客に明るい時間会うのは気まづいんだよ
収穫祭も今日で最終日。
私は早起きをして身支度を終えると研磨の甘いぼやけた姿見の前に立った。
丈の長いワンピースドレスに腰帯をして、いつもより少し可愛げのあるショールを羽織る。
まぁまぁ出かける格好になったな、と思えたが、頭に被るベールを見て少しだけ顔が曇る。
気に入っていたベールは、実は私が倒れた日に汚してしまって再起不能となったのだ。
洗ったけれど絹みたいなデリケートな素材だった為かシミになってしまった。
まぁ自分がいけないのだから仕方ない。
それを言ったらシリュウスなんて着ていた服全てがダメになったろう。
簡素に見えたが多分ゴシゴシと洗って良い類いの生地ではなかった筈だ。
お気に入りのベールの代わりに被ったものは何だかゴワゴワして気に入らなかったが、いつか代わりを買えば良い。
そんな事を考えつつ、私は扉を開けて外へと出た。
繁華街の近くに架かる橋に着くと、ダヴィートさんが私に気づき軽く手を振る。
そう、今日はダヴィートさんと私の息抜きをする為のデートの約束をした日なのだ。
約束してからデートなんかした所で悩みが解決する訳でもないしと思いもしたが、いざ当日になったら純粋に祭りで賑わう街を歩くのが楽しみになった。
しかしお互い店主で今日も忙しい為、時間はあまり無い。
ダヴィートさんの仕込みの時間までという事になっているので急ぎ足で散策する事にした。
先ずは祭りのメイン会場とも言える広場から。
普段の市の何倍もの露店が所狭しと並んでいるのは圧巻である。
この露店は国中から集まった収穫物や特産品を売っているのだそうだ。
見た事もないもので溢れていて私の目は大忙しだ。
中でも酒の露店は中々離れがたく、目が輝いてしまう。
山岳地方の林檎酒に蜂蜜酒、中々王都ではお目にかかれ無い白ワインなんかもある。
「はぁ、うちに欲しいなぁ」
「数が少ないからなぁ……ダメもとでザール商会に相談してみりゃいいさ」
成る程。今度お爺ちゃんが来た時にでも言ってみようか、などと考えていると、次は反物の露店が目に入った。
その中の薄い青の布地に釘付けとなる。
「ん? あれが気になるのか?」
「あ……いや、綺麗な色だなと思って」
「あー、あれはカレザ地方の特産品だな。星屑草とかいう希少な花で染めるんだよ」
「へぇ……」
話しながらその反物屋の前を通過する時、それとなく見た値段に思わず目が飛び出そうになる。
ーー普通のショールが五枚は買えるわ。
すぐ様、諦めて視界から反物店を消す。
ちょっと良いなぁなんて思ったけど希少という言葉通りのお値段であった。
それから一通り露店を見終わると、途中で買った葡萄の果実水とチーズと半熟卵が乗ったパンを広場の端にある柵に腰掛けて頬張った。
チーズと半熟卵のコラボは期待を裏切らないコンビネーションであっと言う間に胃袋に消えて無くなった。
食べ終わると果実水のカップを返しにダヴィートさんが行ってしまったので手持ち無沙汰で近場の露店を見て回る。
と、そこで色とりどりの紐状の物がズラリと並んだ露店が目につく。
「それ何ですか?」
「これは御守りだよ。こうやって足に結ぶんだ」
ほら、と老齢の露店の店主が足を見せて結ぶ真似をした。
聞けばそのミサンガに似たものはアルシアに古くからある魔除けの御守りだと言う。
ふとシリュウスの顔が思い浮かんだ。
これぐらいならいきなり渡しても変には思われないかもしれない。
何となく手にとったものは黒い糸と青い糸が織り込まれたシリュウスの色彩を思わせる御守りだ。
「これ、一つください」
「まいど。昔は戦の前に女達がこれを編んで恋人に贈ったもんだよ。お嬢さんも大事な人に贈るのかい?」
老齢の店主が見透かしたように言ったのでとくに否定もせず私は頷いてしまった。
少しばかり迷ったけど、そんなに高いものじゃないし、これならシリュウスに気軽に渡せるだろうと思ったのだ。
それから程なくしてダヴィートさんが戻ってきたので次に中央通りへと向かう事になった。
中央通りは宮殿へと続く1番大きな通りである。
繁華街とは違い高級な店が立ち並ぶ一等地で縁が無いので私はあまり通った事がなかった。
「ああやって仮装して練り歩くんだ。派手だろ?」
たしかにダヴィートさんの指差す方向には色とりどりの目がチカチカしそうな集団が見える。
近づくとその異様な派手派手しさに圧倒された。
皆一様に仮面をつけていて、いつだかテレビで見たヴェネチアのカーニヴァルを連想させる出立である。
「中央通りに住む人は皆仮装するんだ」
「へぇ……他はしないんですか?」
「あんなギラギラした格好、金に余裕がねぇとできねぇさ」
「まあ、確かに」
「でも、まぁ、せっかくだから仮面くらいはつけるか」
そう言うとダヴィートさんは露店で仮面を2つ購入し、1つを私に渡すともう1つをその場で装着した。
それを見てから私もつけてみる。
なんとなく夏祭りの屋台で買ったキャラクターお面を被った時の気分だった。
小っ恥ずかしかったが何だか祭りを満喫してる感が増して浮かれてしまう。
それから王都を流れる小さな川へ行き、そこから乗り合いの手漕ぎ船に乗った。
王都を一周見て回るなら船が一番効率よいかららしい。
たしかに、まだ行った事の無い大聖堂や歌劇場も間近で見る事が出来たし、シリュウスの住まう宮殿の裏手までも良く見える。
暫くすると一周を終えたのか、繁華街近くの橋が見えてきた。
「あの橋の手前で降ろしてくれ」
ダヴィートさんがそう言うと船はゆっくりと岸へと近づく。
船を下りるときダヴィートさんが1人で支払おうとして一悶着あったが、中々有意義な時間だった。
……結局ダヴィートさんに奢ってもらってしまったけど。
何となく、お客以外に奢ってもらうのは落ち着かない気分だ。
すでに時刻は昼をいくらか過ぎた頃。
私はまだ少し時間があったのだが、ダヴィートさんは仕込みがあるのでそろそろ店に行かなければならない。
「今日はありがとうございました。祭りを堪能できて良い気晴らしになりました」
待ち合わせと同じ橋の上で、私はぺこりとお辞儀をした。
「いや、ミナの為と言っときながら、本当は俺が一緒に行きたかったんだから……そんな畏まらないでくれよ」
照れ臭そうにダヴィートさんが頬をかく。
その表情が大人のダヴィートさんを少年のようにさせていて何だか不思議な気分だ。
「はぁ、まだ気づかないんだな……好きでも無い女をデートに誘うヤツなんているか?」
「え?」
「前からミナちゃんの事は気にはなってたんだ。ほら、俺の店よく飯食べに来てただろ? ずっと仲良くなれればと思ってて店の改築手伝ったり相談乗ったり……でそのうち本気になっちまったっていうか」
「え、え?」
「……そんな厄介そうな奴やめて俺にしとけば? それが今日はどうしても言いたくてな」
驚きに硬直していると、フワリと頬を滑らかな布が撫でる。
視線を少しだけ下げると薄い青が目に入った。
「ダヴィートさん、これ……」
「欲しそうにしてただろ? 男ってのは好きな女の喜ぶ顔が見たいんだよ」
ダヴィートさんが私の頭にかけたのは、丁度ベールに仕立てられるくらいの長さの星屑草の反物だった。
「急に、そんな……受け取れませんよ!」
やっとこの状況を把握して焦る。
ダヴィートさんが私を?
そんな素振り……いや、あったかも。
考えてみたらあの時、急にデートだなんて言い出しておかしいよね。
なんで気づかなかったんだろって……理由は何となくわかっている。
ダヴィートさんは兄貴的な存在であって、私の中でどうしても恋愛には繋がらない。
それに私は今シリュウスの事で頭がいっぱいなんだ。
「ダヴィートさん! あの……私!」
「別に答えを急いで出して欲しい訳じゃねぇからさ。ただ、俺も男として見て欲しかったんだわ……ミナちゃんを困らせてる奴と同列に並びたかったからさ」
ダヴィートさんが私の言葉を遮る。
そして苦笑しながらそう言った。
私は甘えた相手を間違ってたんだ。
兄貴だなんて勝手に思って……。
その時ビュウ、と強い風が吹いた。
ダヴィートさんの背中越しにヒラヒラと青い布が舞うのが見え、しまった!と頭を抑えた。
……が、ちゃんとそこにはまだ青い布が被さっている。
思わずその同じ色の布を拾い上げ、キョロキョロと周囲を見渡した。
「あ……れ?」
数メートル先にいる橋の袂に佇む人に私は釘付けとなる。
お日様の下で会った事など今まで一度も無い為に驚きより違和感が先に勝ってしまった。
こんな時間に何してるんだ、っていうか誕生日に抜け出して大丈夫なんだろうか……。
色々心配になり近づいて、見上げた相手の顔を見て私は凍りついた。
別に怖かったからじゃない。
ハッキリいって彼の顔が怖いのは標準装備なのでもう慣れた。
ーーそうではなくて、彼は、シリュウスは、凄く凄く傷ついた顔で笑っていたのだ。