今の所やってみようかなと思うのは2時間目も20シリンにする割引サービスとかかな? やっぱり料金的なものが一番分かりやすいと思ったんだけど」
残念ながら私が働いていた店では雨の日イベントが無かったから自分ではこのくらいしか思いつかなかったのだ。
だから何というか、今一つ物足りないんだよね。
「指名料を無料にするのはどうだ? それならば客側も指名し易くなり次にも繋がるのではないか?」
「!」
それ、良いかも。
それで気にいる子が入れば常連になってくれるかもしれないし、女性従業員側にとっても指名客を増やすチャンスになる。延いてはこちらのやる気も上がる訳だ。
たった2回来ただけとは思えないキャバクラ慣れした的確な助言に多少複雑な心境だが、これはイケるかもしれない。
「シリュウスの案採用していい? 雨の日イベントは指名無料と2時間目20シリンでいこうかな!」
そんなやり取りをしているうちに服も乾いて雨も小降りになった為、そろそろ帰ろうかと私が切り出すとシリュウスは私を家まで送っると言いだした。
「いくら家が近いとはいえ、夜道の一人歩きは危険だ」と言ったシリュウスに別に深い意味なんて全く無いだろう。
なのに何と無く意識してしまうのはきっとこの服の下に隠れていた逞しい体を見てしまった所為だ。
いやいや、だからシリュウスは善意で言ってくれてるだけなんだってば……出て行け邪念。
私は軽く頭を振って邪な気持ちを消してからシリュウスに有難く送ってもらう事にした。
人気の無い石畳の道を進みながら何だか不思議だなと、ふと思った。
あの印象最悪な初来店から、こんな風に店の外で並んで歩く日が来るなんて。
……まぁ、泥酔した時はさておいてなんだけど。
「わっ!」
ぼんやりそんな事を考えていると石畳の凹凸に躓いた。
その瞬間、体がぐいっと引かれ顔面が思い切り何かにぶつかる。
それがシリュウスの硬い胸で、転ぶ間際の私を助けてくれたとすぐにわかって私は真上にあるシリュウス顔を見上げた。
「あ、ありがと」
前にもこんな事あったな、と鼻の頭を摩りながらそう思っているとシリュウスが不自然な程素早く一歩身を引いた。
……しかも、何故か降参のポーズで。
「?」
「す、すまない!!」
言い終えないうちにシリュウスは来た道を物凄い速さで走り去る。
うん、やっぱりこの展開前にもあったよね?
密着した途端、突き離されるこの無性に虚しい感じ。
ま、まさか……。
ーーそれから暫く後。
「はぁぁ〜〜」
私は帳簿の前で脱力してテーブルに突っ伏した。
あの日シリュウスが考えてくれた指名無料サービスは好評を博し、雨の日イベントは狙い通り気軽に指名してハマるという客が続出。
売上も女性従業員達のやる気も上がり、赤字からも脱出。
……ようするにこれは危機が去った安堵の溜息である。
「ミナ、まだ着替えてないの? そうやってまたダラダラ店に居残るつもり?」
声の方を向けば、呆れ顔のアナがいつの間にか正面で仁王立ちしている。
最近ますますアナが逞しく、私に厳しくなってるのは気のせい……?
「あ、帳簿見てたんだ。そうだ……今度シリュウスさん来たらお礼しなさいよ? イベント盛り上がったし。それに、どうせ泥酔した時のお詫びもしてないんでしょ?」
お礼?
そういえばそっか、気づかなかったな。
「そうだね。今度来たら聞いてみようかな」
……けど、私からのお礼なんて果たしてシリュウスは喜ぶんだろうか?
あれから数日後、店に来たシリュウスに変わった様子は無く、相変わらずあの調子でポツポツと会話をして帰っていった。
だけど、注意してみると何となくおかしな所がある事に気がついたのだ。
思えばいつも1人分空いてる私との距離。
それに物を渡す時、ふいに近づいた時、シリュウスは妙にぎこちなくなる気がする。
「なんか最近ミナ……凄く良い匂いするわね」
「え!? そそそ、そお? 別に何もしてないけどな」
アナがぐいっと顔を私の前に突き出して鼻を鳴らす。
「う〜〜ん…やっぱり甘い匂いがする。花みたいな、砂糖菓子みたいな不思議な香り。あたしこの匂い凄く好き」
「あー、石鹸変えたからかな? 市でテキトーに買ったやつだけど」
あはは、と私は誤魔化して笑った。
言えない。
シリュウスにクサイと思われていたかもしれなくて、それが気になって毎日かなり念入りに湯浴みしてる上に、元の世界の持ち物の中から香水引っ張り出してきて使ってるなんて。
ちょっと自分が哀れすぎて言いたくない。
……何だかなぁ。
今更だけど、シリュウスって一体なんで私を指名し続けてるんだろう?
そんな素朴な疑問や乙女としては微妙な悩みを突きつけられ、雨の時季は瞬く間に過ぎていった。