#24 クリスマスプレゼント
日は沈み、空には星が出ていた。
地上にも星々が散在し、車道は支線に分かれ、車のライトとテールランプが星の川を作っていたが、幾ら探しても、三太に希望の星を見付け出す事は出来なかった。
諦めた訳では無いが、為す術も見付からない三太は、無意識に自宅への帰路についていた。
もちろん足取りは重く、頭に浮かぶのは洋子の事ばかり。手段があれば、今すぐにでも彼女に会いたい。手段があれば……。しかし、三太にはどうする事も出来なかった。
もし夢が叶ってパイロットになっていれば、この夜空の星々を潜り抜け、今すぐにでも洋子に会いに行くだろう。しかし今の自分は何の力もない子供で、そんな夢を叶える為の答えすら失ってしまっていた。もうどうする事も出来無い。
辛い現実は、自分はおろか、ひょっとして洋子の夢まで奪ってしまうのか。あれだけ強く夢を描いていた洋子ですら、父親と同じ様に現実に希望を奪われてしまうのか。あれだけ、昼間元気に楽しく会話していたのに、今は生きているかどうかも解らなくなってしまった洋子の今や、死んでしまった父親の事が頭を過ぎる。そして彼等は自分に何も言わないまま、自分の元から消え去ってゆく……。
三太は目に涙を溜め、泣きそうになる衝動を堪えた。
彼等に会えない悲しみから、涙が出そうになったのでは決して無かった。彼は恐かったのだ。夢を追う先人が倒れていく姿を見て、いずれ自分もそうなるのかと想像し、三太は心の底から恐怖した。
涙はどんどんと溜まり、仕舞いには溢れ出しそうになっていたが、三太は決して泣かなかった。それが無意味だと解っていても、何も出来ない今、三太はせめて自分を恐怖させる現実と、必死になって戦おうとしていた。
何処へ行くも意識せず、そんな戦いに必死になっていたからか、三太はいつの間にか自宅に帰って来ていた事を、自宅の門を通り過ぎてから気が付いた。気が付いたら、気が付いたで、無意識でも結局帰る場所が此処かと思うと、更に情けなくなり、また目頭に涙が追加された。
此処には確実に、答えが無いのだ。
ぼやけた目は、それが正解と言わんばかりに、家を歪ませて、庭木を歪ませて、彼に見せていた。
すると、そんなぼやける目が、目の前の植え込みに、奇妙な物を発見させた。確かめるべく、三太は手の甲で涙を拭った。
はっきりと見えて解ったのは、それはニコルにあげたはずの靴下だった。
不思議に思い、手に取ると、隣に差してあった厚紙が地面に落ちた。拾い上げると、クリスマスカードで、表には『Merry Christmas U.S.A.F.』と印刷してある。それは米空軍の物だった。
ニコルの言う通りにしたファットマンが、ミニバンに沢山積まれていた規正のカードを添えたのだが、三太がそれを知るよしも無かった。
三太が知ったのは、靴下の中に何かが入っている事だけだった。おもむろに中身を取り出すと、見た事も無い封筒が一本――表面は靴下以上に薄汚く、染みや汚れが、暗くなってしまった屋外でも解る程だった。
中を開けると、そこにも薄汚く変色した紙切れ――ノートの切れ端が入っていた。
ご丁寧にもファットマンが、紙切れを封筒に戻し、元あった状態にしていたのだが、もちろん三太はこれも知らなかったし、気にする必要も無かった。三太が気になるのは、目の前に見える汚れた紙切れ――辿々しく書かれた文字が非常に読み難いうえ、こう暗くては読めたものでは無かった。
三太は手に持った紙切れと封筒を眺めながら、その文字がはっきりと解る、照明の点いた玄関まで近付いて行った。
やがて灯りに照らされた手元が明るくなり、文面の書き出しが目に入った時、それが何であるかが理解出来た。
それは、彼の記憶の最初に出て来たクリスマスの突然の来訪者、あの外国人老夫婦が持って来て母親を泣かせた、あの薄汚れた紙切れだった。
遺書と思われていたそれは、やはり遺書らしく、死を目前とした父親が、何とか手にした筆記用具で、自身の最後を記していた。何処を探しても見付からなかったそれは、今三太の手の中にあった。長い、長い時――自分が生まれて過ごしたのと同じ年を越えて、一度も聞いたことの無い父親の言葉が、自分の目の前に連なっている。
三太は震える手で紙切れを手に持ち、震える文字を更に震わせて、読み始めた。
書き始めは、まさしく死に直面した父親の、絶望的な情景を如実に表していた。……が、今迄の三太とは思えない程、彼は一切恐れもせず、目を止める事無く、父親の書き残した一文字一文字を、逃さず目に焼き付けていた。母親ですら読んで涙した文面――その先に、もっと酷い父親の姿が見えてくるかもしれないだろうというのに、三太は読むのを決して辞めなかった。
何故なら三太の中で、それは既に、遺書では無かったからだ。父親が死の直前に書いたと思われる文章は、他人から見れば、確かに遺書と呼べる代物だったろうが、三太には、それが別の物にしか見えなかった。そして母親の涙も、決して悲しみの涙では無かったはずと、三太は確信し始めていた。
理由はたったひとつ。紙切れの他に、父親が残したもうひとつの言葉――封筒の表面に書かれていた題字だった。
玄関の灯りに照らし出されて、初めて解った文字――三太以外に唯一目にしたファットマンですら、日本語が読めないのは当然ながら、それ以前の問題で、汚く書かれているそれを、意味のない書き殴り、もしくは汚れの一部としか認識しなかった文字――それは、決して『遺書』とは書かれていなかった。封筒の汚れと同じく、薄汚い、辿々しい日本語で『まだ見ぬ息子へ』とだけ書かれていた。
その紙切れは、父親にとっても、三太にとっても、遺書では無かった。
まさしくそれは、亡き父親が死の直前に綴った、まだ見ぬ息子へ宛てた、一通の手紙だった。