#7 紙切れ
ルドルフは誰もいない食堂で、取り放題のゼリーの4杯目を口に運んでいた。やたらと外が騒がしかったが気にせず、並列に並べられた長い机の一角で、ゼリーの一切れをスプーンで切り取っては鼻を震わせ、香りを楽しむかの様に黙々と食べ続けていた。
突然、背後からの大きな音と共に観音開きの扉が開き、ライフルを手にした数名の兵士が食堂に傾れ込んできた。
ルドルフはスプーンを持ったまま後ろへ振り返ったが、分厚い眼鏡越しでも、その先で何が行われているか確認出来ず、ボーっと眺めるばかりだった。
やがて兵士全員がルドルフに銃口を向け、その中の一人が叫んだ。
「手を頭の後ろに当てて、ゆっくりと立ち上がれ!」
ルドルフは訳も解らず、動かないでいた。
すると兵士はライフルのチェンバーを引き、実弾を薬室に装填させ、近付いてきた。
「スプーンを捨てるんだ!」
銃口が近付いて来たからといって、そこから匂いがする訳でもないが、まるで火薬の匂いでも嗅ぎ分けたのか、ルドルフは鼻を震わせると何かに気が付いて、まだゼリーの載ったスプーンを慌てて投げ捨てた。
兵士はルドルフの横に行き、さもそれが武器であるのか、スプーンをマニュアル通りに蹴飛ばして、照準をルドルフの側頭部に合わせてライフルを構えた。
「両手を頭の後ろで組むんだよ!」
「ゼリーを、……ゼリーを食べていただけだ!」
叫んだ後、ルドルフは少し考え、言い直した。「あ、もしかして……〝お一人様、一個まで〟だったの?」
冗談なのか本気なのか、いずれにせよ銃を構えた兵士に対して言う言葉では無かった。兵士は真意を問うつもりもなく、ふざけた目の前のヤサ男を堅い軍靴で蹴飛ばした。
たいして鍛えてもいない細い身体を奇妙にくねらせて、ルドルフは床に倒れた。
「痛いなぁっ! 何するんだよ!」
「止さないか!」
兵士達の背中を怒声が突いた。
皆が一斉に振り返ると、入り口に、基地司令官を連れた二人組が立っていた。ファットマンは少々苛ついて基地司令官に言った。
「おたくの人間は、やる事がいちいち、いちいち……」
「派手な割には意味が無いな」トールボーイが続きを答えた。
「我々は彼に質問したいんです。しかも、ひとつだけ。それだけなのに、時間は掛かるわ、大騒ぎになるわ……。我々が貴方のオフィスの上等なソファーに腰を落ち着けたまま、貴方の部下が彼を連れてくるってぇスマートなやり方は、不可能なんですかねぇ」
嫌みのひとつ言い残して、ファットマンは武装した兵士の輪に近寄り、ルドルフに向けられたライフルのバレルを順番に上から叩いていった。
「ほらほら、どうせ撃たないんだから、実弾なんか込めないで――」
「弾を込めなきゃ脅しにならないじゃあないか」一人の兵士が呆れ顔で呟き、ルドルフを指差した。「それに、こいつはヤバい重要人物なんだろ?」
「彼は違う。彼が知っているケニー・ニコルこそがヤバい重要人物なんだ」
「だったら、やっぱ銃で威嚇して――」
呟く兵士に、ファットマンは背を向けた。
そして腕を背広の内側に突き刺すと、俊敏な動きで抜き出し、身体を半回転させて兵士に向き直った。
その動作を見ていた向かいの兵士が反射的にライフルを構え直した。如何にも銃を抜く時の動作に、気が付いた誰もが反応した。基地司令官までもが腰にぶら下げた拳銃のホルスターの留め金を外した。
しかし誰よりもファットマンは、体格からは誰も予想出来ない程早く、腕を兵士の眉間に向けていた。その先には何もなく、手を銃の様に見立てた二本の指が、兵士を指差しているだけだった。
それでも指を向けられた兵士は、両目を寄せて確認して尚緊張し、額から冷や汗を一滴垂らした。
「銃で威嚇して弾が出たら、それこそヤバい事になるんだよ」
「ケニー・ニコルを知る唯一の人物だからな。それに……」トールボーイが続けて言った。「同じくらいヤバい預かり物もあるだろう?」
「そうそう! あれは確かにヤバい!」
品悪く大げさに、調子に乗って素のままでファットマンが叫ぶと、トールボーイが咳払いをした。
「もういい。下品な言葉は使うな」
すぐに反省したらしく、ファットマンは顔を真面目に戻すと、照れながら同じく咳払いをしてルドルフに歩み寄った。
「――失礼。……もう下品な言葉は使わない。単刀直入に訊こう。ケニー・ニコルはどこだ?」
床に倒れたまま上半身だけを起こし、たいして変わらない大きさのファットマンと視線の高さを合わせると、ルドルフは大きく首を横に振った。
「よろしい。それは我々が何とかしよう」
「単刀直入に訊くんじゃなかったのか? 最初から期待してない事を訊くな」
トールボーイの言葉にファットマンが笑った。
「じゃあ、預かり物――ケニー・ニコルからの預かり物があるだろう? そっちを訊こう。……何処だ?」
ルドルフの首が痙攣した。首を横に振る前に、ファットマンが咄嗟にルドルフの赤い鼻の先に顔を近付けた。腕は上着の胸の部分、内側に刺さっていた。
「あれが無ければ、お前がなんか意味が無いんだぞ」
「撃つのか?」見ていた基地司令官がトールボーイに訊ねた。
「我々は弾を脅しには使わない。必要最小限で、確実に本来の目的に従って使用する。一発、一発が税金で作られているからな。空軍みたいに派手に振る舞って無駄遣いはしないんだ」
「やめてくれ! 私の基地で、そんな大事……!」
「あれが無いと。もっと大事になるんだよ」
「あれ……って、いったい……?」
ファットマンがルドルフの顔を更に覗き込んで訊いた。
「こう言えば、もっと素直に頷くよな? 『文章』……持ってるんだろう?」
ルドルフの額から一滴の汗が頬を伝った。視線は只床に向いて、何かを考えている様だった。
ファットマンがじっと待つと、暫くしてやっとルドルフが動いた。左手でパイロットスーツのジッパーが下げられ、右手はファットマンと同じ体勢になった。
何かを想像した兵士達は全員ピクリと身体を震わせ、全員が銃を構えた。それを見たファットマンが、呆れた素振りで頭を大きく横に振って、刺していた右手を胸から抜いた。手には先程と同じく、やはり何も握られてなかった。
一方、ルドルフの右手には、ジッパーの付いた厚いビニール袋があった。普段ならフライトプランが書かれた書類や、地図を入れておくのだが、それらしき物は入ってなかった。代わりに薄い紙切れが一枚――かなり古く、変色したそれを見ると、ファットマンは静かに言った。
「……やっぱり、あったんだ。実在してたんだ」
ファットマンは半ば恍惚の表情で、それを眺めた。
辺りの兵士は訳が解らず、ぽかんとしてそれを眺めた。
基地司令官は更に訳が解らず、そんな彼等を眺めて言った。
「ケニー・ニコルが重要人物というのも理解出来ないが、あんな汚い紙切れが、より重要だというのは、もっと理解出来ない。いったい、あの紙切れは何なんだ?」
質問に答えは返って来なかった。
基地司令官は今迄通り、訊きたくもない答えを間髪入れずに二人組のどちらか――この場合は自分の近くにいるトールボーイが返してくれるものだと思っていたが、返事は無言だった。
おかしいと思い、振り返ると、おかしな風景が待っていた。背の高い大きな男が、大きな口を開けて、答えを喋ろうとしていたが、出てきたのは顔一杯に浮き出る汗と、大きな体を小刻みに動かす震えだった。今まで見てきたのとまったく違った態度に、基地司令官は今度はトールボーイをぽかんと眺め始めた。
暫くして、本当に暫くして、トールボーイはやっとの思いで喉の奥から声を出した。
「〝悪魔の書〟……と呼ばれた、いつ誰が何の為に書いたか解らない、謎の古文書だ。最初に発見されてから何百年もの間、誰にも解読出来ないはずの『文章』だったが、名も無き僧侶だったケニー・ニコルの祖先が、解読に成功して以来、そう呼ばれる様になった」
「余りにも恐ろしい内容だったんで、奴のご先祖様は、この『文章』と一緒に逃げちまったってぇくらいの代物さ。時の法王に逆らってまでも……ね」
口を挟むファットマンの目が、まるで興味をそそる玩具を見つけた子供の如く輝いていた。が、対照的にトールボーイの顔は益々神妙に、身体は益々震えていった。
「その内容は、決して人間が書いたとは思えないもの……悪魔が書いたとしか思えないもの……」
「い、いったい何が書かれているんだ?」
基地司令官の質問に答える前に、ファットマンがルドルフに手招きした。
最初ルドルフは身を乗り出したが、ファットマンが眉を顰めて首を横に振ると、気が付いたらしく、『文章』の入ったビニール袋を差し出した。
ファットマンはそれを奪う様に取り上げ、口を開いた。
「ここに、有史以来の、全人類の情報が詰まっている。……全人類だぜ! 四千年? 一万年? ――とにかく、とんでもなく長い時間、余すところなく歴史上、起こった事、これから起こる事、すべての出来事が書いてあるんだ! ご多分に漏れず誰の事であろうと! 初めてサルからヒトになった奴だろうが、昨日生まれたガキだろうが! ナポレオンも! ヒトラーも! あんたも! 俺も!」
興奮して辺りの兵士を指差すファットマンを見て、基地司令官は言った。
「何だ? 何を言っているんだ?」
「〝予言の書〟だ」トールボーイが震える唇で答えた。「しかも究極の――。読み方ひとつで、すべての人間の未来の行動が読めてしまう、究極の予言書だ」