2度目の来店
シリュウスの来店は約一月ぶりだった。
「ひ、久しぶり」
「すまん。仕事が立て込んでいた」
さらりと言ったありがちな言い訳には怒りや嫌悪は含まれていないようだ。
探るように目深に被ったフードの中を覗き込むと前回と同じく鋭い視線とぶつかる。
あれ?見ない間に少し痩せた……っていうか、窶れてない?
「もしかして疲れてる?」
「ここ半月仕事が忙しくてな……その、前回の事だが」
「あ、やっぱり気にしてた!? ごめんなさい。アレはまた来て欲しいなぁ〜って軽いノリだったんだけど、急に手にキスなんて嫌だったよね? ちょっと考えなしだったなあと反省してるよ」
私はシリュウスの言い掛けた言葉を拾うと、勢いをつけ矢継ぎ早に謝った。
「……軽い、ノリ?」
「うん、不快だったよね? 本当ごめんなさい」
「そうか……気にしてはいないからもういい」
言葉とは裏腹にシリュウスの纏う空気はズドンと重たい。それに何だかさっきより3割増窶れて見えるのは気のせい……じゃないよね。
「そ、そうだ。今日の格好面白いでしょ? 月に一回こうやって男物の服をわざと着るんだけど、どうかな? 似合ってる?」
何と無く深くはつっこめない雰囲気に、とりあえず私は話題を変えた。
「……ああ」
全く此方を見ようとしない素っ気ない態度。どうやらシリュウスに彼シャツ萌えは通用しなかったらしい。
また指名してくれたって事はある程度私を気に入ってくれてる……筈だとは思うんだけど。
うーーん、やっぱりよくわからない人だ。
「……」
「……」
前回で定番ネタも出し切ってる為、微妙な沈黙が流れるのにそう時間はかからなかった。
いつもの私ならこんな時、小さな脳みそフル回転させてどうにか切り抜けようとするんだけど、今日はそんな気にもなれず、シリュウスのグラスに熟成蒸留酒を注ぎながらぼんやりとしていた。
「ミナは飲まないのか?」
「え?」
「私はその……会話が不得手だし、つまらないだろう? 飲みたいものを飲んだらいい」
どうやらシリュウスに気を遣わせてしまったらしい。
「つまらないなんて。ちょっと気になる事があって」
そうなのだ。私はシリュウスが来た事で一度は忘れていた先程のアナとのやりとりを思い出していた。
きっかけは会話が弾まなくなり、周りをふと見た時のチラチラと私を窺う視線に気づいてから。
申し訳なく思いながら有難く熟成蒸留酒をいただいているとジッとこちらを見つめるシリュウスと目があった。
「あ……この果実水と割るとすごく飲みやすいんだよ? シリュウスも飲んでみる?」
「いや、今日は遠慮しよう」
「美味しいのになぁ〜〜ミナ・スペシャルカクテル! 故郷にもね、似た味のものがあったから懐かしくて。この果実水は何だっけ? レモン……じゃなくてモレンだっけ? 名前も味も似ててややこしいんだよね」
「…………何かあったのか?」
その一言にうっかり私は固まった。
「さっきから周りもミナを気にしているようだ」
シリュウスも気づいたらしい。
でもそれを問うという事はシリュウスは私の噂話を知らないのだろうか。
「大丈夫か?」
「……私の噂、聞いてない?」
「噂?」
「後宮に私がいたとか」
シリュウスのグラスを持つ手が止まる。
「やっぱり何か聞いたんだ。もしかして、だから今日来たの?」
「いや、それは違う……何故流れたんだ?」
なんでって……そりゃ私だって外部に漏れるなんて思いもしなかったよ。でも実際誰かが何の為かは知らないけど流したんだろう。悪意も混ぜ込んで。
「あはは、笑っちゃうよ。私が王から財宝を騙し取ってそのお金で店を始めたとか皆思ってるんだから……」
私は手元で揺らしていたグラスの中身を一気に飲み干して小さな苦笑を零した。
「王を騙す? 出来る訳ないじゃない。後宮にいた三年間一度も会った事無いのに。そもそもそれくらい忘れられた存在でないと出る事自体許されない場所よ? 私は王の気まぐれでただ後宮に入れられただけ。財宝どころか石ころ一つだって貰った事なかったし。私が売ってお金に替えたのは元々持ってた私の宝飾品と一張羅のドレスだけよ。店だってちょっとした理由で安く借りれただけだし」
そう……私は待った。
ただひたすら王の訪れを馬鹿みたく待っていた。
私が異世界に来て、気がついた時には見知らぬ天蓋つきのベッドの上で、日本での最後の記憶は仕事帰りの始発待ちで駅のホームで寝た所で途切れていた。
いきなり言葉が全く通じない国籍不明の外人ばかりの所にやってきて、訳も分からず軟禁生活を強いられ最初の数ヶ月は本当に恐ろしかった。
それから言葉を教えてくれるお爺ちゃん先生がやってきて私の現状が分かり出し絶句した。
ある日目覚めたら異世界にいただなんて容易に信じる事など出来なかった。
そんな戸惑いと絶望の中、行き倒れていた私を最初に見つけて宮殿へと運び、しかも後宮にまで入れたという王の存在は私の希望となった。
だってまるで少女漫画みたいな展開じゃないか。
助けられた平凡な女が王様に見染められ結ばれるなんて。
だから私はこの為に異世界トリップしたんだと思い込んだ。運命なんだと信じ込んで。
今から思えば現実逃避したかっただけの痛い妄想なんだけど当時の私は本気でそう思っていたのだ。
最初の一年は隣国と戦だ、貴族の反乱だの国内も荒れていたようで王の訪れが無いのも致し方ないと思い、誰もが冷たく退屈な後宮でひたすらお爺ちゃん先生と言葉を勉強するだけの日々を送って過ごした。
しかし二年が過ぎ、私は気づき始める。
さすがに戦が落ち着いてから一年も経つのに全く音沙汰無いなんておかしい。
もしかして、来れないのでは無く、来る気が無いのではないかと。
そしてそれを証明するかのように突然後宮に王が訪れはじめる。
勿論私の所へでは無く、他の姫の所へ。
私はようやく悟った。
王が私を助けたのは成り行きで、後宮に入れたのはただ毛色の違う物珍しさからの気まぐれだったのだと。
そして夢から醒めれば待ち受けていたのは辛い現実だけ。
日本に帰る術もなく、家族と一生会うことも無い。誰にも必要とされず生きる目的も無いまま、王が死ぬか私が死ぬまで豪華な鳥籠の中でただ息をするだけの日々。
それから私は後宮から出る道を探し、三年間王の訪れが無ければ自ら出れるという事を知ると、猛勉強の日々を送った。苦手な読み書きを特訓し、後宮の書庫に入り浸っては主に生活術についての本を読み漁った。
こうして後宮に入り三年後、私は自らの足でそこを出て行った。
無論、止める者もいなければ迎える者もいない静かな旅立ちだった。
それから街で仕事を探したが見つからず……というか、女性では雇ってもらえなかったから自分で店を出す事にした。
それで唯一私がやってきたこの夜の商売の店を開く事にしたのだ。
……いつだか後宮で知り合った唯一の話し相手に後宮から出るのが如何に珍しく周りからどんな風に見られるのかを教えられた事があった。
けれど内部の人間は外へ出れないし、外には私を知る人間など誰もいない。しかも私みたいな庶民なら自分さえ言わければバレることなど無い。
異国人は目を引くからなるべく目立たないようにと気をつけてはいたし、まさか後宮から出た姫が後宮風のキャバクラを開いてるとは誰も思わないだろうと私は完全に高を括っていたのだ。
暫く過去を振り返っていると、急に頭の上に温かいものが乗った。
「え?」
「あ……いや何でも無い」
サッとシリュウスの手が引っ込められるのを見て、それが大きな彼の掌だったと知る。
……もしかして励ましてくれようとしたのだろうか?
「なんかごめんなさい。これじゃお酒が不味くなっちゃうよね? よーし飲もう! 飲めば何とかなる!」
うん、いつまでも暗くしてるのは良くないよね?
明日から閑古鳥が鳴いてお酒なんて飲めないかもしれないし。
「今日はもう1本空けちゃうぞ!」
私はテンションを上げて飲みに徹する事にした。
ーー1時間後。
「でね〜〜なんかぁ、最近の王様は男に夢中なんだってぇ。後宮とか意味無いじゃんねぇ? あははは」
……え?王は断じて男色ではない?
あぁ、もうどうでもよ王なんてさ。
一生男と乳繰り合ってればいいよ。
「ミナ? ……聞いているか?」
「うんにゃあ〜〜暑い」
「な、何をしてる」
「暑いから脱いでるぅ。シリュウス〜ボタンとって?」
「駄目だ」
「えーー」
「唯でさえそんな格好……あ、いや何でもない…………はぁ」
なんだかいつもの顰めっ面が狼狽えているのって何だか凄く……
「可愛くみえるなぁ」
「!?」
もっと困らせちゃいたくなるなぁ。
もっと飲んじゃおうか?
……ふふ、楽しいな。
気分も良いけど体もフワフワする。
「ミ、ミナ?」
あーー、この硬い膝枕も悪くないかも。
何だか凄く落ち着く……ような。
……
…………ぐぅ。