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SANTA!!  作者: 木村睡蓮
30/33

#29 その一歩

 本来なら、とっくの昔に、目的地に着いているはずだった。

 だが、昔を後悔しても仕方が無い。今は一刻も早く、この状況を打開するしかない。――しかし、方法は?

 車は、中央高速に入ってから続く大渋滞に、三時間近くも往生していた。

 路側帯にまで、他の車が溢れており、屋根の上に付いた緊急灯を回しても、まったく意味が無い。先方――随分先のトンネル入り口では、こちらの何倍もの緊急灯が回転している。内部での玉突き事故は酷い有様で、煙がのろしの様に、もうもうと上がって、夜でも解るくらいに、輝く星々を覆い隠していた。

 救いなのは、無線から流れて来た状況報告――事故は見た目より酷く無く、なんと怪我人は一人も居なかったらしい。さすがクリスマス――それは奇跡にも思えたが、だったら、おまけでも良いから、こちらにもお零れを授けて欲しい。その奇跡で車に羽根でも生えて、他の渋滞する車を尻目に、空を飛んで行けたら、どんなに幸運か。

 末期的な想像を真面目にしてしまう程、車内は末期的状況だった。

 発作は薬で治まっているものの、洋子の具合は悪化する一方だ。

 このままでは命も危うい。受け入れ先の名古屋の病院では、緊急手術の準備をして待っている。一刻も早く、彼女を運ばなければ。――ハンドルを握る運転手は、焦っていた。

 そして車の後部で、愛娘の容態を見守る両親も、同様だった。

 ストレッチャーに乗せられ、口には酸素マスクを着けた娘の苦しむ姿を見て、両親は生きた心地がしなかった。まさかこんな事になるとは思いもしなかった彼等は、二学期が終わるまで地元に残りたい、という娘の強い意志など無視して、名古屋行きを早めるべきだったと、先程の運転手同様、此処でも過ぎ去った過去を後悔していた。そして、地元を出る時、まだ大丈夫だと過信して、救急車を使わなかった事も……。

 もし未来が解っていれば、そうしただろう。しかし未来など、誰にも解る訳が無い。

 両親は為す術も無く。混沌とした意識の中でうなされる娘に、ひっきりなしに声を掛け続けるしか無かった。

 残念ながら、彼等の声は洋子の耳には届いて居なかった。

心臓は極端な不整脈を生み出し、一定の酸素が供給されなくなった大脳は、鼓膜や網膜など、あらゆる機関を麻痺させ、彼女に幻覚を見せていた。

 その夢の中で洋子が見ていたのは、必死になってジャングルジム登る三太の姿――現実から離れゆく意識の中で、密かに想う憧れは、持病と戦う洋子の勇気の象徴だった。

 現実の三太が、あの山を征服したのは見た事無い。

 しかしきっと彼なら、いつか登り切るだろう。自分も負けては居られない。彼が懸命に夢描く様に、自分も必ず生き残り、夢を実現させるのだ。

 ――洋子が夢の中で強く決心したその時、戻って来た意識は、現実に此処に居るはずの無い三太の顔を映し出し、次の瞬間、夢は現実となった。

 三太はジャングルジムの天辺より、もっと、もっと、高い所から洋子を見詰めていて、微かに目覚めた洋子と一瞬だけ目を合わせ、長い事動かなかった彼女の唇を、一瞬だけ動かせた。

「さ、三太くん……?」

 意識の復活を喜ぶべき両親には、残念ながら、その声が聴き取れなかった。

 必死に看病していたはずなのに、心配すべき娘には目もくれず、車を運転していた運転手まで、悩みの種である前方でひしめき合う車の列などお構いなしに、皆一斉に窓の外に目を奪われた。

 彼等だけでは無い。附近で渋滞に巻き込まれた人々は、全員が全員、息を呑み、目を釘付けにさせられた。

 爆音と共に、突如空から降りて来た戦闘機は、まるで墜落しそうな、もの凄い速度と勢いで、洋子の車目掛けて急接近して来た。

 そして一端、路側帯の縁までニアミスすると、車にぶつかる寸前のところでやや離れ、ホバリングしながら、車列と平行に、超低速で前進したり、後退したりを繰り返し始めた。

 よもや衝突、本当に寸前のところで操縦桿を戻したルドルフは、赤い鼻を震わせて叫んだ。

「――ぶつかったか!? ぶつかってないよな!? ……畜生、大佐の奴! だから僕に、やらせやがったんだな! 何だよ、この地形――山と谷ばかりじゃないか! 普通のパイロットだったら、とっくに墜落してるよ!」

 独り言を大声で発したつもりだったが、慣れない米軍仕様の無線連絡装置のスイッチは、どうやらオンになっていたらしく、インカムの向こうから、管制官がノイズ混じりに聞き返してきた。

『――〝トナカイ〟、どうした? ターゲットは、見付かったか?』

 ルドルフは赤い鼻を大きく震わせてから、応答した。

「うるさい! 話し掛けるな! 見付かると同時に、ぶつかるところだったんだ! ――大体何だよ! 最初に聞いていた場所と全然違う所に居るじゃないか! お前らに『引き返せ』って言われて、引き返したポイントからだって、だいぶ距離もあるじゃないか! 予定変更のうえ、進路変更までさせるなら、もっと早く言えよ! もう燃料だって――」

 タイミング良くしてか、悪いのか、燃料の残量が僅かと示す警告灯が、丁度点滅を始めた。

 機体と操縦桿が震え出すのを感じて、ルドルフの赤い鼻が更に震えた。

「マジで最悪だ。――おい! いつまで此処に居れば、いいんだよ!」

 インカムの向こうは返事もせず、何か相談をしている様子で、聴き取れもしない囁きだけが耳に届いた。注意して何とか聴こうと努力するルドルフを、更なる雑音が襲った。

 後部座席に座った三太は、一瞬でも洋子を確認すると、キャノピーの側面を、両手で何度も強く叩き出した。

「あれだよ! あの車! ねぇ、もっと近付けてよ! さっきみたいに!」

「やかましい! 日本語で話しかけられても解らないよ! ……それと、窓叩くな! 妙な装置が誤作動でもしたら、どうするんだよ! 垂直離着陸機《VTOL》なんて、こっちは操縦するのが初めてなんだぞ!」

 初めて見る計器の数々の幾つかが、一斉に悲鳴をあげ始めた。多数の警告音が鳴り続けるハリアーのコックピット内は、まさしくクリスマスパーティの喧噪だった。

 ルドルフは堪らず、インカムに向かって叫んだ。

「おい! 返事をしろ! こっちも行ったり来たりで、相当時間を掛けたんだ! もう〝プレゼント〟が届いても、良い頃だろう!」

すると管制官は、妙な質問を持ち掛けてきた。

『そっちは、何か……煙でも上がっているのか?』

「煙?」最初はコックピット内の状態と思い、ルドルフは辺りを見回したが、そこまでの異常はまだ無かった。やがてそれがキャノピーの向こうに見えるトンネル事故の事だと解ると、すぐさま応答を返した。「――真っ黒なのが、太い柱みたいになってるぞ! ……ちょっと待て、何で、こっちの状況が見えるんだ?」

『……たった今〝プレゼント〟から、感知した熱源から煙が見える――と、報告を受けたんだ』

 けたたましく鳴り続ける警告音のひとつが、機体のニアミスを防ぐ為の接近警報とは、ルドルフには解らず仕舞いだった。〝プレゼント〟が既に近くまで来ているのか、辺りを確認しようと、操縦桿を倒して旋回を開始したハリアーは、いつの間にか真後ろの死角に入っていた――コールサインを〝プレゼント〟と名乗る――海兵隊のヘリと、空中衝突を起こしそうになった。

 慌てて操縦桿を戻すと、鼻先で目の合ったヘリのパイロットは、咄嗟に暗視ゴーグルを外し、もの凄い目付きで睨み返してきた。

 衝突よりも、墜落よりも、先にこいつに殺される……と、ルドルフは恐れをなし、余計に操縦桿を引き戻した。

 ヘリからやや離れた頃、インカムが遅れて警告をしてきた。

『もうすぐお待ち兼ねの、〝プレゼント〟が到着する頃だ。衝突を避ける為、現場から移動しておいてくれ。……それと、付き合う必要は無いぞ。あっちは横田から直接来ているので、燃料は充分だ。一緒に居ると、そっちが先に落ちるぞ。――後は任せて、燃料切れを起こす前に帰投しろ』

 海兵隊のヘリは、三太が飛び立った後、二人組の懸命で、恐らく違法な調査の結果、洋子の現状を知ったニコルが寄こした、まさしく〝プレゼント〟だった。中には、降下訓練を受けた海兵隊の精鋭数名と衛生兵、軍医まで乗っている。彼等が目的の車に降下を仕掛け、洋子を回収、名古屋の病院まで搬送するという寸法だ。

 勿論、洋子側の関係者には寝耳に水の、完全なる違法行為だが、現状でそれを咎める人間など居る訳が無い。むしろ下で待ち受ける彼等にとって、それこそが〝プレゼント〟であり、望んでいたクリスマスの奇跡だった。

 ターゲットの車を確認したヘリは、無数のサーチライトで周囲を照らし、無数のロープを側面から垂らした。

 ハリアーとヘリの爆音と、昼間よりも明るい光の束に、周りの車に乗っていた人々は、何事かと窓から首を出そうとしたが、凄まじい風の勢いに目を開けるのもやっとで、すぐに車内に首を戻した。

 最後まで上空を眺めていた人間も、ロープづたいに落ちてくる――実際は降りて来ていたのだが、少なくとも彼にはそう見えた――海兵隊員の姿に驚いて、慌てて首を引っ込めた。

 一般車両の屋根の上に、強い衝撃と傷害を与えて降り立った隊員は、一瞬だけ気不味い顔をした後、急いで屋根を降りて、洋子を乗せた車に駆け寄った。

 一部始終を見終えたルドルフは、これでやっと帰れると思い、操縦桿を倒して帰投しようとしていた。最後に一瞬だけ、後部座席に目をやると、相変わらずキャノピーの側面に張り付いて、外を凝視している三太の姿が見えた。視線の先は、まさか海兵隊員ではあるまい。目的が洋子であるのは一目瞭然だった。

 ルドルフは仕方なさそうな溜息を吐き、鼻を震わせると、もう一度だけ慎重に操縦桿を倒して、何とかしてもう一度だけ、機を車に近付けた。

 最初程で無いにしろ、お互いの顔が確認出来れば、それで充分だった。三太と洋子は互いの顔を合わせ、黙って見つめ合った。どうせ言葉を発しても、ジェットエンジンの爆音で掻き消されてしまうし、未だ意識のはっきりしない洋子には、到底聴こえなかったに違いない。しかし洋子の目に映る三太の姿が、現実である限り、言葉なんて要らなかった。

 二人は互いの目に映る、互いの未来への予兆を確かめ合うと、互いに頷き合った。

 気が付くと、ヘリのパイロットが、あからさまに嫌な顔をしながら、ハリアーに向けて「邪魔だ」と何度も合図を送っていた。

 確かに納得出来たので、ルドルフは今度こそと素直に従い、操縦桿を倒して、その場を離れようとした。

「よし、おしまいだ! お別れを言うなら今だぞ!」

 例えルドルフの叫ぶ別の国の言葉が理解出来きようとも、三太は何も言わないままだった。口にして何かを言うよりも、洋子の姿を見詰めていたい……それだけで満足だった。

 それは彼女も同じで、洋子は三太を見詰め続けた。

 やがてお互いの姿は、だんだんと小さく、夜空の星々より小さくなり、最後には見えなくなっていった。

 謎の戦闘機が消え、その爆音が小さくなった頃、別の喧噪が、洋子の乗せられた車の中に訪れた。――勿論、海兵隊の乱入である。

 意識の戻った洋子の目に、日本語が話せる隊員の一人が、仕切りに両親に、何かを説明する姿が映った。暫くして、彼等のやろうとしている作戦が理解出来た両親は、洋子に振り向くと、溢れ落ちては止まらない無数の涙を流した。

 目が覚めてから、余りに突然過ぎて、洋子には何が何だか訳が解らなかったし、周りがうるさ過ぎて、両親の呼び掛ける声も、まともに聴こえなかった。

 そんな中、一言だけ、洋子にも聴こえた声が唯一あった。

 両親を押し退けて、車内に乗り込んできた屈強な海兵隊員数名が、洋子を搬出しようと、彼女の乗せられたストレッチャーに手を掛けたその時、顔に一番近い隊員の口にした言葉は、この騒ぎの中で一番小さく発せられた声だったのにも関わらず、それだけは、はっきりと洋子の耳にも届いた。

 顔も初めて見る海兵隊員は、洋子を運ぶ寸前に、彼女に向かって一言だけ、笑顔で優しく囁いた。

「メリークリスマス」

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