怪しい男に指名されました
男は予想斜め上を行く無口ぶりだった。
この席に案内して席につく間もついてからも、指名しておいて一言も発しないのだ。
しかも顔を隠すように着ている外套を脱ごうともせず、怪しい事この上ない。
とりあえず初対面でこの沈黙は非常に気まずい。
早めにどうにかしなくてはと、私はさっき出した結論を恐る恐る口に出した。
「指名ありがとうございます。ミナです。あの〜〜ここに来たのは初めてですよね? お名前を伺っていいですか?」
「…………」
男は無言で私を睨みつけた。
心なしか眉間の皺も数本増えてるような……。
え、やっぱり会った事あるの?
でもこんな印象に残る顔、一度見たら忘れないと思うんだけどな。
それにしても……沈黙長くない?
何とも言えない空気の中、蛇に睨まれた蛙のような心境で返答を待っていると、男がボソッと何かを呟いた。
「…………シリュウス」
な、名前だよね?……っていうかそれ言うのにどんだけ時間かかってんだ。
しかも全く聞き覚え無いんですけど。
「何処かで会いましたっけ?」
「…………」
また沈黙。
そして心なしか更に空気が悪くなったような気がする。
うん、この話題は辞めよう。
あっちはまともに喋らない上に、私もどんなに頑張ってもこの男について欠片も出てこないから仕方ない。
「シリュウス様は」
「様は……つけなくていい」
「シリュウスと呼んでもいい?」
「あぁ」
「シリュウスはお仕事帰りですか?」
「そんな所だ」
「何をされてるんですか? さっき外套に蜘蛛の巣がついていたから……ネズミ捕り屋だったりして?ふふ」
「…………」
「…………」
異世界ジョークも交えてみたけどイマイチだな。
無愛想にも程があるだろっていう薄い反応に変な汗出てきた……。
けど、こんな所でへし折れたりはしない。
一応これでも店主だからね?
私は気を取り直して、営業スマイルと鉄板トークで乗り切る事にした。
「おいくつなんですか? あ、待って! 当てましょうか? 27か8歳くらい?」
「……よくわかったな」
「当たっちゃいました!? 声とか落ちついた感じだしそのくらいかな?って」
ま、嘘ですがね。
だいたい見た目よりちょい若く言うのは鉄則だろう。
ていうか、深めに被ったフードで目元がギリギリ見えるくらいだから、かなり適当に言ったんだけど当たっちゃったらしい。
「じゃあ私いくつに見えます?」
「25歳……じゃないのか?」
「あれ? 当たっちゃった! 結構若めに見られるんだけどな〜〜。肌年齢は嘘つかないもんね。あ、もしかして誰かに歳聞きました?」
「……いや……勘だ」
「本当に〜〜? あ、そういえばーー」
無口な客には質問形式で攻めるべし!
数打ちゃ当たるじゃないけど、何かしらの食いつきがあればそこから会話も広がったりする。
これは日本で働いていた時に編み出した方法なのだ。
ーーそして1時間後。
最初は良い感じだったけど……やっぱり結果的にはたいして話は弾まなかった。
何とか話題を捻り出して奮闘したけど、如何せん私はこの国、この世界の引き出しが少ないから無口の相手は正直キツい。
延長は見込めないと断言できる。いや、されても困る。
トマ、空気読んでよ?
「お客様、お時間ですが延長は如何なさいますか?」
私の念が届いたのか、トマは変にゴリ押したりせず、極シンプルに伺いに来た。
「延長で」
はいぃぃぃッ!!?
え、何で?何で??
えーと、私の事をちょっと店の前で見かけて気に入ったと仮定し、指名したとしよう。
でも結果、話は弾まなかった。
それはあれだよね?ネットとかで写真見て指名した客が思ってたんと違う〜〜ってなるヤツと同じでしょ?
眉根を寄せて睨むのも、無愛想なのも実はカモフラージュで本当は楽しくて仕方ないとか……な訳無いよね。
けれど何故延長したの?なんて聞ける筈無い。
聞いたら間違い無く私は視線で殺されるだろう。
と、とりあえず、ネタがないから何かおねだりしてみよう!
すっごい距離感はあるけど指名してくれてるって事は少なからず私を気に入ってるってんだよね?……多分。
あと口調ももう少し砕けてみよう。この重々しい空気をどうにかしないと私が圧迫死しそうだ。
私はテーブル上に置かれた厚紙の冊子を手に取り、真横のシリュウスに見せた。
「私の故郷の食べ物をここで出してるんだけど、このフライドポテトってやつ結構評判なんだよ? アルシアでは珍しいでしょ? 食べてみない?」
「では……頼む」
よっし!!
「そういえば、さっきからワインが減ってないけど、お酒変える? ワイン以外は有料だけど、麦酒と蒸留酒があるよ?」
「ではこれで」
シリュウスが指したメニュー表の文字はーーーー熟成蒸留酒ボトル。
この店で一番高いボトル入れたよ? 読み間違えたとか……じゃないよね?
その後、頼んだフライドポテトと蒸留酒が来て、それについて話をした。
何か頼むとそれがネタにもなるし、売上げにもなるし、一石二鳥ってやつだ。
「フライドポテトは厳密に言うと私の故郷と交易のある国の食べ物なんだけど、今では故郷の酒場には必ずあるくらい定着してるんだよね」
「そうか」
原料がポワタというジャガイモに似たこの世界の食材であると言うと僅かに驚いた顔をしていた。
ポワタの調理法はアルシアでは茹でるのが主だから揚げるというのが珍しかったのだろう。
「ワインは好きじゃないの?」
「いや……ただ普段飲むのは蒸留酒の方が多い」
私はこの発言で目をキラリと光らせた。
何故かというと、蒸留酒は近年異国から伝わった王侯貴族の飲み物で一般に出回ったのはごく最近なのだ。しかも小さなボトルで値段も割と高め。まだまだ庶民には毎度飲めるという類の酒ではない。だから蒸留酒を多く飲めるという事はシリュウスがある程度裕福だという証拠に他ならない。
この瞬間、私をいきなり指名してきた怪しい男が、会話が弾まない金持ちへとランクアップしたのだ。
……通わせれば太客になるよね?
ついニヤっと口角が上がってしまい、誤魔化しにポテトを1本いただく。
それから何とか1時間を乗り切り、2度目の延長確認の時間となった。
でもシリュウスは次の延長をしなかった。
当然といえば当然で、マシにはなって来たものの、やっぱり話はそこまで弾まなかったのだ。
「もう、帰っちゃうの? もっと話ししたかったな〜〜」
目を潤ませながらシリュウスを見つめる私を見て、1回目の延長確認の時とのあまりの差にトマが若干引いているが、そんな事はどうでもいい。
スマホなんか存在しない世界だから番号交換も当然無い。次に繋げるのは大変な事なのだ。
しかも相手は太客(仮)、なりふり構ってはいられない。
だから私は帰り際に印象づけようと考えた。
会話して響かなければ態度で示す他無い。
私はシリュウスを見送る為、店の入口の手前までついて行った。
ここは衝立があるから店内からは死角になっているので丁度良い。
私がそっとシリュウスの左手を握ると、扉を開けようとしたシリュウスは振り向いて訝しげな視線をよこした。
それから左手をゆっくり持ち上げて、その大きく骨張った手の甲に口づけを落とす。
見上げればシリュウスは面白いくらい固まって手を凝視していた。
「帰っちゃうのは寂しいけど……また、会えるの楽しみにしてるね」
恥じらいつつ上目遣いにシリュウスを見つめると、シリュウスの険しい顔つきが若干狼狽えてるように見えた。
あ、勿論この恥じらいは営業用のやつだから頬が赤くなったりはしてませんよ?あくまでフリだ。
何故こんな事したかというと、手の甲へと口づけは、私がいた世界では敬愛や尊敬の意味があったけど、確かこの国では“傍にいたい”という意味があった筈なのだ。
通常とは男女が逆ではあるけど、これならもう少し一緒にいたかったなアピールできるし、かなり印象に残るんじゃないか……って、うわッ!
急にシリュウスが私の手を痛いくらいの力で引いたので、弾みで思い切り顔面を彼の胸にぶつけてしまった。
いきなりどうしたのかと鼻を押さえながら見上げると、シリュウスは私の手を振り払うように慌てて離し、顔を背ける。
「ッ!……すまん」
シリュウスはそう呟いたかと思うと、“ビュン!!”と、マンガとかにありがちな効果音が付きそうな勢いで外へと出っていった。
残された私はただ呆然と立ち尽くすしかない。
何あれ?もしかして私を気に入ってた訳じゃないの?じゃあ、なんで指名なんかしたんだ??
何が何だかサッパリ分からない。
でも一つだけ、今確実に嫌われたって事は分かった。
逃げる程嫌がられるなんて…………手にチューとかした自分がイタすぎる。
いや、イタい所じゃなく、あんなバイキン扱い、めちゃくちゃ女として終わってる気がするんですけど。
2時間頑張ったのに自分で投下した爆弾で爆死とか本当酷すぎる……私にとって精神的にごっそり何かを持って行かれた気分だった。