#25 まだ見ぬ息子へ
『やっと鉛筆が持てたので、これを書いている。筆記用具はもうこれしかない。僕のリュックは 思い出すのも面倒なので、思い出さないが、 しばらく前に捨てた。身を軽くするためだ。この鉛筆はルイスが詩を書くのに使っていた物だ。 詩 彼の詩は面白くない。この前のページにも、面白くないのが連ねて書いてある。好まずとも預かったとはいえ、大切なノートに僕が筆を―――― 日本語だ。! こんな時に。僕は日本語を書いている。さっきも、つぶやいた言葉は日本語だった気がする。そうだ、僕は日本人なんだ。 結局 済まないが、どうも頭がはっきりしないので、これは日本語で書くとする。
とにかく大切なノートに、僕がこんな事を、しかも詩を書くノートに、 日本語を 書いたら、彼ならきっと怒るだろう。 でも 彼の詩よろ より、ましだ。 面と向かって彼に言ったことは一度も無かったが、なんで言わなかったのだろう 長い付き合い 、
たぶん彼は良い奴だからだ。
だから、彼の遺族には、このことを話さないで貰いたい。彼がとても良い奴で、最後まで僕の助けになってくれたとだけ伝えて欲しい。 彼の遺体は第二ポイントから山頂方面に少し行った所にあるはずだ。
、
かいて 書いていると 少し暖かくなってきた 意識があるうちに書いておきたいことがある。妻へ
すまない 僕はもう助からないだろう
最後まで 僕のわがままにつきあってくれて
ありい× ×× ありがとう
感謝している こ
心 こころのろ 心残り は、名
なまえ ぼくたちの息子の名前
本当は僕がつけたかった が、 きみがつけて て くれ
みんなを幸せに する なまえ
ごめん ほかに何も かけない ほんとうにすまないと思っている
息子へ
きみに会えないのが本当に悲しい
お そらく ぼくはたぶん ここで し
死ぬだろう
きみに会ってから死にたかった きみと話をしたかった きみと 泣いたりわらったり た したかった。
きみのなまえ を さけびたかっ た
ぼ
ぼくの夢のために、きみを悲しませて
、
とても残酷だ お願いがある 名前もつけてない 僕の息子
現実はとてもざんこく だ きびしい 僕は負けて しまった
けど だけど きみはあきらめないでほしい けっして目をそらさないでほしい。 これから どんなにつらくとも、夢から逃げずに、何かを実現するために ゆめをもって欲しい
そして その夢の先には、かならず素晴らしい ほんとうの現実が まっているだろう 、君に きみの目に飛びこんでくるだろう
けっして 夢をすてないでくれ
やくそく する
かならず かならず すてきな未来がまっている
信じてくれ かなら ず
みらいが、 そこでまつ みんなが
きみを まってい
る』
――文字は、此処で力尽きていた。
三太は震える手で紙切れを揺らし、震える字のすべてを読み切った。
其処には、三太の求めるすべての答えがあった。生まれた時から無責任だと思っていた父親は、死ぬ寸前まで自分の事だけを考えていて、自分にすべてを教えてくれていた。
絶望の淵に身を置いて尚、父親の目には絶望など見えていなかった。見える物は、たったひとつ――絶望すべき現実を直視しても、将来を見据え、尚も夢に向かって突き進む、まだ見ぬ息子の姿だけだった。そして三太にも、父親が最後まで、それを信じて見続けていた事実が、一通の手紙を通じて目に見えた。
するとその目から、先程まで必死で我慢していた涙が、大粒の塊となって落ち、二度と書かれる事の無い紙切れの、白紙の部分を濡らした。
クリスマスカードと添えられ、靴下に入っていたそれは、確かにクリスマスプレゼントだった。自分の歳と同じ歳月をかけ、三太はやっと父親から、生まれて初めてクリスマスプレゼントを受け取り、泣いた。
そして三太は、たった今、自分の中に生まれた気持ちに気が付いた。
それは彼にとって初めての事で、口では説明の出来ない何かが、自身に芽生えた瞬間だった。この気持ちを誰かに伝えたい。三太は痛烈に思ったが、辺りには当然誰も居なかったし、もし居ても、口で説明出来ない何かを、伝える事など出来るのだろうか?
いずれにせよ、今の三太には、どうしようも無かった。
母親が帰って来るのは、まだまだ先だし、三太が一番に伝えたい相手は彼女では無い。頭に過ぎるのは洋子の姿だけ……。これまで散々、他人からの答えを望んでいた三太だったが、今の彼は違っていた。今はこの気持ちを絶望の淵をさまよっているであろう洋子に伝えたい。もし術があるなら、願いが叶うなら、洋子に会いたい。三太は強く思った。
その時、三太の脳裏に、洋子とはまったく別の人物の姿が過ぎった。それは父親でも、母親でも無く、まったく脈絡の無い人間だった。
思い返すのも、ひょっとしたら、嫌な部類に入る奴だ。そいつは三太の頭の中で、洋子を押し退け、雲ひとつ無い空に向かって颯爽と指を突き立てていた。
今迄の三太なら想像もしなかっただろうし、また出来たとしても、何故そいつが現れたのか理解出来ないであろう。しかし、今の三太には不思議では無かった。父親が行く末を教えてくれた今、次の行動は必然だったからだ。そいつに何の保証も無かったが、三太は父親の言葉――その先の夢を信じる様に、そいつに賭けてみる事にした。
そして、そいつは頭の中で、三太に向かって、昼間と同じ台詞を言い放った。
「もしお前がその気なら、俺が助けてやる。お前が将来の夢を捨てないで、強く信じるなら、俺が叶えてやる。オモチャなんかじゃなく、本物の戦闘機で、今にでもあそこへ連れて行ってやる」
ニコルは空に向かって、颯爽と指を立てていた。