とりあえず冷しぼ
踊り子の足に括り付けた鈴の音が爽やかなリズムを刻む。
舞台で舞う踊り子に、どの客も皆目を輝かせて手拍子したり、体を揺らしたりと楽しげにしている。
いつも通りの賑やかな店内。
いつも通りに仕事をする皆。
いつも通り無口な隣のシリュウス。
全ていつも通りだ。
ーー私以外は。
「ごめんちょっと行ってくるね」
「いつもの客か?」
「そ、そうそう。何だかよくかぶるよね? ははは」
…………
…………はぁ。
手摺に寄りかかり項垂れていると階下からトマに覗き込まれた。
「あれ、こんな所で何してんすか? 今指名かぶってるんじゃ……」
その顔がみるみる訝しげに歪んでいく。
「ミナさん……顔、真っ赤っすよ……? シリュウスさんと何かあったんすか?」
トマに核心を突かれ大げさなくらいに肩が跳ねてしまった。
「つ」
「つ?」
「冷しぼ……取り敢えず、冷しぼちょうだい」
何か言いたげな視線のトマから冷しぼ(濡らした布巾をくるっと丸めたもの)を貰い、火照る頬にそっと当てる。
「今日も少し飲みすぎたみたい。少し冷やしたら行くから」
あの日以来さすがに私も反省して酒を控えてる事くらい皆知っているだろう。
だが、見え見えの嘘でもってトマを追い払い、私は大きく息を吐き出す。
あんな醜態晒した事なんてぶっ飛ぶくらい破壊力抜群な告白をしてくれたシリュウスは相変わらず店に通っていた。
一体、今までどうやって普通に話していたのか全く思い出せない。
正体を知った時よりも尚悪い状況に陥ってしまった気さえする。
ジラールにはまだ言っていない。
あの時すぐに帰ってしまったジラールは次に来た時、やはりと言うか予想通りに酷く怒っていたが、肝心な所は見てなかったらしい。
私に躊躇いなく触れていたシリュウスの姿をジラールは知らない。
だから未だにシリュウスの病を治すため躍起になって隣で観察している。
因みにジラールが何故帰ってしまったかというと、ジラール曰く、『私の精神衛生上、耐え難い光景』だったのだそうだ。
……要するにジラールは潔癖症だったのだ。
主の悲惨な状況を放り出す程にあの光景はジラール的に衝撃的だったらしい。
思えばいつも着ている真っ白な服にはシミひとつ無いし、白い手袋も外した所を見た事はなかったと私も今更ながら気づいた。
もうシリュウスの病は治っているとジラールには早く言わなければとは思う。
でも言ってしまったらジラールは私を問答無用で後宮に連れて行くだろう。
そしたら私は晴れて子作りマシーンとなり、あの狭くて鬱屈とした世界で生きなければならなくなる。
嫌だ。
あの場所には戻りたくない。
でもそう思う反面、シリュウスが嫌なのかと聞かれたらそうでもない。
これだけ心臓が爆音をたてているのだから寧ろ……。
「ミナさん! いつまでサボってんすか!」
思考の沼地にどっぷり嵌っていると、まだそこに居たのかと呆れ顔のトマに注意されてしまう。
さすがにいつまでも油を売ってはいられないなと、私は靄を払うように頭を切り替えて階段を急ぎ足で降りた。
✳︎
元の世界では夜の仕事を始めて相談できるような友達とは疎遠になってしまい、気軽に遊べても浅い付き合いの人間関係がいつの間にやら出来上がっていた。
でも今は違う。
信頼できる仲間がいて、中でもアナは同性で1番仲が良い。
相談してみようかな?
……でも何て言ったらいいんだろう。
閉店後の衣装室、隣で着替えているアナをじっと見ながら私は悶々としていた。
「ミナ? どうしたの?」
さすがに見過ぎだったのか、何か言う前にアナの方から怪訝な面持ちでそう尋ねられ、私はグッと喉を詰まらせた。
や、やっぱ言えない。
シリュウスと面識があるだけに言いづらい。
だったら知らない人、まったくの第三者に相談したらどうか……ただそうなると店の従業員以外となる。
1人だけ頭に浮かぶ顔があった。
そうだ、あの人なら……ダヴィートさんならまた良いアドバイスをくれるかも。
私はアナに「やっぱ何でもない!」と言って、バタバタと衣装室を出た。
向かった先は勿論、最近出来た異世界の兄貴こと、ダヴィートさんの店である。
扉を開けるとさすがに時間が遅かった所為か店内はガラリとしていて、ダヴィートさんがテーブルを拭き掃除していた。
「この時間に1人なんて珍しいな」
「もう閉店、ですよね……?」
「いいさ、遠慮しないで飲んでけよ」
その言葉に甘え、閉店後の店内に居座る。
程なくして片付けを終えたダヴィートさんもテーブルの対面に座り、2人きりの酒盛りが始まった。
「この前の復讐されるかもって話……」
「どうだった?」
「復讐するつもりは、無いみたいです」
「はは、やっぱな。良かったじゃねぇか。でも何でそんな浮かない顔してるんだ?」
と、そこでこの前の出来事をザックリと打ち明ける。
「はぁ、成る程ね。で、ミナちゃんはどうすんだ?」
「……どうもこうも、知らないフリし続けるしか……」
「其奴が好きなら、そんなうやむやなままでいいのか?」
ダヴィートさんの直球に肩が跳ね上がる。
好きだと言ったけど、シリュウスはそれを酔っ払いの戯言だと思っている。
答えは出ているのだ。
このままうやむやにした方がいいに決まってると。
だって私は後宮に戻りたくない。
それにど庶民と異世界の王様なんて上手くいきっこないし、せっかく手に入れた私の居場所を手放さなくちゃならない。
店も今までの苦労も水の泡だ。
……どう考えても冷静に無理だ。
あの時の夢みる乙女(現実逃避中)だった私はもう何処にもいない。
でもいざ本人を前にすると胸は高鳴ってしまう。
目が離せない。
躊躇いがちに髪をふれた感触が今も生々しく蘇る。
「あー……もういい。余計悩ませちまったな。」
なかなか答えられない私にしびれを切らしたらしく、ダヴィートさんが肩をすくめて見せた。
「グダグダしてすみません。どうしようもないけど、誰かに相談したくって」
やっぱり迷惑だったろうなと1人反省し、ショボくれていると暖かい手が私の頭頂に乗った。
そういえば前にシリュウスに一瞬頭を撫でられた事あったっけ……と、つい余計な事を思い出す。
「ミナちゃん、俺とデートしないか?」
「えっ?」
突然の申し出に私は耳を疑った。
さっきの話からどうしてそこに辿り着いたのか全く繋がらない。
そんな疑問符だらけの私の顔を見てはは、とダヴィートさんが軽快に笑った。
「そんなにこん詰めてずっと悩んでたってどうしようもないだろ? だったら気晴らししてみりゃいい。それで見えてくるものもあるかもしれねぇしな」
「見えて……くる?」
「ああ、そう深く考えちゃいけねぇよ。考えてもどうにもならない、どうしようもない時は一回そこから離れてみるのもアリだと思うぜ? 他を目に入れてみるとかな」
他……。
頬杖をつきながらこちらを見つめるダヴィートさんがバチリと片目を瞑った。
他を見るかぁ。
そういえば私は後宮を出てからゆっくり街すら歩いた事が無いな……。
「……します。デート」
かくしてダヴィートさんとのデートが数日後の収穫祭の時と決まり、この日は夜も更けてきたので帰る事になった。