踏み込む勇気
アナもトマも帰った後、暫く店内に残ってボンヤリとしていた。
シリュウスは何だってあんな幼い子を囲う事にしたのだろうか。
別に私じゃなくてもいいんだな。
ふと、そんな思考が湧き出して頭を振る。
それからそっと鞄からクシャクシャになった青い布を取り出した。
シリュウスの気持ちが離れてしまえば楽になれると思ったが、寧ろ前にも増してこんなに胸が苦しいとは……。
考えた所でどうしようもないかと、頭を切り替えて店を出た所で数メートル先に闇夜に目立つ白い長衣が浮かび上がる。
ぜいぜいと息を切らしている所を見ると、随分と急いで来たようだ。
「ジラールさん、どうしたんです?」
「はぁ、はぁ、はぁ」
「王女様の件でしたら私は関係ないですからね? あっちが勝手に押しかけてきて」
「はぁ、はぁ……違います」
漸く息が整ったジラールがギギギと音がするようにして顔を上げた。
その表情は白を通り越し青ざめている。
「シリュウス様がお倒れになりました」
それを聞いた瞬間に思わず走り出していた。
「お、お待ちください!」
すかさず、背後からジラールが私を呼び止める。
「ぜぃ、はぁ、繁華街を出た所に私の馬車がおります。共に行きましょう」
……こんな時になんだが、そこから全力疾走してその様か、と危うく突っ込みかけたのは言うまでもない。
✳︎
宮殿に着き、ジラールの案内でシリュウスの寝室へと向かう。
道中聞いたジラールの話では、隣国の王女を招待した晩餐が終了した後、私室にて高熱を出し気を失っていたらしい。
主治医の見立てでは、どうやらその症状は例の病と関係があるそうだ。
「女性であり病を悪化させた原因と思われる貴女に来ていただくのはどうかと思ったのですが……貴女はすでに秘密を知る人間ですし、病が軽くなった原因もまた、貴女にあるようだと私は思っているので来て頂いた方が良い気がしましてね」
ジラールの言葉に心臓が跳ねた。
やはりこれまでの事をジラールに言おう。
そう決意した矢先、シリュウスの寝室の前に到着する。
「今は多分お眠りかと……ああ、そうだ。主治医に貴女を紹介しようと思っていたのです。今呼んで来ますのでこちらでお待ちください」
私室に入って早々にバタバタとジラールは出て行った。
勢いで来てしまった為に、広い部屋にポツリと残されてしまうと途端に心許なくなってしまう。
「誰かいるか?」
「!!」
寝室から聞こえたシリュウスの声に大袈裟なくらいに肩が跳ねた。
私室には現在私以外は誰もいない。
私達が来た為に人払がされているのだ。
よし、ジラールが戻るまで息を殺して待ってよう。
……そう思ったものの、熱を出している人間を放っておくのもどうなのかと唸ってしまう。
暫し考えた結果、私は覚悟を決めて寝室の扉を開けた。
「水差しを持ってきてくれ」
酷く掠れた声に熱の高さが伺える。
キョロキョロと部屋の中を見回すと近場にあった猫脚の優美な台の上に水差しが置かれていた。
それを手に持ち、そっと寝台へ近づいて締め切られた天幕を僅かに掻き分ける。
「ああ……すまんな」
水差しを受け取る筈の手がビタリと止まった。
それから震える手で薄布をズラし、しっかりと私と目を合わせた。
その顔は随分憔悴しているように見える。
「ミナが……何故」
唐突にトマの言っていた事が理解できた。
『ハラ割ってちゃんと話すべきだとーー』
トマはわかっていたのかもしれない。シリュウスの正体までは知らないだろうが、私が何に悩んでいたかを悟っていたのかも……。
「熱は、もう平気?」
「ミナは……」
「うん、知ってた」
私はジラールに病について聞いた事、ジラールと結託していた事、それからあの日のシリュウスの告白を聞いてしまった事……ここに来るまでの経緯を全てシリュウスに話した。
「そうか……」
シリュウスはどこか自嘲するように口の端を上げた。
「情けなくて、笑ってしまう。ミナの幸せを心から願っている筈なのに、いざそれを目の当たりにしたら……」
シリュウスが寝台に腰掛け俯いた。
「幼女は特に受付ぬと、わかっていながら自ら選んでこのザマだ。私も覚悟を決めなければと思ったのだが……」
「病は治ったんじゃないの?」
「治っていたら、こんな熱など出ない」
それもそうだと納得してから、何故私は大丈夫で幼女がダメなのかが気になった。
いつも、シリュウスは言葉が足らない。
でもそれをわかっていて深く知ろうとしなかった私もいけない。
トマが言った通りだ。
私達はもっと沢山話さなくてはいけない。
本当はもっと早く、そうするべきだったんだ。
「ねぇ…私、シリュウスのこれまでの事、シリュウスの気持ち、全部シリュウスの口からちゃんと聞きたい」
寝台の前に立つ私とシリュウスの視線が混じり合う。
それからシリュウスは何か思案するように目を伏せた後、静かに語り始めた。