#32 三十年後
通り名がある。
〝ミスター・サンタクロース〟
――ちゃんとした、今ではすっかりしゃべれるうえ、一年の殆どはそれで通している英語で初めて自己紹介をした時以来、何処へ行っても、そう呼ばれる様になった。幼い頃に一度だけ聴いた響きに何故か嫌悪を覚え、馴染めずにいたのだが、繰り返し毎日聴くうちに、今では慣れてしまったらしい。只、せめて頭を〝ドクター〟にして欲しかったが、廻りが自分を〝ドクター〟と呼ぶ際、続くのは必ず名字だった。
不満を中年男性が吐露する度に、「どちらも敬意を示しているのですよ」と、彼にやたらと懐いている空軍パイロット上がりの青年は言ったが、中年男性は首を横に振って苦笑した。
しかしながら、少なくとも、その名に相応しく、〝贈り物〟は準備していた。まだ包装も途中で、とても贈れる状態では無いが、中年男性は来る日も来る日も、今、この場所で準備をしていた。ちょくちょく無駄話をしにやってくる青年が、唯一の邪魔だったが……。
しかしながら、少なくとも、青年は敬意を抱いていた。中年男性の仕事が子供の頃からの夢だったらしく、何かと、ちょくちょく覗きに来ては、無駄話をして満足気な顔をして帰って行く。本日のテーマは『子供の頃の夢』――何かと、敬意を訴えながら、中年男性の仕事の邪魔をするので、話がそうなった。
だから――クリスマスも近いせいか――中年男性は子供の頃の、とても信じて貰えないであろう、しかしながら、少なくとも、実際に起きた体験談を話した。
〝贈り物〟を詰めながらの片手間な話、……青年は聴き終えると、やはり信じられないらしく、一笑した。
「本当だよ、本当の話だ」
中年男性の言い訳がましい付け加えに、更に笑った後、青年は何度も頷いて返答した。
「信じます、信じますとも。――とにかく、その〝予言書〟が、まったくの嘘っぱちだった事だけは、信じます。だって結局、予言とやらは、やはり嘘で、ちっとも当たらなかったのでしょう?」
暗闇にほぼ近い密室の中――、青年が訊き返すと、中年男性は笑って答えた。
「あぁ、君も知っての通り、私はパイロットにはなれなかったし、未だに高い所が苦手のままだよ」
やがて唯一の丸窓から、反射光が部屋の中を明るく照らす――、青年は笑って言った。
「高い所が苦手? こんな場所で働いているのに……? ドクター、それこそが、本当の嘘でしょう?」
青年は、近くにあった人形を手繰り寄せ、ふざけて中年男性に投げ付けた。
男性が慣れた動きで避けると、人形は後ろの壁にぶつかるも、反動で跳ね返り、宙を舞い続け、決して彼等の足元には落ちようとしなかった。
中年男性は、そんなサンタクロースの人形を眺めながら、答えた。
「本当だよ。本当に苦手だ。――一番の問題は、高い所で無性に意識してしまう、地面に引っ張られる感覚だったんだよ。……でも、此処には一切、それが無い。――そうだろう? だって肝心の重力が無いんだからね。だから此処が、地球で一番高い山の、さらに何十倍の高さの位置しようと、まったく平気で居られるんだよ」
ふと、今では見慣れた窓の外を覗くと、三十年前に一度きり、今の自分からでも信じられない程の高所から眺めた風景が、爪の先よりも小さくなって、海岸線に囲まれ、小さくぽつりと大海に浮かんでいた。すると、管制室からのアナウンス――、どうやら、見詰める故郷から、中年男性にメールが届いたらしい。
――恐らくは、妻からだろう。
中年男性は会話を中断し、実験棟の扉を開け、まるでサンタクロースの人形の様に、長いチューブ状の通路をふわふわと浮かびながら、通信室へと急いだ。
通り名がある。
〝ミスター・サンタクロース〟
ファーストネームの〝三太〟を初めて発音した時から、そうなった。
その実は〝ドクター〟――新進気鋭の若手物理学者で、近い将来、人類にとって偉大な発明――〝贈り物〟をするものと皆に期待されていた。数年前に、同級生だった〝洋子〟という女性と結婚し、健康な三人もの子供をもうけている。
もうすぐクリスマス。妻のメールは、子供達へのプレゼントを何にするかの相談であろう。サンタクロース役も楽じゃない――と、思いながら、三太は先を急いだ。
――三十年前、少年がジャングルジムから突き立てた指は確実に大空を差していた。
そして、その頃見ていた未来の夢は、憧れていた戦闘機ですら突破出来ない、空気と真空の境目をも突き破り、その頃眺めた夜空の星々に囲まれた、地球周回軌道上に浮かぶ|国際宇宙ステーションの中で叶っていた。
ご静聴、ありがとうございました!