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不良絵画

作者: アルリア

男は熱心に何かをしていた。

壁に向かって絵を描いている。


「できたぜ。」


彼は期待に満ちた顔で目の前の巨大な絵をみていた。


描いている最中に暗くなってきたので前もって用意していたライトアップをする。


白日の下で見る予定の絵の見栄えが分かりづらい。というのはライトが黄色の光だったからだ。

買ってから気づいた。次から白色の光のライトにしようと間宮絵文は思った。


お金だけは間宮は不自由したことが無かった。だから絵を描くための道具は特に困らなかった。


「会心の出来だぜ。サロンに出展しても問題ないな。すぁ~~てぇ今度はどうかな?」


自信満々に呟く。絵の具のしたたる刷毛を真っ直ぐに突き出す。

絵文は大胆不敵に笑っていた。


「もう8時かぁ」


学校の時計を確認する。夜の8時を回っていた。


「明日が楽しみだっ」


絵文はにっこりと遠足の前日の小学生のような顔をした。



翌日。


絵文はなんとも言えない表情で立ち尽くしていた。

駐輪場に二重ロックまでして安心して止めていた自転車を朝使おうとしたら、その場から消えていて、何があったのかと呆然としている人のような顔をしていた。


レオナルド・ダ・ヴィンチも思わずにやけて「是非弟子になってくれ!いや師匠になってください!」と懇願する(と間宮が思っている)ヴィーナスの絵が、落書きされていた。



「ああああああああああああああああああああああああ!!!!」


ずだあんと頭を抱えて絵文は落ち込む。


悔 し い。頭を抱え悔しさがぐるぐるする。


~ルールは簡単、落書きされたら負け~


「くそおおおおおおお」


「ああああああああああ」


「(今回も分からず屋たちが俺の究極絵画を落書きしやがった!)」


朝なので全生徒の「比較的」真面目な3割の生徒が遅刻せず登校してくる。


そもそも絵文はなぜこんなことをしているのか。それを説明するにはこの高校の説明からしなければならない。

ここは県下一の不良高校。ものの見事に社会から必要とされていない必要悪ですらない人間の巣窟。


校舎をみて見よう。全ての窓が割られている。なぜ直さないのか。直しても直してもすぐ生徒が割るので直さないのだ。


校庭はバイクの走り(サーキット)と化している。

教室のプレートは落ち、代わりにくそ溜めと書かれたちぎれかけのダンボールでつくたれたプレートが。

この高校は荒れ果てている。


廊下、トイレ、教室、体育館、天井に至るまで。あらゆる色のスプレーで落書きされている。


その点を絵文は注目した。




入学直後。


「落書きされ放題だ・・・・この分なら俺が描いたっていいよな。校舎まるごとキャンパスにできる!」


絵文は絵が好きだった。一旦書き始めると描くことが魂の目的になって他のことはしないし、したくもないほど絵が好きだった。


「観客はこの学校の人間全員だ。あ~~俺の絵画を見たらみんな肉体から魂が抜きでるほど感動して死んでしまうかもな。素晴らしい絵を描くって言うのは罪なものだな。」


こんな冗談を言った初めて校舎に絵を描いた時。


「(ちんけな落書きだらけの中であんなレヴェルの高い絵画が描かれていたらみんなびっくりするだろうな。)」


と帰り道思った。


「(うわああああ楽しみだぜえええ。ドキドキするぅ。)」


と風呂で思った。


「(明日はあえて普通の時間に行こう。早く行くのはやめよう。平静を装うのだ。)」


とベッドで思った。


初めての犯行でとんでもないことをしたとドキドキとワクワクで ニヤニヤしっぱなしだった。

l

しかし、大した注目も浴びなかった。それどころか無残に落書きされていた。


この日から彼のゲームが始まった。


絵文のアートはスピードアートだった。早くて1日。長くかけても一週間で完成した。

落書きされては、描く。

落書きされては、描く。

そうやって絵文の高校生活は過ぎて行った。


絵文が高校に入学して一年が経ち、絵文は2年生になっていた。


16作目


「うんっ。これは美の極地とも言える出来栄えだ。これは今回は落書きされないんじゃないか。」


「現代に蘇ったミケランジェロと言われる日も近いな・・・・」


大真面目に言っていた。その顔は一点の曇りもない。ド真剣の眼差しである。


しかし、その「受胎告知✙mamiya✙2014」も落書きされていた。


「ひゃああああああっ」


膝をつく絵文。


「何故っ。ルーブル美術館にすら飾ることが出来るこの作品に対してこんなことがっ・・・!平気でっ・・・・!」


「はっ、そうか・・・・・!」


彼の妄想と希望的観測だらけがつまった頭に一筋の妄想の流れ星がスッと通った。


「この絵はこれからあまりに人気に法外な値段がつくのだ・・・・そしてっ・・不運なる俺の「 受胎告知✙mamiya✙2014 」もすぐ盗まれてしまうっ。ううっなんて呪われた運命なんだっ。そして闇オークションを転々とするんだ。だからこの絵の将来を可哀想に思って、・・・・いっそのこと殺してしまおうということか?確かに・・お金持ちの見栄のために争奪戦の渦中に身を投じることになる彼の将来は不憫だ・・・」


一人でぶつぶついう姿は異様である。

毎日毎日絵を描き続ける姿も異様であったが。


16作目


落書きされそうになる絵の前で絵文は体操座りしていた。


スプレー缶を持って落書きしに来た女子生徒3人が向こうからやってきた。ヤンキー女である。


「やめてくれっ。この[兵士達の挽歌]を金持ちの目の肥やしにされたくないと言う君たちの気持ちは分かる・・・・!でも考え直してくれ・・!絵に罪はないんだ!罪があるとしたら生み出したこの俺だ!!」


うおおおと声を発生し、必死な絵文は思わずユミに飛びかかっていた。


「きゃっ」


と普段悪ぶっているヤンキー女は思わず可愛らしい女の子っぽい声がてしまって、口に手を当て、顔を赤らめている。


「何すんだテメー!!キモ!キモ!」


ユミが絵文を振り解く。


よろよろと絵文。


「絵~絵~」


「なんだこいつ!?妖怪かよ!」


「お前ら止めるんだ。悪い未来が見えるからって、希望が見えないからって、いっそのことむちゃくちゃになってしまえなんて・・・・・そんなの悲しすぎるよ!」


なんかかっこいいことを言った。


「お前が描いたの?こんなのこうしてやるよ!」


スプレーを構えるパイナップル頭。その先には絵文命名「兵士達の挽歌」が。


「やめろォォォォォ!!」


とガンダムの主人公みたいな迫真顔で突進する絵文。


ユミを壁際まで追い詰める絵文。

[壁ドンである。]

突然のことにさらに慌る。目を白黒するユミ。 きらっと光るグロスのついた唇。唇が震えた。

顔は真っ赤に染まっている。


「ちょっ・・・・何、何なの?」


ユミは男に迫られて怖がっていた。華奢な体が震える。

瞳が潤んだ。

顔と顔との距離10cm。


「金持ちや社会がよってたかって絵を駄目にしてしまうんだ。君の気持ちはわかる・・・でも!」


その光景を想像して絵文は、まさに身悶えするように顔を苦渋に歪ませた。拳を突き上げる。力が込められる。想像に耐えているのだった


「??」


ユミには全く目の前の男が何を言ってるのか分からない。宇宙人が目の前にいるかのようだった。この学校にはいかれたやつが多いがここまでおかしなやつはそうそういない。


「・・・・ウチらは何か真面目な絵に落書きするとスカッとするからやってただけなんだけど・・・・」


「・・・・・・・・え?」


今度は絵文の方が目の前の女の子が何を言ってるのか分からなくなる番だった。


「離れろよっ!おりゃあっ」


スプレーを発射され思いっきり絵文の顔にかかる。


「ぐああああっ」


目に鋭い痛みが走る。たまらず勢い激しく仰け反る絵文。目の前が文字通り真っ暗になり思考がこんがらがった。

猛烈な痛みと混乱の中絵文は思っていた。


「(そうか・・・・・誰も俺の絵に感動なんかして無かったのか・・・)」


倒れながら絵文はその気づきたくなかったことに気づく。彼の目元には涙が浮かんでいた。キラキラと雫が絵文に遅れて宙を舞う。

スプレーの衝撃と誰も感動していなかったと言う事実の衝撃が絵文を襲った。果たしてこの涙はどちらのものなのだろうか。


「マジキモい・・・・マジキモい・・・もうさいっやく・・・」


スカートの砂を払うユミ。少しまだドキドキしている。


「大丈夫─?ユミ─」


2人がユミに寄る。


「マジキモいんだけど!」


ぺっと唾を吐き、スタスタと立ち去る3人。


その後には転げ回る絵文だけが残された。


「目がぁあああああああああっ!目がぁぁあああああっ!」


もう痛いなんてもんじゃない。水中で目を開けたのがレベル1の痛みだとしよう。そして目にゴミが入ったのがレベル2。

これは・・・・・レベル100の痛みだ。


転げ回り、悶え、砂まみれになった間宮の制服。


永遠とも思える時間がたち、ようやく痛みが引いてきた。

顔が紫色になっている絵文。ナスビだろうか。He is NASUBI.


幸い目は見えた。

しかし絵文は絵に価値がないと思われていたことがショックだった。そのことの辛さがまだ心に残っていた。

仰向けのなって空を見た。

空は紫色がかっていた。その光景を見ながらぼーっと動かないでいた。


だんだんと悔しさがこみ上げてきた。


「くそっ・・・・!くそっ!」


悔しさで口を結び、目が険しくなる。間宮は決意をした。


「くそ・・・・次は、次は感動させてみせる。落書きするのを躊躇うくらいの最高のやつを創る!きっとだ!」


絵文は心が燃えていた。挑戦心が沸き立つ。


「 見てろよ皆さん。魅せて魅せて魅せまくってやるぜ。 」


絵文は起き上がって顔を触った。頬を触る。くん。と臭いを嗅ぐ


「(この塗料は・・・・2液のウレタンか。リムーバーで落ちるな。ホームセンターに買いに行くか。)」


絵文は画材になりそうなものならなんでも使ったので、それらについて詳しかった。


夜9時ごろ

ユミは家を飛び出した。

両親のケンカがまた始まったからだ。

ばたばたばたっ。玄関に走る。

路地を歩くユミ。

あても無く歩いていると男から声をかけられた。

三人とも軽薄そうななんちゃってヤンキーたち。

ユミはフラフラとついていった。

ユミの目には光が無かった。

カラオケボックス

勧められるがまま酒を飲んだユミ。

ぼーっとした頭でいる。

男たちのうちの誰かの家に連れて行かれそうになる。

彼らの顔はよく見えない。

「(まぁどうなってもいいかな・・・・・)」

とユミは思った 。

道を男たちに連れられて歩いているとふと頭によぎった。それは今日会った変な先輩だった。その先輩がなにか言っている。

「『止めるんだ。悪い未来が見えるからって、希望が見えないからって、いっそのことむちゃくちゃになってしまえなんて・・・・・そんなの悲しすぎるよ!』」


目に光が戻るユミ。


走って逃げる。

なんとか巻いて人通りの多い駅前で息を切らす。

走ったせいと酒を飲んだせいと食べ物を食べたせいと緊張からの解放とあといろいろなものが混ざってユミは吐いた。




絵文の高校は一応授業はやっている。教師はただ教科書音読&板書マシーンのように話すだけだ。そして生徒になにか伝えようという気はなく絵文もろくに聞いていなかった。


1年生のある教室。


「えーーー・・・数学のテストを返却します。」


冷淡そうな半ば禿げている数学教師が言った。

多田以外の生徒達は教師の話は聞かないどころかまったく関心を払って無かった。誰もテストにも興味がないし教師の言うことにも興味が無い。

えんえんと喋ってたり、スマホをいじる生徒。ゲームをする生徒の一団。雑誌を広げる生徒。


眼鏡をかけた数学教師は慣れているがそれでもうんざりしていた。


「(こんな高校に来てしまったのが俺の運の尽き・・・・こいつらは生まれつきのクズ・・よって矯正など不可能。)」


「(はぁ・・・早く他の学校に赴任してぇ・・・)」


多田は返ってきたテスト用紙を受け取り体が強ばったように動かなく感じていた。嫌な冷や汗と気持ちがお腹の中をぐるぐるしている。


「あんなに勉強したのに・・・」


わなわなと呟く。


「前のテストの点と今回ほとんど変わってないじゃないかっ・・・!」


「くそっ」


と壁を蹴った。息が苦しくなる。


「ちょっといいか?」


多田は教師に間違えたところを教えてもらおうとした。


しかし数学教師は多田に恐れをなして逃げるよう慌てふためいた。


「教えて欲しいところが____」


多田がいい終わらないうちに教師は教室から出て行ってしまった。


「無駄」


教室のすみでゲームをやっていた男が言った。


「なに?」


イライラっと答える。


「多田何頑張っちゃってんの?俺たちはなにやってもうまくいかねぇだろ?諦めろよ。そんな下らないことより楽しいことでもしたらどうだ?」


多田は苦虫を噛み潰したような渋面。


「なんのために受験で人間を振り分けたと思う?屑とマシな人間を分離するためだよ。分離政策さ。それが受験ってシステムの目的だよ。」


「俺は・・・何とかしたいんだよ!」


「なんともならねぇよ。」


「くそっ!」


怒りに任せてロッカーをぶん殴りロッカーは凹んだ。


体育館裏。

多田は数人と歩いている。


すると楽しそうに、生き生きと絵を描いている絵文がいた。


「なんか・・・・・あいつ楽しそうだなぁ・・・」


多田たちは立ち止まって呟いた。

まぶしそうに多田たちは目を背けた。

多田はハッキリとムカついて絵を描いている絵文の方にやっていった。


絵文は今回の作品の題名を考えていた。絵を描いている時の彼は一種の憑依状態と言っていい。


「ふっふっふっ」


ペタペタと今日は細かく描いている。


多田が絵具を蹴っ飛ばした。がっしゃあんと大きな音とともに絵具が吹き飛ぶ。


だが集中状態の絵文は気づかない。もう一度筆をパレットに付けようとしてそこにない事に気づいた。


「あれ?」


あたりを見て多田達3人がやったと気づく。


「何をするんだお前ら!」


絵文がそう三人に言ったが、背中を引っ張られ脚立から落ちた。落下感を感じた。


「うわぉっ」


腰から落ちる。


絵文の髪を多田掴んだ。這いつくばる絵文に多田がのしかかる。


「うっとーしいんだよてめぇ。」


髪を引っ張りながら多田が言った。


それから四つん這いになった絵文の脇腹を多田が何度も蹴った。


「なんで・・・」


蹴る。


「ぐっ。」


呻く。


「そんな無駄なことっ」


蹴る。


「うぁ・・がはぁ・・・」


呻く。


「やってんだっ」


執拗に蹴った。多田は絵文を見ているとイライラしてしょいがなかった。


「ぁぁ・・・・はぁ・・・はぁ・・・・はぁ・・・」


息を吐いたり吸ったりする度に痛む肺。それでも酸素がなければ人間は生きられない。

一発目入るごとに絵文は呻いた。


「(苦しい!苦しい!苦しい!痛い!痛い!痛い!)」


絵文の頭はそれでいっぱいになった。

多田は蹴るのを止めた。


「はぁ・・・・はぁ・・・・はぁ・・・・・っく・・・はぁ・・・・はぁ・・」

必死に呼吸をする絵文。


多田のやっているのは緩急をつけて人を脅すテクニックだった。これで体が痛みを覚え頭では否定していても、抵抗する気力がなくなってしまう。


「気持ち悪いよ・・・・お前・・もう気色悪いことすんな・・・・な?」


多田は眼下の絵文に冷淡に言った。


突然の暴力と言葉の脅しに心が折れかかる絵文。


「・・・はぁ・・・はぁ・・・うすうす分かってたんだ・・・・俺がダ・ヴィンチの生まれ変わりじゃないってことは・・」


絵文が地面を向いて呟いた。


「えーなんだって?」

多田がおどけた様子で耳を傾ける。「聞こえねぇよww」


ゲラゲラと周りの男が笑う。

3人の男がボロボロで汚くなり、這いつくばる絵文を見下ろしていた。


「はぁ・・・・これまでの魂を込めた41つの作品。全部がとぼされて、汚された。」


軋む背中に耐えゆっくりと起き上がろうとする。壁に手をついた。


「何度でも落書きされて・・無駄かもしれないと頭をよぎることもあるよ。」


絵文は3人を睨み返した。

ぎゅっと拳を握りしめる。

燃えるように痛い体よそにを必死に立とうとする。


絵文「最初ほどの自信は無くなったっ。」


「でもっ・・!」


奥歯を噛み締める。


「俺は俺が最高だと思うことをやってるんだ!それが、それが例え人からどんなに貶されても!それは輝きなんだっ!俺は胸を張るよ・・・・!」


力を振り絞って絵を叩いて叫んだ。


多田は絵文の腹を殴った。

絵文は壁に勢い良く頭をぶつけた。


ごほっごほっとのたうち回る絵文。

頭はズキズキと痛く目の前がブラックアウトしていた。その上、腹を殴られ一瞬で横隔膜が限界を超えてせり上がり、呼吸困難に陥っていた。

のたうつ絵文。


「うるせえ」


多田の無慈悲な蹴りが絵文の腕に脇腹ごとめり込む。


「うぁぁっっぁあああああ!」

悲鳴を上げる絵文。


多田達はまだ気が晴れないらしく、屋上で行われているチキンレースに参加しにいった。


1人お腹を押さえて地面にうずくまる絵文。

彼が愛着を持っていた道具箱や筆はぐちゃぐちゃに散乱し、絵の具を入れる絵皿は割れていた。

絵文は思った。

思いたくて思ったわけじゃなく今遭遇した痛みが頭に考えを起こさせていたのだった。


「(なぜ・・・なぜ彼等はこんなことをするんだろう・・・・?そんなに俺が目障りか・・・・?)」


「(もしかして俺の絵は人を不快にさせるだけなんじゃないのか・・・・?絵画の巨匠たちのように人を感動させるなんてとてもとても俺の身の丈に合わないことだったんじゃ・・・)」


「(訳がわからない・・・)」


そのまま思考が泥沼にはまり、自己否定の連続に陥ることを絵文はなんとなく分かっていた。これまでの経験測だった。

望みが成就されない時、あれこれ考えても仕方の無いことを考えるのはまずいことだ。自己否定が酷くなるとがんじがらめになり、そして視野が狭くなる。自己否定を続けていいことなど一つもない。


だから絵文が無理やりその考えを振り払った。


「(いや・・・・そのことは考えちゃ駄目だ。考えたら進めなくなる。)」


「(尽くすんだ・・・・最高の絵画を創ることに。もっと気持ちを込めて。もっと上手く。もっと想像を飛び越えるような。もっと・・・もっと・・・)」


絵文はまた立ち上がり絵を描いた。


ペタペタ。時に緻密にザッザッ。時に豪勢に筆を動かした。

絵文はめげずに溢れ出るイメージを形にした。

絵を描いていると無限の世界が目の前に広がったような気がする。

なにもかもがそこにあるような・・。

胸が膨らみ、気持ちがバァっと明るくなる。


「(もっと描いていたい____)」


描いているうちにふと、そう思っていた。


彼の高校生活はそのためだけに行われていた。

いや、絵文はその時はこのことに人生を費やすつもりでいた。

ひたすら描き続ける。





66作目

タイトル

『ジャパニーズホラーHANAKO』


その名の通りトイレの花子さんをモチーフにしたホラー絵画を作った。

髪の長い、目を見開いた女の姿。それをトイレに描いた。


「トイレトイレ・・・・」


慌ててトイレに生徒が駆け込んだ。個室のドアを開ける。 坊主頭の生徒は個室に滑り込むように入り込んだ。


「危ねぇ・・間に合った

ぁ。ふぅ~~」


そして安心そうに息を吐く。便器に腰を下ろし踏ん張ろうとしたその時だった。


狭くて暗い個室の中。

すぐ目の前に生者とは思えない様相の、髪の長い女の顔があった。

ぎょろりとした目と目が合った。


「ぎょわあああああああああああ!!」


次の瞬間哀れな坊主頭の生徒は悲鳴を上げた。




73作目。


絵文は屋上から2本のロープでぶら下がり壁画を描いている。

作業をしている絵文の体を夕日が照らしている。

腰にベルトが回されガッチリと固定されており、安全対策はバッチリだった。さらにロープは2本も使っている。


すると。


屋上に立つ影が。


「へへへ・・・・」


怒った感じの坊主頭の生徒が枝切りバサミを持って立っていた。

ロープによって固定されている絵文。

その坊主頭の生徒は何かに怒っているようだった。

その怒れる坊主頭は枝切り挟みをシャキンシャキンと鳴らし何をしようとしているか。

絵文の顔が青くなる。


「ちょっ・・・まっ・・やめるんだ。それは死んでしまうよ。」


枝切りバサミは柵に繋がれていたロープに近づいた。

無慈悲にチョキンとロープが切られる。


「おわあああああああああ!!」


絵文は生垣に突っ込んだ。


87作目

絵文は体育館の壁に絵巻物のように、行進する騎士たちを描いた。


92作目

廊下の床。地面に穴が空いているように見えるトリックアートを描いた。

1つ下の廊下まで穴が空いているように見える。直径2mほど大きさの穴が廊下にポッカリと一夜にして出現している奇異。

崩れた足場がリアルだ。コンクリートは削られており、ひしゃげた鉄骨もむき出しになっている。

よく見ないことにはこれは絵だとは気づかない。


何も知らず通ろうとする生徒。穴の前で本能的反射で立ち止まる。高いところから落ちたら危険という本能が彼の足を止めた。


「あっぶねっ!!?!?えっ!??」


と仰け反る生徒。


「落ちるトコだった・・・」


と呟いたが事態が飲み込めていないようだった。


「!?え・・・?穴・・・なんでよ・・?」


昨日まで無かった穴の出現にあたふためいていた。


「・・・・ってこれ・・・絵か・・・??」


よく見ると絵であることに気がつく。その生徒は驚愕の面持ちだった。





そして絵文は絵を描いて時間は流れた。卒業式を迎えたが絵文はまだ学校に残っていた。

理由はただ1つ。今だ描いた絵が落書きされなかったことが皆無だったからだ。


「これで100作品目。」


絵文は脚立の上に座って言った。

夜の学校の静かな中に絵文の声が響く。

ポタポタと汗が垂れた。


100つ目の絵が完成した。

下駄箱の向かいの壁には鬼の絵が描かれていた。

地獄の炎の中で激情に塗りつぶされている鬼たち。

歴代の日本画家たちにも劣らない出来栄えだったが、今の絵文に驕る気持ちは無かった。

「タイトルは・・・・『怒り』・・かな。」

シンプルに名づけた。絵文はもう奇をてらって凝ったタイトルはつけたりはしなかった。


「あれ。」

つーっと涙が溢れていた。

「止まんねー・・・帰るか。」


翌日

生徒がカラカラとスプレーを振りながら廊下を歩いている。

いつもの通り絵文の絵を落書きするためだ。もはやそれは彼らにとって毎日の日常行為と化していた。


「イェイェイイェイ今が楽しければそれでいいよなぁ」


男子生徒がひとりごち言う。二人ともだらけきっている顔をしていた。

彼らの憂さ晴らしの1つが絵文の絵に落書きをすることだった。


「ハイプシューッ」


そしていつもの通り男子生徒は絵を塗りつぶそうとする。


「あ」


いつも通りではないものが目の前にあった。

憤怒の姿を醸し出す二人の男の絵。

厳しい顔をしていた。

東大寺の阿形(あぎょう)吽形(うんぎょう)のような男が業火の炎を纏っていた。そしてその火の粉が飛び散る灼熱の中、それでも力強く立っていた。


振り上げたスプレーが無意識のうちに下ろされる。


男子生徒の身長を超える大きさの壁画。その間近に彼らは立っていたが、まるで生きているかのような力強い姿に押され彼らは足を下げた。

この時点では彼らは何が目の前ににあるのかよく分かっておらず、下がって全体を把握したいという心の動きから出た動きでもあった。


「んだ・・・・・これ・・・め・・」


「す・・・・すげえ。めっちゃ怒ってる。」


二人の男子生徒は思わず口角が上がり、体が興奮でぶるっと震えた。


すると奥から角を曲がってスプレーで壁を汚しながら歩いてくる3人の生徒がいた。

「んでよー」「アハハ」

話に熱中しているようで周りを見ていない。

このままでは絵にスプレーがかかってしまう。


「やめろアホっ」


慌てて二人の男子生徒はそれを止めた。


「何すんだ!」


当然の抗議の声を上げる。

そのあと喧嘩を売られたと勘違いして不良がいつも言う文句を言った。

「お?やんのかこら!」

「やんのかおぉん!?」

喧嘩に自信はないらしくどこか余裕は感じられない様子である。


「あ・・・・・いや・・なんつーかさ・・・・」


「つい・・・・」

二人は言った。


「やまちゃんコレ・・・・」

「?」

向こうから歩いてきた生徒たちも絵に気づいた。


「うっ・・・・・・・おっ・・」


彼らは絵を見て高揚した気分になっていた。

その絵は自分たちの気持ちが表現されたように見えたからだった。


「きっ来てみろよ!」

「なんだなんだ?」

その絵の前には瞬く間に人が集まった。


歯を食いしばって泣く者。

頭の中がその絵のことばかりになった者。

閉じ込めていた罪悪感が溢れてしまった者。

力が自分の中で渦巻くように感じる者。

なんでもできると思った者。

理不尽を叩き壊してくれたと思った者。

解放してくれたと思った者。

自分の怒りは当然だと後押しをされた者。


たくさんの人間が絵に触発された。


どれだけ日がたとうと、この100つ目の壁画に落書きをしようとする不良はいなかった。


一週間後


「まだ落書きされないな・・・」

『怒り』の前に腰を下ろしながら絵文は言った。

「なんとなく・・・・そんな予感はあったんだけど」


どこか緊張感に欠けた絵文。エネルギーをほとんど放出してしまった後のような様子だった。

ほうけていると言ってもいい。

その絵文に近づく影があった。

「先輩。」

多田とユミだった。


「二年生の・・・・」

顔は分かるが名前は知らなかった。


「もう三年っすよ」

と多田

「先輩の卒業式は三月前終わりました。」

ユミも合いの手を入れる。


「・・・・・」

絵文は口をへの字にする。

卒業式が終わって籍がなくなっても学校に居座っていた絵文だったのだ。


「いや・・・敬語とか自分が尊敬してもないやつに使うの、俺は嫌いだから無理して使わなくていいよ。」


そんな考え絵文がこれから出る社会とやらには通用しないことは、絵文には痛いほど分かっていた。


「いや・・・あんたになら使うのもやぶさかじゃないっすよ。」

ユミがどこかトゲがなくった声で言った。


「そろそろ卒業してくださいよ先輩。次は俺たちの時代なんすから。」

多田が親しみを感じさせる声で言った。


「次の時代・・・・か。何にも考えず楽しんでいられるのはこの狭い箱庭の中にいられる間だけだ。この学校にいるやつらに未来なんてないよ」


常にラップ音が鳴り響く校舎。誰も授業なんてまともに聞いていない。

椅子や物が毎日のように窓から飛ぶ。

救急車が1週間にいっぺんは来る。


「生まれついての屑。」


「社会不適合者。」


「生きてるだけで周りに不幸を振りまく人間。」


「社会のダニ」


「ははっ。よくもここまでレッテルが貼れるな」

絵文は思わず笑う。


「俺たちは誰からも必要とされない人間だ。社会に俺達の居場所は無いんだろう。」


「確かに今のままじゃそうかもしれないっす」

ユミが顔を上げて喋った。

その視線の先には『怒り』があった。


「ウチらは屑でどうしようもなかった。でもなんとなくこの絵を見てたら心が洗われたっていうか・・・・」


絵文とは対照的にユミと多田の目は輝いている。


「変われる気がするんす。私達!」


多田が口を開く。


「マジメになりてぇなって思ったんすよ。こんな俺が。」

少し照れくさそうに多田が言う。

「この絵の人さ。おっかなく厳しいツラしてるけど・・・・優しい目をしてる気がしない?」


絵文はそれを聞いて嬉しかった。



それからその学校は変わった。自由で活力のある希望に満ちた高校へと変わっていくのだった。


というのは生徒たちは怒りのぶつけ方を変えたからだった。そして彼らは自身に絡みついている、どうにもならない問題を解決していったのだった。



高校の門を出る絵文。校舎を後にする。

ガララと絵具を入れたアタッシュケースを引いていた。

まだぼーっとしていたが何かが彼の頭の中で固まってきたようだった。

目に光が戻る。

絵文は一度も振り向きはしなかった。

学ランをバサッと脱いで捨てる。


「次に変えるべきは・・・・・この世界だ!」


「俺はこの絵で世界を変えてみせる・・・・・!」


街並みを見ながら快活に笑って言った。

西日を浴びる絵文。

光が彼を煌々と照らしていた。

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