フルボッコにしてました
冷静に考えれば、衣食住に困らず言葉まで教えてもらったのだから突然の異世界トリップにしては恵まれていたのだと思う。
けれどその頃の私は、恋愛ファンタジーのヒロインめいたバカげた夢から醒め、漸く現実と向き合い途方に暮れていた。
押し寄せる郷愁、果てし無い孤独感、そして未来への絶望……何する事も無く、ただ息をするだけの苦痛の日々がずっと続いていくと思うと生きている意味があるのかすら疑問だった。
鬱々として眠れない夜を過ごす事もしばしばあり、そんな時は決まって部屋を抜け出して後宮の広い中庭に行く。
そこで木々の合間から星空を見ていると、まるで実家のある故郷のど田舎に帰ってきたように思えて懐かしかったのだ。
そんなある月の明るい晩、私は庭の片隅で1人の兵士に出会った。
「そこで何をしているんだ?」
カサリと草を踏む音とともに木の陰から鉄兜を被った長身の兵士が現れた。
兵士は普段、宮殿と後宮を繋ぐ扉でしか見た事は無く、しかもこんな兜を被った姿の兵士は見るのが初めてだった。
「夜間は部屋から出てはならない掟だ」
「でも眠れなくて」
「夜は冷える……早く戻れ」
口振りからして、夜間の見廻りか何かしていたのだろう。
しかし、私は部屋に戻る気にはなれず、ぼんやり鉄兜の兵士を眺めていた。
……はっきり言って人とまともに会話したのは久しぶりだった。
人種の違う姫君達に冷たくて機械的な侍女達。後宮に来てからまともに話をしたのは言葉を教えてくれたお爺ちゃん先生だけ。しかしそれも言葉を習得してしまってからは会う事もない。
ああ、そうかとそこで気がつく。
私はとにかく誰かと話がしたかったのだ。
「少しだけ、私の話しを聞いてくれる?」
気がつけば私はそんな事を口走っていた。
「現実から目を背けて運命の人だなんてバカみたく夢を見た罰ね。王が私なんかを見てくれる筈無いのに……そもそも、何で私を後宮なんかに入れたの? 異国の娘を哀れんだから? 外じゃ生きれないと思ったから? こんな思いをするなら、野たれ死んだ方がマシだった。もう帰れなくても、こんな牢獄みたいな所で何の目的も持てず死んでくなんて嫌!」
……結果、話し出したら止まらなかった。
しかも身の上話はいつの間にやらただの愚痴となっていき、はっきり言って最早会話でも何でも無い。
なのに鉄兜の兵士は立ち去る気配もなく黙って聞いてくれていた。
「本当は私だって薄々気づいていたんだ……周りの姫とは明らかに毛色が違うし、多分ペットか何かみたいに思って拾っただけなのよ。きっと私の事なんてすっかり忘れてるんだわ。それに“アルシアの黒獅子”なんて厨二な名前で呼ばれちゃってるけど、所詮人殺しのろくでなしじゃない。もう嫌だ、こんな世界。何で私ここにいるの?」
そんなの答えられる訳が無いと知りながら更に話続ける。
人間、溜め込みすぎると壊れてしまうのだろうか。
決壊したダム並みに喋って、喋って、喋り倒して……勢いが治ったのは空が白み始めた頃だった。
その日から、夜庭に出るとたまに鉄兜の兵士に出会うようになった。
最初のうちは偶然かと思ったが、どうやら私の話を聞いてくれるつもりらしく、私は会う度に一方的な会話(愚痴ともいう)をしていた。
そんなだからか、いつも名前を聞きそびれてしまい、いつしか私は彼を“鉄兜さん”と呼ぶようになった。
結局、その呼び名が定着してしまい、本名を聞こうとも思わなくなって最後まで名を知らぬまま、私は後宮を去ったのだ。
普通に会話をしても殆ど聞き役で喋らないし、友人というにはあまりにも何も知らない奇妙な間柄。
何であの儀礼剣に見覚えがあったのか?
その答えは簡単だ。この目で何度も鉄兜さん、もといシリュウスが腰に差していたのを目にしていたからだ。
背格好、無口な所、兜でくぐもってはいたが声や話し方……2人を重ねてみれば、何で今まで気づかなかったのかと我ながら呆れてしまう。
けど、その鉄兜さんが、実は王だったなんてーー。
『人殺しのろくでなしじゃない』
自分が放った言葉がぐるぐると巡りおかしな汗がぶわっと出る。
……知らなかったとはいえ、私は本人の前で本人の悪口を吐き散らかして、フルボッコの滅多刺しにしていたのだ。
そりゃ、トラウマになって女性恐怖症が悪化したのも無理はない。
本当、よく首と胴が繋がって今日まで生きてこれたものだ。
しかし謎なのは、そんな私の話を何故いつも黙って聞いていたのかだ。しかも後宮を出てからも店にまで来て。
もし自分ならトラウマになる程の事を言われた相手に近づきたくなんてない。
……実はマゾ?
いや、うん……それは無いよね?
店に来てからは罵るような事は言ってないし。
最近は寧ろ、壁が徐々に取り払われていくような、打ち解けてきたような感じすらあった。
じゃあ、自分を傷つけた相手にわざわざ会いに行く、そんな事をする時ってどういう時だろう。
……復讐。
その言葉が閃いた瞬間、頭の中でパズルのピースがカチリとはまった。
シリュウスは私に復讐する気なんじゃないだろうか。
それが一番しっくりと来た。
友好的になって最終的に王だと気づかない私にカミングアウト…同時に不敬罪とかで獄中送りとか? いや、今度こそ首と胴がサヨナラするかもしれない。
「……さん、ミナさん?」
ジラールに訝しむように名を呼ばれ、長く回想と思考に浸っていた私はハッとなり顔を上げた。
「どうなさったのです? 突然黙り込んで。それに顔色が真っ青ではないですか。ああ、そういえば貴女は自ら後宮を出た変わり者でしたね? ならば貴女の望むものをいくらでも用意しますよ?」
「いや、あの……」
「豪華な衣装に沢山の宝飾品、貴女の為だけに楽師を呼びましょうか? そうだ、部屋も1番贅沢で広い所を用意しましょう」
「あの!!」
「何です? まだ他に望みが?」
「いや、私が欲しいのは金では買えないというか……じゃなくて、ちょっとジラールさんにお話しときたいことがありまして……」
私は意を決してジラールに全てを話した。
シリュウスを傷つけた言葉を記憶している限り伝え、私を恨みさえしても子どもを望む事などあり得ないと説得した。
「……なる程、確かにそれは酷い」
悠然と微笑むジラールだが、目の奥は全く笑ってなく、寧ろツンドラ気候並みの凍てついた視線を感じる。
「まさか王様だなんて知らなくて……だから私が後宮へ行くのはどうかな、と」
ははは、とぎこちなく笑ってみるがジラールの静かな怒りは更に体感温度を下げていく。
「……私もいささか早計でした。しかし腑に落ちませんね。貴女の言う事が正しいとして、何故最近になって症状が落ち着き出したのでしょう? 今まで身の回りに侍女を近寄らせなかったシリュウス様が突然入室を許可したんですよ? 挙句、侍女の雇用を増やすようにと……。それにこの店にいられること自体、私から見て奇跡です。悪化していた頃は女性に近づくだけで酷く気分が悪くなっておいでだったのですから」
「そ、そんなに酷かったんですか……」
改めて具体的な惨状を言われると罪悪感に塩を塗りこまれるような気分だった。
しかし、そんな事を聞かれても私にわかるわけがない。
きっと理由を知るのはシリュウス本人だけだろう。
「直接聞いた方がいいんじゃないですか?」
「下手に傷口を抉ってまた悪化したらどうするのですか。今回だって繊細なシリュウス様の事を思って密かに行動を起こしたというのに……直接だなんて聞ける訳ありません。大体、助けられた身でありながら、よくそんな酷い事が言えたものです」
「ううっ」
にべもない事を言われて返す言葉も無く喉を詰まらせると、ジラールは大きく息を吐き今まで手をつけてなかったワインを一気に煽った。
程なくしてダン!と勢い良く空のグラスを置く。
「しかしシリュウス様もシリュウス様です。何故いつも何も言ってくださらないのか。私は臣としてそれ程に頼りないのでしょうか?」
ジラールの顔が心なしか赤い。
最初のクールなイメージはどこへ行ってしまったのか……どうやらジラールは酒に相当弱かったらしい。
「あの…ジラールさん? だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫ではありません。漸く世継ぎを望めそうだと思ったのに、これが飲まずにいられますか! シリュウス様が下々でなんと言われているかご存知でしょう? 男色家だと思われているのですよ? しかも貴族達には相手が私だと噂されて……おかげで私は未だ独身です」
「そ、それはご愁傷さまです」
「随分他人行儀な。それもこれも貴女の所為ですよ! 私はまだ諦めません。実際良くなってはきている。そうだ……もしかするとここでシリュウス様を観察すれば謎は溶けるかもしれない。そうだ、そうしましょう! 無論貴女に拒否権はありません。重臣しか知り得ない情報も渡してしまったのですから……ふふふ、この意味、言わずもがなおわかりになりますよね? 私は血生臭いのは好みません、酒場一軒潰すくらいは雑作もないのですよ?」
……何この面倒そうな展開。
心からそう思ったが、シリュウスを傷つけた当事者として、しかも店を潰すと案に言われては拒否権などある筈もなかった。