#4 街
夕焼けを背に、三太が一人歩いていた。他には誰の姿もなく、ただ長い影だけが彼の行く先に張り付いていた。その影の暗い部分だけを見つめ、三太は昼間は同級生に言われた事を思い出していた。そして長く大きな陰の輪郭は、記憶に無い父親の姿を想像させた。
「三太くん!」
背中を声に押され、三太が振り返ると夕日の中に小さな影が立っていた。眩しそうに目を凝らすと、影の中に洋子の顔が見えた。
洋子が隣に寄ってきた。三太は涙ぐんだ目を慌てて擦った。
「昼間さぁ、校庭でジャングルジムに登ってたでしょ? 競争してたの?」
三太は黙って、洋子を引き離そうと歩調を上げたが、身長の高い彼女の方が歩幅も広く、走る以外は離れる算段はなかった。だからといって、走り出しても不自然なので、諦めた三太は歩調を元に戻した。
「あの時、三太くん泣いてたでしょ?」洋子が昼間の件を突いた。「天辺まで登れなかったのが、そんなに悔しかったの?」
「うるさいなー、関係ないだろ!」
「でも、ちょっと羨ましかったんだよ。私、身体が弱いから、ああやって友達と競争する事なんて無いから…」
「そんな大きな身体してて、悪い所なんかあるの?」
「ちょっと……ね」
「なんだよ、どこが悪いんだよ?」
洋子が黙った。彼女は少しだけ考える素振りを見せると、もう一度口を開いた。
「三太くん、〝将来の夢〟ってある?」
「何だよ、突然」
洋子を見ると、真剣な目がこちらを捉えていた。三太も少しだけ考えた。もちろん夢は、昼間同級生に言われた〝パイロット〟だったが、それを口に出して言える程、今の三太には、なれる自信など無い。まして昼間の今だ。
三太は答えを濁そうと必死になった。
「あるよ、将来の夢。……でも結局、夢だから。なれるかどうかは解らないよ」
「どうして解らないの?」
「だって〝夢〟なんだよ。〝現実〟じゃあないんだ。叶いっこないよ、多分……」
「三太くん、大人みたいな事を言うんだね。私達、まだ子供だよ」
「そんなに大きな身体で、何が〝子供〟だよ……」洋子に聴こえない様、三太は小声で呟いた。
「何? 何か言った?」
「何も」
「じゃあさぁ、夢だったら、見るのは自由だよね。私はね、将来看護師になりたいの」
「看護師?」三太が吹き出して笑った。「大きな看護師だなぁ!」
「真面目に聞いて!」
突然、洋子が怒り出した。三太は口を閉じた。
「あのね、絶対に秘密だよ。私、明後日で皆と会えなくなるの……」
「明後日って、もう冬休みだろ? 会えなくなるの当たり前じゃん」
「そういう意味じゃなくて……来年、年が明けたら引っ越しちゃうんだ」
「マジで!? 嘘!? 何処へ!?」
「名古屋の方。大きな病院があって、そこに通いながら学校に行くの」
「何で? 何で? ……あ、どこか悪かったんだっけ?」
「うん、ちょっと……ね」
答え辛そうに洋子は言葉を濁した。
三太は心配した顔で洋子の顔を覗いた。気が付いた彼女は顔を上げ、努めて明るく答えた。
「でも、その病院に入れば、大丈夫だって親は言ってた」
「そうなんだ……」
「だからね、私、将来は看護師になりたいの。自分が病気で、苦しい気持ちが解るから、自分と同じ思いをしている人達を救ってあげたいの」
相変わらず、三太が寂しげな顔で見ていた。洋子はふざけて表情を真似て顔を合わせた。
「三太くん、私と離れちゃうと寂しい?」
心臓の鼓動が一回だけ大きく高鳴った。影響を直に受けた三太の大脳は大量のアドレナリンを分泌し、彼の顔を真っ赤に染めた。
悟られまいと、三太は必死に逃げた。
「べ、別に! 寂しくなんかないよ!」
「本当に? そっかー。三太くん、私と離れても寂しくないんだー」
「い、いや、……そういう訳じゃあないけど」
「三太くん、照れてるでしょ?」
三太の顔はますます赤くなった。
赤い夕日が辺り一帯を包む中、ふたつの長い影は一緒に並んで家路へと延びていった。